さま とき 誕生 日。 愛子内親王殿下御誕生につき(平成14年)

お釈迦様の誕生日|4月8日の花祭り・甘茶の由来や仏陀誕生の伝説を解説

さま とき 誕生 日

まず始めに,子供の誕生に当たって多くの方々から温かく祝っていただいたことに対して,心からお礼を申し上げたいと思います。 また,子供を連れてきてくれたコウノトリにもあわせて感謝をしたいと思います。 懐妊と知ったときには,率直に言ってとてもうれしく思いました。 無事に健康な子供が生まれることを心から願いました。 あわせて妊娠期間も10か月と長いため,雅子もいろいろと大変だと思いました。 懐妊後は検診の度に,始めは点のようだった胎児が徐々に成長する様子を目の当たりにすることができて,生命の不思議さ神秘性というものを感じました。 雅子は8か月位までは,おなかもそれほど目立たなかったのですけれども,8か月を過ぎて急に大きくなった感じがしまして,また,そういったこと,そして,また胎児がおなかの中で蹴る動作が外にも伝わってくることに驚きを感じました。 プレッシャーについては,懐妊前の方が大きかったと思います。 懐妊後は,無事に子供が生まれてくることと,雅子の体調が良いことを願っておりましたので,プレッシャーはさほど感じませんでした。 最後になりますけれども,地球上に人類が誕生してからこの方,絶えることもなく受け継がれているこの命の営みの流れの中に,今私たちが入ったということ,そういうことに新たな感動を覚えました。 私からは以上です。 私からもまず始めに,大変多くの方々から今回祝福していただいたことに対して,心からお礼を申し上げたいと思います。 懐妊の発表以来,出産に至るまで国民の皆さんから温かい祝福の気持ちで見守っていただいたことは,初めての出産を迎えるに当たりまして,私にとって本当に大きな励ましとなりましたし,また,子供の誕生後は,本当にたくさんの方々からお祝いをいただいて,これほど子供が祝福していただいているということを親として,とても心からうれしく,また,有り難く存じました。 懐妊中は子供の誕生を楽しみに思うと同時に,初めてのことでもありましたので,無事に出産できるまではと,いろいろと不安に思うこともありましたけれども,医師の先生方を始め,たくさんの周りの人々に支えられて,順調に10か月を過ごすことができ,そして,無事に子供が誕生したことを心から有り難く思っています。 懐妊中は,未知のことの連続でございましたけれども,実際に子供が生まれてみますと,おなかにいたときこの子があの頃こんなふうに動いていたんだなとか,そういった一つ一つの過程がとても大切に,懐かしく,楽しく思い出されます。 そして,出産といいますか,子供の誕生というものは,本当に大きな感動に満ちたものだったと言えると思います。 無事に出産できましたときには,ほっといたしますと同時に,初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て,本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。 今でも,その光景は,はっきりと目に焼き付いております。 生命の誕生,初めておなかの中に小さな生命が宿って,育まれて,そして時が満ちると持てるだけの力を持って誕生してくる,そして,外の世界での営みを始めるということは,なんて神秘的で素晴らしいことなのかということを実感いたしました。 また,生まれたての子供の生きる力というのを目の当たりにいたしまして,子供っていうのは,変な言い方ですけれども,本当に生きるために,そして,親に愛されるべくして生まれてくるんだということを強く感じました。 この懐妊の期間,そして出産に至るまで皇太子殿下には,その過程をすべて共有してくださって,近くで私を励まし,支え続けて下さったことに心から感謝を申し上げております。 また,天皇皇后両陛下からも懐妊の期間,そして,誕生後これまでずっと本当にお細やかにお優しいお心遣いをいただいておりまして,このことに言葉では言い尽くせない感謝の気持ちで一杯でございます。 問2 高松宮妃喜久子さまが月刊誌の寄稿で,お子さまについて「雅子さまは私の望みにもきっと再びお応え下さるだろうと思います」,「好もしい出産の順序として,俗に『一姫二太郎』とも申します」と書かれましたが,手記を読まれて両殿下はどのようなご感想をお持ちですか。 また,将来はご自分の体験を踏まえ,敬宮さまにもご兄弟,姉妹がいらっしゃった方がよいとお考えでしょうか。 よろしくお願いします。 高松宮妃殿下には,今回子供の誕生に当たりましてあのようにお心のこもったお祝いの文章をお書きくださり,また,素晴らしいお歌をお詠みくださいましたことを心から有り難く存じております。 