与謝 蕪村 菜の花 や。 与謝蕪村とその有名俳句を20個紹介★代表作「春の海」「菜の花や」などを厳選

与謝蕪村の句 トップ 10

与謝 蕪村 菜の花 や

菜の花や月は東に日は西に 菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村 画人・俳人。 享保元年(1716)生まれ。 1783年67歳没。 鑑賞 この句は神戸六甲山脈の摩耶山を訪れたときのものといわれます。 六甲山脈は海の近くで、また当時は、摩耶山には見渡す限り菜の花が咲いていたということです。 主役は菜の花。 「や」が語っています。 想像してください。 見渡す限りの菜の花畑。 土と花の香り。 昼から夜に切りかわる静寂。 昼でも夜でもない切り取られた時間。 海に沈む夕日。 視線を動かすと白い月。 自身の肉体や呼吸さえも存在せず、体を離れた意識だけが香りと色とを同時に感じる……私はそんな景色を思います。 いや、蕪村はそんな威厳なものではなく、もっと純粋な美しさを唱ったのでしょうか。 みなさんはどう思われますか? 菜の花が好き 蕪村は、他にも菜の花の俳句を残しています。 さて、「菜の花」ときたら、季節は春です。 海には沈み行く太陽。 反対側には月。 私が小学生の時「この句の月はどんな形か」という理科のクイズを本で読みました。 答えは満月です。 だから、番組内の仲條正義さんイラストは正確に言うと誤りです。 しかし、この番組は対象年齢が4歳〜小学校低学年となっているので、「月」のイメージを三日月としたのは誤りではないでしょう。 なぜなら、両方とも丸く書けば、混乱するかもしれないからです。 いやいや、やはり、混乱してもよいから両方とも丸にしてほしかったです。 どうして両方とも丸なのか親子で考えれば良い。 しかしさらに正確に言えば、十五夜の満月では,東と西にまん丸な月と太陽を同時に目にすることはできません。 ここで再度ユーミン。 十四番目の月が一番好きです。 Copyright 2003 V3 All rights reserved.

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理科の問題で・・・☆

与謝 蕪村 菜の花 や

1 与謝蕪村の「菜の花」の俳句 与謝蕪村(よさぶそん)は俳諧師だっただけでなく「俳画」の創始者で、画家としても活動していました。 そのせいか、 写実的で絵画的な発句を得意としたのです。 蕪村の俳句は、情景が目に浮かぶような感じがします。 菜の花や 月は東に 日は西に 蕪村の代表的な一句、この俳句も非常に写実的ですね。 絵画のような風景だけど、でも一枚の写真の中にはおさまらないし三点から見た風景を盛り込んでいます。 足元には一面の菜の花。 東の方を見ると月が上ってきた。 西を方を見ると日がまだ低くぼんやり浮かんでいる。 まだ暗くなっていない 夕刻の風景を詠んだ句です。 夕刻に東の空に見える月ということなので、この月は 「満月」(かそれに近い形)、まあるい月ということです。 技法的なことをちょっと加えると、「菜の花や」と軽めの感動を表す 切れ字「や」を使い、「月は東に 日は西に」と 対句法でしめています。 このリズムが素晴らしいですね。 そして、見えている光景だけをぽんぽんと書く省略法を使うことで、より「菜の花」「月」「日」が強調されます。 一枚の写真におさまらないのびのびしたスケールの、蕪村らしい実に写実的な一句だと思います。 スポンサーリンク 2 小林一茶の「菜の花」の俳句 小林一茶(こばやしいっさ)は、江戸時代後期に活躍した俳諧師です。 三大俳諧師に数えられますが、貧しい生涯だったと伝わります。 「おらが春」、「一茶発句集」という俳句文集が有名です。 一茶の作品は小さなものに対する優しさがにじみ出る、情のあるものが多いです。 菜の花の 盛りに一夜 啼く田螺(たにし) 菜の花に かこち顔なる 蛙哉 菜の花の とつぱづれなり ふじの山 菜の花の 中を浅間の けぶり哉 3 正岡子規の「菜の花」の俳句 近現代俳句の祖・ 正岡子規は生涯にたくさん俳句や短歌を残しています。 子規についてはこちらを 菜の花に 婚礼したる 狐哉 菜の花の 中に稲荷の 鳥居かな 菜の花に そふて道あり 村稲荷 上り帆の 菜の花の上に 見ゆる哉 菜の花 の四角に咲きぬ 麦の中 ふらふらと 行けば菜の花 はや見ゆる 菜の花の 小村ゆたかに 見ゆる哉 菜の花の 野末に低し 天王寺 寺ありて 菜種咲くなり 西の京 菜の花の 向ふに見ゆる 都かな 4 夏目漱石の「菜の花」の俳句 明治の文豪・ 夏目漱石は、その生涯に約2400の俳句を残しています。 大学時代(東大予備門)に正岡子規と出会って生涯の友となり、俳句の添削を子規にしてもらうこともありました。 奈良七重 菜の花つづき 五形 ごぎょう 咲く 窓低し 菜の花明り 夕曇り 菜の花の 中の小家や 桃一木 菜の花の 遥かに黄なり 筑後川 菜の花の 隣もありて 竹の垣 菜の花の 中に小川の うねりかな 5 高浜虚子の「菜の花」の俳句 高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。 柳原極堂が創刊した俳誌 「ホトトギス」を引き継いで、俳句だけでなく和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として発展させました。 夏目漱石など小説家からも寄稿をうけています。 本職は 鉱山博士でした。 俳句の師匠は 高浜虚子です。 本を読む菜の花明り本にあり 本を読む 菜の花明り 本にあり 夜半覚めて 寒月瓶の 菜の花に 7 飯田蛇笏の「菜の花」の俳句 飯田蛇笏(だこつ)は山梨県出身の俳人です。 本は武治(たけはる)、別号は山廬(さんろ)です。 高浜虚子に師事し山梨の山村で暮らしながらも格調の高い句を作り続け、大正時代の「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍しました。 俳誌「雲母」を主宰しています。 山梨県出身で、同じく俳人の飯田龍太は蛇笏の息子です。 滋賀の雨 花菜つづきに 竹の秋 花菜かげ 蝶こぼれては 地にはねぬ 菜の花の 夜目に白さや 摩耶詣 門前の 花菜の雨や 涅槃像 青蛾ゐて 甘菜の花 に南吹く 世を戀うて 花菜の嵐 吹く中に 8 大野林火の「菜の花」の俳句 大野林火は神奈川県生まれの俳人です。 本名は正 まさし。 東京帝国大学経済学部卒で臼田亜浪に師事し、俳誌「石楠」に俳句や評論を発表しました。 抒情的な作風の俳句を多く残し、俳誌『浜』を創刊したり後進の指導にあたる活躍をしました。 1953年には俳人協会会長に就任しています。

