場面 緘黙 症 芸能人。 専門家に聞く、場面緘黙(かんもく)について知っておきたいこと

緘黙症って何?~場面緘黙症Journal

場面 緘黙 症 芸能人

池上正樹 [ジャーナリスト] 通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。 1997年から日本の「ひきこもり 」界隈を取材。 東日本大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。 新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』 河 出新書 他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。 TVやラジオにも多数出演。 KHJ全国ひきこも り家族会連合会本部広報担当理事。 東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。 YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』• 彼らはなぜ「引きこもり」するようになってしまったのか。 理由とそうさせた社会的背景、そして苦悩を追う。 ある特定の場面では何も話せなくなる「場面緘黙(かんもく)症」という症状については、以前も当連載で取り上げた()。 「引きこもり」の背景にある状態の1つとされながら、原因が精神疾患や脳機能障害では説明のつかない「緘黙症」。 なかには、特定の場面だけでなく、家族を含めて、すべての場面において話すことができない「全緘黙症」になる人もいる。 最近わかってきたのは、そんな状態が長く続くことによって、社会的制約を受け続ける「大人の緘黙症」の存在だ。 幼稚園の女性教諭に怒られ 自信喪失、緘黙症に かつて大手メーカーに勤めていた30歳代のAさんは、幼稚園生のときから緘黙症に苦しんできたという。 Aさんの場合、幼稚園に入園するまでは「活発な子どもだった」らしい。 「担任の女性教諭に怒られた記憶があるんですね。 いま思えば、ブチ切れたような怒り方。 自分としてはショッキングで、それまでの自信とかプライドが、すべて粉々になった瞬間でした」 緘黙症になる人は、そのきっかけを覚えていることが少ない。 気づくと、周囲の人間関係にうまくなじめなくて、不安が強くなっているのだ。 Aさんは、何かで教諭に怒られたことによって、自信が崩壊。 その直後から、自己表現ができなくなって、自分を出すことがなくなったという。 合唱の時間のときは、いつもバレないように歌うふりをして、周りに気を遣った。 小学校に入学してからも、国語の音読ができなかった。 国語の時間、先生に当てられて、どう切り抜けたのかは、よく思い出せないという。 ただ、運動は、マットも鉄棒も得意だった。 そのことは、自信につながった。 「遠足のとき、1人ぼっちで、お弁当を食べていたら、担任の先生が一緒に食べてくれました。 その先生と信頼関係ができたことで、少し症状が改善して、国語の時間もしゃべれるようになったんです」.

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大人しい優等生タイプを社会に出てから苦しめる“大人の緘黙(かんもく)症”のリアル

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どのような症状で、周りに人はどのように考えるのがよいのか?実際の当事者の方や家族の方から、放送前にを一部引用し、 「こころの支えになったこと」 「言われて嫌だったことば」をまとめました。 ほんの小さな一言や、ちょっとした事が、当事者にとってはもの凄い救いや励みになる事も多いと思います。 最初は一切返事ができなかったのが、頷いたり首を振ったりするようになり、それだけでも褒めてくれ、次は声を出して少し返事ができるようになり…、とだんだん話せるようになっていきました。 その対応がすごく有難かったです。 喋らないし笑わない私なんかに話しかけても、つまらないはずなのに… 優しく接してくれ、本当に嬉しかったです。 