妃殿下には,これまでも優しくいろいろと心に掛けてくださっていましたので,今回子供の誕生をお喜びいただいていることを大変うれしく有り難く存じています。 問3 両殿下にお尋ねします。 敬宮さまを日々の触れ合いの中で何と呼んでいらっしゃいますか。 成長振りを示すエピソードや印象に残る出来事,子育てをしている中でうれしく思ったり,反対に苦労されていることがあればお聞かせ下さい。 殿下は先月のご会見で「父親としてできるだけ子育てに関わっていきたい」と話されました。 これまでの皇室にない新しいスタイルだと思いますが,お考えをもう少し詳しくお話しいただけませんでしょうか。 愛子の名前を基に様々なバリエーションがあるということは,この前の2月の誕生日の会見の折に申し上げましたけれども,一例を挙げれば「愛ちゃん」です。 子供はその時々によって表情が変わりますので,なんとなく,その時々によって呼び方も変わってしまいます。 愛子も体も大きくなってきまして,また体の動きも出てきましたし,発語の回数も増えて,また物を目で追う追視もよく見られるようになってきました。 最近では,離乳食の準備の為に,麦茶であるとか,それから野菜スープ,それからリンゴやみかんの果汁などを飲むようになって,成長の様子が見られ,とってもうれしく思っています。 親であれば誰でもそうだと思いますけれども,子供と顔を合わせた時にニコッて笑ってくれる時が最もうれしい時ではないかと思います。 私たちは今まで様々なことを協力し合ってやってまいりました。 子育ても協力していろいろとやっていきたいと思っています。 子育てに関わることによって,子供との一体感を感じますし,また,夫婦の一体感も感じます。 子育てには父親の役割もとても大切なのではないかと思います。 私も成長の過程で,父の陛下から多くのことを学びました。 子供が誕生しまして4か月になりますけれども,子供の成長というのは本当に早いものだなというのが実感でございます。 体も段々と大きくなってまいりますし,また,いろいろな事も日々少しずつではありますけれども,気がついてみると,新しくこんな事も出来るようになっていたんだということで,本当に日々発見の連続という感じでございます。 最近では,自分の手を使って,自分なりのいろいろな遊びを楽しんでいる姿がよく見られます。 また,このごろは,ぬいぐるみやお人形さんなどを見せますと,大変興味を持ってじっと見つめてニコッとそのお人形やぬいぐるみを見て笑ったり,それから手を伸ばして触ってみたり,また小さいものでしたら,それを手でつかんで口に持っていったりというようなこともいたします。 また普段,私,よく首にスカーフを巻いているんですけれども,このスカーフに大変興味を持ちまして,そのスカーフをつかんで左右に振ったりいろいろ引っ張ったりして,それをほどいて取ってしまうこともございます。 また,両親である私たちや,それから普段育児を手伝ってくれている職員,そういった人たちのこともよく認識していて,そういう人の顔を見ると,うれしそうに笑ったり,また声をかけると笑ったりということで,一つ一つ成長していっている姿を見られてとてもうれしく思います。 本当に殿下がお誕生日の会見でもおっしゃいましたけれども,子供というのは本当に可愛いものだなというふうに思います。 子育てについては,幸い職員の手助けもありまして,楽しく育児ができているということは本当に幸せなことと有り難く思っています。 大変だなと思うことは,やはり公務ですとか,それに関連したいろいろな用事で,育児との間で時間のやり繰りをどうしたらいいかというようなことを感じることはあります。 この点については,これまでも,皇后さま始め先輩の妃殿下方,皆様がそれぞれご苦労なさりながら工夫をしていらしたことだと思いますので,これからいろいろと教えていただきながら子育てをしていかれたらというふうに思います。 また,皇太子さまは大変育児に私を助けてくださってまして,大変子供のことを可愛がっていらっしゃるので,子供の方もお父さま大好きで大変なお父さまっ子でございます。 問4 殿下にお尋ねします。 昭和天皇,天皇陛下,皇太子殿下と,時代とともに直系皇室の教育の在り方が変わってきていますが,ご自分の経験を踏まえて敬宮さまにはどのような教育をされるお考えでしょうか。 天皇陛下は昨年12月のご会見で「私にとり家族は大切でありましたが,昭和天皇をお助けし,国際儀礼上の答礼訪問を含め,国や社会のために尽くすことは最も重要なことと考えていました」と話されました。 敬宮さまを養育されるに当たってどう思われるでしょうか。 