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花を詠んだ俳句・短歌 1(春)

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太陽が西に沈む夕暮れ時に、月が東に見えるということは、その月は満月です。 つまり、地球を挟んで月と太陽が、ほぼ一直線に並んでいるということです。 これは、菜の花が咲く春だけでなく、雪が積もる冬でも、紅葉がきれいな秋でも言えることです。 ただ、この3つの星がピッタリ一直線に重なってしまうと、月食になってしまいます。 反対に、夕暮れ時に月が西に見えれば、それは三日月です。 月も太陽も西の方角にあると、月の一部にしか太陽の光が当たらないので、満月にはなりません。 つまり、夕暮れ時に東の空に月が見えるというこの句の月は、満月ということになります。 1774年、菜の花が咲く季節の夕暮れ時、月と太陽が同時に見えるのは4月中旬以降 この句は、安永3年(1774年)3月23日に詠まれたといわれています。 当時は旧暦でしたから、今の暦で考えると、5月3日になります。 しかし、月の位置を詳しく調べてみると、この日には実際に、東に満月、西に夕日が見えてはいませんでした。 菜の花が咲いている時期で、東に満月、西に夕日が見えるのは、旧暦の3月10日~15日くらい、今の暦でいくと、4月20日~4月25日となります。 つまり、蕪村は実際に旧暦の3月23日に、東に満月、西に夕日を目にしてこの俳句を詠んだのではなく、その10日くらい前に見た光景を思い出しながら、3月23日にこの句を詠んだのではないかといわれています。 vis. php? 「菜の花や摩耶を下れば日の暮るる」 昔、摩耶山がある神戸市灘区では、菜種油を生産するために菜の花が栽培されていました。 当時のこの地は、一面の菜の花畑が美しかったと思われます。 ほかにも、菜の花を詠んだ句がたくさんあります。 「菜の花を墓に手向けん金福寺」 「菜の花や遠山どりの尾上まで」 「菜の花や油乏しき小家がち」 「なの花や昼一しきり海の音」 「菜の華や法師が宿を訪はで過ぎ」 「なのはなや笋(たけのこ)見ゆる小風呂敷」 「菜の花やみな出はらいし矢走船」 「菜の花や鯨もよらず海暮ぬ」 「菜の花や和泉河内へ小商」 「菜の花や壬生の隠家誰々ぞ」 春の夕暮れ時、摩耶山の上から見下ろすと一面の菜の花畑、空を見上げると月と太陽が同時に見える…、そんな光景を見たとき、蕪村はどんな気持ちだったのでしょう。 春のこの時期、菜の花を目にしたら、蕪村がどんな思いでこの句を詠んだのか、思いをはせてみてはいかがでしょうか。

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