そんな人たちに「ありがとう」って言いたくても言えなくて、胸が苦しかったです。 自分のことを肯定的に見てくれる環境ではリラックス出来てことばも出やすいです。 母は、一時期は落ち込んだものの、「私が変われば子どもも変わるかも」と思い、幼稚園の会長に立候補。 母が頑張る姿を見せてくれました。 私に心配オーラをかけず、母が何かに一生懸命だった姿を見れたことは、当時の私に大きな安心感を与えたと思います。 小学校で声が出るようになりました。 話せないのに沢山話しかけてくれたり、コミュニケーションの方法で、指や手を使って答える方法を考えてくれた先生や同級生もいました。 割と安心して過ごせてると思います。 後は少しづつ背中を押して行きたいんですが、はじめの一言がどうしても怖いんだと思います。 大学で自分の過去を知らない人達だけの環境になり、緘黙を克服できました。 そして現在小児科医です。 2年の頃は授業中に発言をしなくてもいいように先生が配慮してくださいました。 高校時代は先生と手紙のやり取りをして恵まれていたと思います。 他に病気があるのでそのことも クラスメイトからは「何故喋らないのか分かったから良かった。 教えてくれてありがとう。 わからないことを質問できなかったり困ったこともたくさんあったかと思いますが、 先生とクラスメイトに恵まれ あまり嫌な思いはしていないようです。 小学校には今も悪い思い出は残っていないようです。 小学校もやはりサポートは必要かもと思い、支援学級に在籍しています。 たまたま同じ学年で支援を受ける子があと3人いて、我が子を入れた4人で国語、算数は勉強しています。 ほどよい少人数学級となり、そこでは音読も徐々にできるようになったり、質問に挙手をして発言していると聞いています。 他の教科は通常クラスなので、やはりクラスではしゃべらないそうです。 休み時間もしゃべってないようですが、楽しそうに遊んではいるようです。 小学校のクラスメートに恵まれ、声を出しても「しゃべった!」と言われたり、「しゃべってみて!」とせがまれることもなかったようで徐々に学校内でもしゃべれるようになりました。 自分に自信が持てるようになったことも大きいと思います。 あせらず根気よく見守っていくことが大事だと思います。 発表の形を、フラップを上げる。 などの形にしてくれたりと先生方が工夫してくれました。 また担任によっては交換日記をしてくれ交流を図ってくれました。 そのせいか、学校の先生に褒められて嬉しかったことはよく覚えています。 『あなたの絵が一番好き』や、『なんで話さないの?』に『話さないんじゃないよな。 』とフォローしてくれた先生。 これらの先生の言葉はとても嬉しかったです。 また中学以降は、自分のことを肯定的にとらえてくれた友達や特に当時の彼氏の影響は大きかったです。 私自身、言えばいいのになどと、本人の辛さも分からずに、簡単に言ってました。 理解がある人の中でだと、とても成長できるということが分かりました。 筆談コミュニケーションに対しても、何の抵抗もなく受け入れて下さり、決して発語を強いず、会話に代わる手段を認めて下さったことが、本人もとても嬉しそうです。 」と説明してもらったりしました。 先生方、保護者の方、お友達、皆さんが娘のことをよく理解してくれて、色々な形で助けてもらい、支えられて、少しずつ改善してきたのだと思います。 やはり、まずは回りの人の理解と信頼関係、特に先生との信頼関係は、とても大事だと思います。 最初は小声でなんとか受け答えはできる友達だけでしたが、そのうち私もそっちで食べたいというクラスのコが増えてきて、しゃべれなかったけど、教室よりは食べられるようになりました。 一方で「言われて嫌だったことば」も。 また、お友だちからしゃべらなくてバカにされてるや、話すと話した~など言われると余計に嫌だったようでした。 人の言葉や人の目が気になってしまうのかなって感じます。 そして怖いって思って話せなくなるのかも。 私も幼い頃は気の許す人しか話せませんでした。 強く言う人にも言い返せず言われたい放題。 母には気にするな。 