私の父の陛下がお育ちになったときとは違いまして,私を手元でもって育ててくださいました。 私はこのことを本当に有り難いと思い,心から感謝しております。 教育に関しまして陛下がかつておっしゃったことですけれども,それはまず二つのことを陛下はおっしゃっております。 まず一つは親子兄弟が一緒に住むということ,そして二つ目は教育を学校に任せるという,この二つのことを陛下は私に,そして私の兄弟に対してしてくださいました。 一番目の点につきましては,私は常に両陛下とご一緒に住むことができましたために,常に親を見ながら育つことができたという点が挙げられると思います。 つまり,両親の姿を,両親のやり方を見ながら育つことができたということは本当に有り難いことだったというふうに思います。 私は子供にも,私たちのやりようをよく見てもらいたいと思います。 これは私たちにとっても大変責任のあることではありますけれども,また同時に,両陛下のなさりようもよく拝見して欲しいと思います。 私は,家族というものは社会の最小の単位であると思います。 家族を理解することによって社会を知るということ,これはとても大切なことではないかと思います。 二番目に陛下がおっしゃった教育を学校に任せたという点についてですけれども,陛下の場合には,したがって,出席される授業と出席されない授業というのがあったわけで,その結果として学校生活に十分浸ることができなかったというふうにおっしゃっておられます。 私は全て学校で教育を受けることができましたために,学校生活を楽しむことができて,また学校生活を通していろいろな人と知り合いになり,交流を深めることができました。 子供の教育については今後考えていきたいと思いますけれども,学校での生活を通して様々な人と交流して欲しいと思います。 また,家庭での教育も私たちの経験を基に考えていきたいというふうに思います。 それから,次に質問があった,陛下がおっしゃったことについてなのですけれども,私は家族を思うことと,それから国や社会に尽くすということ,これは両立することだと思います。 子供を育てていく過程でもって,子供には陛下をお助けして,そして国や社会のために尽くす気持ちを養って欲しいというふうに思います。 また,愛子には一人の皇族として立派に育って欲しいですし,名前のように,人を愛して人からも愛され,人を敬い人からも敬われるような人に育って欲しいです。 今後,子供からもいろいろなことを学ぶことになると思いますけれども,子供をよく見て,子供の持っている可能性を引き出すような教育ができればと考えています。 問5 敬宮さまのご誕生でご公務は変わられましたでしょうか。 殿下は先月のご会見で今後のご公務について「子供を取り巻く様々な問題にも理解を深めていきたい」,「子供に関する公務というものも,今後増えてくるのかなという感じもいたします」と話されました。 そのお気持ちをもう少し詳しく,「ご公務」をどのように考えていらっしゃるのかも含めてお話しいただけませんでしょうか。 また,妃殿下は今後のご公務の変化などについてどうお考えでしょうか。 また,外国ご訪問の要請もあるかと思いますが,両殿下はどうお考えでいらっしゃいますでしょうか。 私自身については子供が生まれてまだ日も浅いので,これからの公務が具体的にどのようになっていくのかということについては,まだよく分かりません。 けれども,ただ子供たちが愛されながら,子供らしく健やかに成長していくことのできる社会を願っていきたいと思っています。 また,具体的な公務として,これまでも毎年秋に開催されている,児童養護施設などに入って暮らしている子供たちの文化祭に,日程の都合がつく限り出席していますけれども,これからもそういった難しい境遇に置かれている子供たちには,心を寄せていきたいというふうに考えております。 また,今社会が大変な速度で変化しておりますので,こういった中で今後,子供を取り巻くいろいろな環境といったものは,益々大きな課題になっていくのではないかしらという気がいたしております。 <関連質問> 問6 第一問の関連で妃殿下に伺います。 大変不躾(ぶしつけ)でデリカシーを欠いた質問であるのかもしれませんけれども,妃殿下は生まれてきてありがとうという気持ちで胸が一杯になりましたとおっしゃった時に,私,涙ぐまれたように拝見いたしたんですけれども,その胸中にですね,どんな思いがおありだったのかと,難しい質問ですが。

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4月8日はお釈迦さまの誕生日。花祭り(灌仏会)の由来としきたりは?

さま とき 誕生 日

2016年8月1日、「水を考えるつどい」にて両親の皇太子徳仁親王(中央)、同妃雅子(右から2人目)らと。 (各事象等における身位の表記は、当時に沿う。 ) (13年)14時43分、皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子(両者とも当時)の間に第1子・第1皇女子として、ので出生。 誕生時の身長は49. 6センチメートル、体重は3,102グラム。 同日、祖父である第125代天皇明仁から(人間国宝である大隅俊平作)とが贈られる「賜剣の儀」が行われた。 刀身は約25センチで、全長約40センチ。 また、・(当時)が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した。 同年、「浴湯の儀」「命名の儀」「神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(読み:あいこ)」と命名され、「敬宮(読み:としのみや)」のを受けた。 名との由来は 「 人を 愛する者は人恒に之を愛し、人を 敬ふ者は人恒に之を敬ふ。 」 —『』離婁下 に拠る。 皇太子・同妃(当時)、そして学者 が相談して内定し、祖父の天皇(当時)も両親である皇太子・同妃(当時)の意向を尊重して命名した。 浴湯の儀に伴って行われる「」の儀式では、元長により、『』から8人10代存在したのうち最初の女帝にあたるに関する部分が読まれている。 お印のはでも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた。 平成の皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。 12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長のをはじめ政治家や、などの芸能人、、などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳して祝意を表した。 幼時には、両親(皇太子・同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた。 (平成17年)春から週2回、東京都のに通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ。 (平成18年)、に入園。 同年8月、皇太子・同妃(当時)である両親の旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した。 同年に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。 このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに贈られたものである。 この頃にはの練習なども始めている。 (平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月にに入学。 (平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りやを行う姿が報道された。 (平成22年)2月下旬からを患うなど体調不良が原因となり欠席しがちだった が、同年になって(当時の)が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日にまた学校法人学習院側も記者会見を開き同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「 」)。 (平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った。 (平成24年)には学習院初等科5年生となり、「部(は)、部などの部活動での練習にも励み、で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報道された。 (平成26年)3月にを卒業し、同年4月にに入学。 同年7月15日に自身の曽祖父母にあたる・のを初めて参拝し 、また、7月30日にを初めて参拝した。 同年8月3日、を両親との一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した。 同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、内の御所に居住する祖父母の天皇明仁と(当時、現:上皇と上皇后)を初めて一人で挨拶のため訪問した。 春からはとを始めている。 