そう言ってる人の方がバカなんだと言われていました。 なので、娘にも話さなくてバカにしてくることなんておかしい。 話したくてもなかなか声がでない子だっているのだから。 娘にも伝えたりしてました。 最近はお友だちもできて学校も楽しいといってます。 娘の凄いなと思うところは声があまりでないのに手を挙げるのです。 でもその時の先生が近くまで行ってくれて聞いてくれたので良かったと思いました。 きっと先生の接し方も大切だと思いました。 とにかく恐怖を与えないことですね。 ずっと声がでないとか困るとか酷い事言って脅かさずに、おだかやな人や明るい人といたら話せる子がいたみたいなので人って怖くないよって周りのみんなが安心させてあげたらきっと大丈夫なのかなと思いました。 今、話せなくても大丈夫です。 ちょっとの勇気を出したらそこからは道が開けると思います。 私も学校のPTAをやります。 副会長です。 子供の頃の自分なら絶対に無理です。 でも人って成長します。 だからきっと今は辛くても2年後ぐらいには良くなってます。 ちょっとずつ出来ること増やしていけば大丈夫です 投稿:りこ 2018年03月24日(土曜日) 07時23分 私は、この春から高校生になる女子です。 私がこの病気を知ったのはあるTV番組で再現ドラマがあって知りました。 今まで本当に苦しくて何度も泣いて勇気を出して親や相談窓口に相談しました。 でも、親には根性がない、相談窓口ではただの人見知りだと言われ、とてもショックでした。 小4ときはクラスの男子に「なんで喋らないの?」と言われました。 自分でもなんで喋れないのかわかりませんでした。 でも、「わからない。 」も言えませんでした。 しかも自分は学校では無表情なのでさぞかし気持ち悪かったと思います。 学校で笑えるようになったのは本当に最近の事です。 私はクラスメートや教室だと話せないのですが、学校から出ればそういう人とも喋れるし、大きな声も出るんです。 だから今いる友達は同じ部活の人だけです。 それでも、やっぱり学生のうちは学校が全てみたいなものなので学校や教室、クラスメートと普通に喋れてる人を見ると羨ましく感じるし、そんな簡単そうなことが出来ない自分が惨めに感じるし、とても悲しいです。 でも、これから通う高校は知らない人がほとんどなので今までと違う自分になれそうです。 今ここに書いて少し気が楽になりました。 私と同じ人がいて本当に良かったです。 ありがとうございました。 長文失礼しました。 投稿:moka 2017年04月02日(日曜日) 11時59分 私は、幼稚園の年長から中学3年までそうでした。 幼稚園の入園がきっかけでした。 当時はこの症状に理解はなく、私自身もどうして話せないのかわかりませんでした。 辛かったのは伝えたい事を簡単に言葉で伝えられないので友達とのコミュニケーションを諦めてしまう為友達は少なく、心ない言葉でした。 同級生には「暗い」「この子喋れない」「聞こえません」「どうして喋れないの?」と言われてしまいました。 中学の時に男子にあだ名を 「お通夜」とつけられたのはショックでした。 親にも知能障害のある子供の学校に行かせると言われ、小学校の教頭先生には「こんなんで中学に行ったら駄目だから喋ったほうがいい」と言われました。 高校に入学して環境も変わり、友達と話せるようになりました。 最近まで場面かんもく症は知らなかったので、私だけが特別に苦しんでいたと思っていました。 投稿:まゆ 2017年03月01日(水曜日) 10時13分 私も場面緘黙です。 家の中でしか、ふつうに喋れません。 私が喋れないことにきずいたのは、小5の時です。 私は人見知りと思っていて、クラスの人、先生、近所の人とは話した記憶がないです。 特にクラスメートは特定の人しか話せなくて、仲がいい人と話しているときに他の人が入ったくると、喉がキュっとなる感じで喋れなかったので、ずっと笑顔でごまかしたりしてました。 けど内心は「うわ、なんでくるの…ずっとこの二人でいたたのに」とイライラしてました。 だからって入ってきた人が嫌いってわけではなく、喋れなくなるキッカケになるから嫌でした。 そんなある日ふと思いました。 なんでみんなはふつうなんだろう。 