授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす。 (平成27年)70年の節目の夏には、初めての企画展示(「昭和館」東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた。 (平成28年)8月、学習院女子中等科第3学年在学中の夏休みに両親の皇太子徳仁親王同妃雅子(当時)の地方公務に初めて同行し上高地を訪れた。 同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが 、休養に努め11月に学校に復帰した。 (平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業し 、発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」 では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴り、多くの国民の感動を呼んだ。 同年4月、学習院女子高等科に入学。 (平成30年)7月22日-8月9日まで、に短期留学した。 学習院女子高等科の海外研修プログラム 首都郊外ので英語教育、更にやで英国の文化を体験した。 (元年)、の施行(前日の平成31年4月30日に祖父の天皇が退位しとなり、祖母のはとなる。 )により父の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位、母の皇太子妃雅子も立后し皇后となる。 これに伴い、内親王は第1皇女子として、天皇・皇后を両親に持つ唯一の人物となった。 (2年)3月に学習院女子高等科を卒業。 を受け、両親である天皇徳仁と皇后雅子は卒業式への出席を控えた。 同年4月より父の母校でもある文学部日本語日本文学科に入学(父天皇は、同学部史学科出身である)。 内親王を巡って [ ] を迎え、待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。 出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの市民が集った。 皇居に記帳所が設置され、また赤坂では提灯行列が行われた。 出産翌日に対面した父・皇太子は「非常に元気そうですね」という感想を述べた。 しかし、その後マスメディアに露出することを控えたため、「の遅れがあるのではないか」等といった噂・憶測が、2004年(平成16年)頃に海外メディアを中心に流れ 、一部の国内にもとりあげられた。 この状況を受け、同年6月の定例会見にては、ただちに「事実無根で不本意」と否定。 は同年9月にスナップ写真や父の皇太子徳仁親王が内で撮影したビデオ映像を公開し、事態の収束につとめた。 ビデオ映像の中には父親の皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた。 に入園してからは、の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビ報道で公開されている。 その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、敬宮愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。 2013年(平成25年)においては、「学習院初等科での成績は学年でのトップクラス」と伝えられている。 1965年(昭和40年)の誕生以降長期にわたり皇室に男子が誕生しなかったため、皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める現行の見直しの機運が高まり、皇太子徳仁親王に第一子として女子が誕生したこともまたこれを後押しした。 そのため、(平成17年)から(平成18年)にかけて、当時の首相の私的諮問機関として「」において(第117代以来の女帝として)敬宮愛子内親王の即位を念頭においた・の可能性が検討された(詳細は「」も参照)。 その後、2006年(平成18年)9月6日、が皇室で41年ぶりの男子・を出産したことで、皇室典範見直しの動きは止まった。 内親王にちなむ花 [ ] プリンセスアイコ 誕生後、以下の3種類のが愛子内親王にちなんで名づけられた。 (本社:)のピンク色のフロリバンダ「」• 園芸特産振興会のクリーム色の花「ハイネス愛」• の(創立の園芸育種会社)作成の純白のハイブリッド・ティー「ロイヤル・プリンセス」 また、河野メリクロンの「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である。 逸話 [ ] スポーツ試合観戦 [ ]• 大相撲 幼少期のの一つはの観戦。 のだけでなく下の名前や出身地もしていた。 (平成18年)初場所をテレビ観戦中に徳仁親王が対戦について話を向けると、「同士」と答えたという。 を訪問する徳仁親王が「に行く」と話すと「関の出身地の愛知県」と答えた。 (平成18年)、両国国技館にて両親と共に初めて秋場所を観戦し 、「夢じゃなかったのかしら」と述べた。 (平成19年)の大相撲秋場所14日目にも皇太子夫妻と共に訪れ、星取表に勝敗を書きこむなど熱心に観戦した。 野球 2009年(平成21年)の WBC を契機に、にも興味を持ち始め 、選手ではがお気に入りという。 (平成21年)には公式戦のデーゲーム、 - 戦()を皇太子一家で初観戦した。 運動・スポーツ面 [ ]• :競走が速く、学習院初等科では度々の選手に選ばれていた。 (平成25年)の6年生の時には校内の遠泳行事に参加し、3kmを泳ぎきった。 運動会ではに参加した。 :(平成24年)の初等科5年生時に、運動のクラブ活動として、部に入部。 初めは部を考えたが、女子の団体競技としてバスケットボールを選択した。 :幼少より親しんでいる。 (平成25年)1月、冬休みに学習院初等科の同級生グループと長野県に合宿に出かけ、レッスンを受けた。 3月下旬にも同県に一家でスキーに訪れ、練習の成果もあり上級者向けコースに挑戦した。 同年4月5日、宮内庁は敬宮愛子内親王の春休みのスキー映像と写真を公開した。 、:(平成26年)、中学生になってからはとに関心を持ち、赤坂御用地のコートや庭で、両親や宮内庁職員とプレーを楽しむことがある。 日本文化と音楽 [ ]• - 幼少よりたしなんでおり、宮内庁職員文化祭に力強い作品を出展している。 - (平成27年)2月に学習院女子中等科で行われた大会では、40枚ほどの札を取って圧勝するなど、日本の伝統文化にも親しんでいる• - 学習院初等科の4年生の時にとして管弦楽部に入部。 を担当し熱心に練習している 自然 [ ]• 観測を好み、2018年(平成30年)1月には両親の皇太子夫妻(当時)とを観察した。 誕生日会見などでも一緒に写ることがある。 迷い犬や猫、動物病院で保護された犬や猫を譲り受けている。 「ピッピ」と「マリ」 愛子内親王の誕生前より両親の皇太子夫妻(当時)が飼育していた犬。 赤坂御用地に迷い込んだ雌犬が産んだ10匹の子犬のうちの2匹。 (平成21年)に2匹共、老衰で他界した。 「由莉」(ゆり) 2009年(平成21年)4月から飼育している柴犬のMIX。 まりに似た名前を付けた。 写真撮影で一緒に写る時にしているバンダナは愛子内親王の手作り。 静養先でも行動を共にすることがある。 「にんげん」と「みー」 (平成22年)春、学習院初等科3年次に赤坂御用地に紛れ込んだ母猫の『にんげん』は、2016年(平成28年)5月に病気で死去するまで飼っていた猫である(キジトラ白MIX)。 「にんげん」は紛れ込んだ後すぐに4匹の子猫を産み、その内1匹を引き取って、「みー」と名付けて飼育している。 「セヴン」 (平成28年)より飼育している猫。 7月生まれ。 キジトラ白MIXクラシックタビー。 呼称 [ ] 父・徳仁は、自身の一人娘を誕生後の会見から一貫して「愛子(あいこ)」と呼んでいる。 平成15年(2003年)時点では、皇太子(当時)は「愛子」、記者は「敬宮さま(としのみやさま)」としている。 祖父母の・(当時:天皇・皇后)は「敬宮(としのみや)」としていた が、2006年(平成18年)以降は同様に「愛子」と呼んでいる。 マスメディアの皇室報道においても、当初はから「敬宮さま」の呼称が用いられていた が、のちに「愛子さま」へ転じ 、「愛子さま」という呼称が国民の間にも広く定着している。 愛子内親王の学習院での学校生活においては、「 敬宮 愛子(としのみや あいこ)」の名が用いられているという。 のウェブサイトでの呼称は、「 敬宮殿下(としのみやでんか)」ないし「 愛子内親王殿下(あいこないしんのうでんか)」となっている。 系譜 [ ]• 第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。 NHKアーカイブス. 2001年12月1日. 2020年5月5日閲覧。 asahi. com 朝日新聞社. 2001年12月1日. 2013年4月15日閲覧。 , pp. 140-143• 首相官邸. 2001年12月1日. 2019年7月15日閲覧。 ・・の三名• NIKKEI NET 日本経済新聞社. 2001年12月7日. の2009年6月3日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。 , pp. 143-166• , pp. 143-166• , pp. 166-168• 宮内庁 2002年2月20日. 2013年4月15日閲覧。 , pp. 248-264• 宮内庁 2002年4月2日. 2013年4月15日閲覧。 YOMIURI ONLINE 読売新聞社. 2005年12月1日. 2013年4月15日閲覧。 2010年3月6日 東京新聞「愛子さま登校できず「乱暴な子」見て不安訴え」。 なお、• MSN産経ニュース 産業経済新聞社. 2010年3月5日. の2010年12月4日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。 MSN産経ニュース 産業経済新聞社. 2013年4月15日閲覧。 朝日新聞出版 2012年6月29日. 2012年7月9日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。 真鍋光之 2014年4月6日. 毎日新聞 毎日新聞社. 2014年4月7日閲覧。 日テレNEWS24 読売新聞社. 2014年7月15日. 2014年9月29日閲覧。 MSN産経ニュース 産経新聞社. 2014年7月30日. 2014年9月29日閲覧。 『おめでとう皇太子さま雅子さま愛子さま』朝日新聞社、2001年(平成13年)発行• 2004年(平成16年)6月9日 Times online• 『週刊現代』2004年6月26日号「宮内庁が激怒、抗議へ『タイムズ』が報じた愛子内親王に関する心配事」• 『Themis』2004年8月号「雅子妃問題拡大の元凶・宮内庁の『怠慢』」• 2004年6月18日 「」• 2004年9月24日 「」動画あり• (2013年10月28日)、週刊現代オンライン、2015年7月4日閲覧。 2005年(平成17年)内閣官邸HP• 2006年9月6日 日テレNEWS24• 2012年1月7日 東京新聞WEB• (2013年12月2日)、神戸市立ブログ、2016年3月15日閲覧。 この段落の出典。 松崎敏彌(監修)『愛子さま「モノ」語り リトルプリンセスのお気に入り』天才工房、、2004年2月、初版第1刷、114-115頁。 宮内庁 2006年2月21日. 2013年4月15日閲覧。 宮内庁 2010年2月19日. 2013年4月15日閲覧。 MSN産経ニュース 産業経済新聞社. 2009年7月18日. の2009年7月20日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。 MSN産経• FNNnews• ANNnews• 週刊女性自身2012年2月28日号• 2010年12月1日 日本テレビ24• 2011年12月8日 TBS NES i• 2008年5月2日• 平成22年 宮内庁• 平成23年 宮内庁• 参考文献 [ ]• 椎谷, 哲夫『敬宮愛子さまご誕生 宮中見聞記』明成社、2002年、初版第二刷。 外部リンク [ ]• - 第1皇女子として愛子内親王の略歴掲載•

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4月8日はお釈迦さまの誕生日。花祭り(灌仏会)の由来としきたりは?

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4月8日は各地のお寺で花祭りが行われる 何かをつくるのに失敗したときや壊れてしまった時など「お釈迦になる」と表現することがある。 これは江戸の鋳物師の隠語で、一説には、「火が強かったから失敗した」と言うはずが、「ひ」が「し」になる江戸っ子なまりで「しがつよかった」になり、「四月八日(しがつようか)」に通じるから、「お釈迦になる」とシャレたのだという。 何故、釈迦の表現を使ったのかというと「しがつようか=4月8日」はお釈迦さまの誕生日とされているからだ。 しかし、お釈迦さまがいつ生まれたのか、明確に記録した資料はないようだ。 お釈迦さまが生まれた年でさえ、紀元前11世紀から紀元前4世紀の広い範囲で諸説あるほどで、誕生の日は伝統的にそう信じられてきた日であるとしか言いようがない。 たとえばユーラシア大陸の中央から東部にかけた地域で信仰されてきた大乗仏教(北伝仏教)では、中国暦の4月8日であると伝えられており、スリランカやミャンマー、タイなどに伝わった小乗仏教(上座部仏教)では、インド太陽太陰暦の2月15日をお釈迦さまの誕生日としている。 インド太陽太陰暦の2月15日はウェーサーカ祭りと呼ばれる仏教の大切なお祭りで、ウェーサーカは「第二の満月」の意味。 お釈迦さまが生まれたのも、悟りを開いたのも、涅槃に入定した(死去した)のも、この日だと信じられており、タイやインド、ネパール、カンボジアなど小乗仏教の国では、盛大な祭りが行われる。 国際連合の「国際的に認知されるべき祝祭」としても認定されており、国際的なイベントが開催されることもあるようだ。 中国暦の4月8日はどうかというと、現在の中国ではあまり大きな祭事ではないが、5世紀の『洛陽伽藍記』に記載されている内容には、釈迦像を神輿に載せて行列を作り、町中を練り歩いたことが記されているという。 日本における灌仏会とそのほかのお祭り 京都雨宝院の花まつり 日本では大乗仏教が主流だから、4月8日をお釈迦さまの誕生日とし、灌仏会(かんぶつえ)を開く寺院が多い。 別名は「降誕会(ごうたんえ)」や「仏生会(ぶっしょうえ)」「浴仏会(よくぶつえ)」「龍華会(りゅうげえ)」。 桜の花の開くころと重なることから「花祭り」「花会式(はなえしき)」と呼ぶこともあり、寺院の入口にポスターが貼られているのを目にしたことがある人も、少なくないだろう。 ただし、お釈迦さまの生まれたルンビニ園に花が咲き乱れていることに由来して「花祭り」や「花会式」と呼ぶようになったとする説もあるから、「花」が桜を意味するとは限らない。 灌仏会は大乗仏教系の寺院で行われ、参詣者は自由に参加できることが多いが、日蓮正宗など、お釈迦さまを本仏としない宗派では開かれない。 日本で灌仏会が最初に行われたのは、推古天皇14(606)年のこと。 『日本書紀』には、この年の4月8日に、銅と繍(ぬいもの)の丈六(1丈6尺、約4. 85m)の仏像がそれぞれ完成したことや、この日に開かれた斎会に、数えきれないほどの人が参集したことが記録されている。 また、飛鳥寺の金堂に仏像を安置しようとしたが、戸よりも大きかったため戸を壊して入れようとしたところ、鞍作鳥(くらつくりのとり)が工夫をしてどこも壊さずに安置したともある。 鞍作鳥の仏像はアルカイックスマイルと呼ばれる微笑を特徴とし、法隆寺の釈迦三尊像も彼の作品。 飛鳥寺での灌仏会は、腕の良い仏師に2体もの仏像を作らせるほど、重要な祭りとして始まったのだろう。 丈六は仏像の高さとしては一般的で、繍の仏像とは曼荼羅などの布に刺繍された仏像を指すようだ。 ちなみに盂蘭盆会が始まったとされるのも同じ年だから、この時代に仏教の祭事が日本に定着したと思われる。 ウェーサーカ祭りを開催する小乗系の寺院もあり、「ウェーサーカ」が転訛して「ウエサク」あるいは「ウエサカ」と呼ばれることも。 有名なのは鞍馬寺で5月の満月の夜に開催される「五月満月祭」の秘儀、「ウエサク祭」だろう。 古来天から強いエネルギーが降り注ぐと信じられてきたこの日、満月に清水を捧げ、すべての目覚めと平安のために祈られている。 灌仏会と甘茶 お釈迦さま誕生の際、九頭の龍が天から清らかな水を降り注いで産湯としたとする伝説から、日本の灌仏会では、右手を天に向け、左手を地に向けている釈迦像に甘茶を掛けて祝うならわしがある。 「灌仏桶」と呼ばれる浅い器に甘茶を満たしてあるので、参詣者は柄杓で甘茶をすくい、真ん中に安置された釈迦像に掛ける。 この像が何故右手を天に向け、左手を地に向けているというと、お釈迦さまは母親の摩耶夫人の脇から生まれ、そのすぐ後に七歩進んで、「天上天下唯我独尊」と、天と地を指して唱えたという伝説による。 この言葉は、「この世界で我ただ一人が尊い」という意味であるが、「お釈迦さまが俗界で苦しむ人々を救うために誕生したから尊いのだ」と説明されることもあり、「この世の人はすべてただ一人の人だから、すべて等しく尊い」と解釈することもあるようだ。 大きな寺院では、参詣者に甘茶が振る舞われることも多く、このお茶をつけて赤ちゃんの頭を撫でると丈夫に育つと信じられている。 また、このお茶で墨をすって習字をすると字が上達するほか、白い紙に「千早振る卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」と書き、逆向けにして柱に貼ると、害虫除けになるとも信じられているようだ。 甘茶とはユキノシタ科の落葉低木落葉性の低木アジサイの変種の若い葉っぱを蒸してからもみ、乾燥させたものを煎じて飲む。 甘味成分のフィロズルチンとイソフィロズルチンを含有しており、ショ糖の400倍以上の甘さがあるとか。 ただしあまり濃い甘茶を飲むと中毒を起こすので、厚生労働省は2~3グラムの甘茶葉につき1リットルの水で煮出すことを推奨している。 もう少しすれば水も空気も暖かくなり、外出に最適な季節となる。 4月8日に花見をするなら、そばの寺院にも足を延ばして参詣し、灌仏会に参加してみてはいかがだろうか。 厚生労働省のサイト.

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