みんなは誰とでもふつうに話せてる。 私は人見知りだから話せないと思ってたけど、さすがに喋れなさすぎるんじゃないかと思いました。 そう悩んでいる時、テレビで私と似ている子が再現されていました。 私は病気なのかと考えました。 私なりの結論は病気じゃなくて私の性格と思いました。 小6の時に不登校になりました。 その時は学校に行っても楽しいことが一つもなくてつまんなかったからです。 勉強も嫌いで点数も悪いし、友達と話していても楽しくない。 これだったら家にいて怒られた方が良いと思いました。 そして中1になりました。 不登校の人が通う学校みたいなところに通いました。 そこはすごく楽しい先輩がいて話しを聞いているだけで笑いが止まらなくて、いるだけで楽しかったです。 その時、話すことの楽しさみたいなのが、話せなかったけどわかりました。 私ももし喋れたらこんなに楽しいのかなって思い、そっから喋りたい、喋りたい、と思いが強くなりました。 そして中2になりました。 私は相談室登校をできるようになりました。 その時は一つ上の先輩が吃音症で、ぎこちない喋り方でたくさん話しかけてくれました。 相談室の先生がいたんですけど、その人もいい人で、自分の身の回りで起こった面白い話しをたくさんしてくれたり、声が小さくても嫌な顔をしないで聞き直してくれたりしてくれました。 相談室は私と先輩と先生、三人で過ごしていました。 そして先生とは、夏ぐらいからふつうにはなせるようになりました。 私が学校で話せる、しかも先生と と思いとても嬉しかったです。 そして今、中3です。 今はわけあって保健室登校です。 今は先生も先輩もいません。 また話せる人がいなくなり、1人です。 話せそうな先生はいるけど、実際話そうと思うと緊張して話せなかったってなります。 そういう自分が嫌いだけど、話そうとすごく思っているのに話せなかった、それが緘黙症なんだからしょうがない、と思います。 なので高校からは、そんな自分はいない、と思うようにして、高校生活を楽しむ。 それが今の目標です! 長文になっちゃいました。 読んでくれた人、ありがとうございます。 投稿:チコ 2016年11月17日(木曜日) 01時29分 かんもくって言うんですね。 私は、場面かんもくなんじゃないかと思います。 「いい子」だったので、怒られるのには慣れてなかったからでしょうか。 中学校の時にイジメにあい、「やめて」と言えませんでした。 親に度々怒られました。 「どうして言えないんだ。 なんとか言ったらどうだ。 」「都合が悪い時は黙るよね」「親を馬鹿にしているから、話さないんだな」 相手が私に怒っている、と思うと、言葉が出てこなくなります。 相手が言っていることは正論です。 私が黙っていると、火に油を注ぐ結果になります。 でも、言葉が出てこないです。 今も、そういう傾向です。 人前で話すのは平気です。 上記の場面だけ、黙ってしまいます。 家事育児仕事、不器用にこなしています。 投稿:にじのはは 2016年09月27日(火曜日) 21時25分 場面緘黙。 まさしく、そのものでした。 今、たまたまなぜか、このページに出逢いました。 49歳女性、ママの居場所づくりに奔走しているものです。 幼稚園〜小学2年生まで、幼稚園、小学校では話をすることができませんでした。 「今度こそ話そう」「順番が回って来たら歌を歌おう」と思うのですが、いざその時がくると、怖くて、喉がぐーっと閉まるような感じになって、まわりの反応が怖くて声が出せない。。。 そんな感じでした。 幼稚園の年長の途中までは、母親が教室の外でずっと私を待っていたそうです。 ある時、急に立ち上がり、「ママ、帰っていいよ」と言ったそうですが、全く記憶がありません。 先生が泣き虫の女の子の絵本をよみきかせしていて、それに私が反応したのでは、と後に母親から聴きました。 その先生は、私が泣かなかった日か泣いた日かどちらかにハンコを押すというノートを作り、私に持たせていました。 それは、強烈に覚えています。 そのノートを見ていた母の顔は怖かったし悲しそうだった。 この先生のやり方が、私と母にダメージを与えたことは、確かだと思います。 子どもは、母の笑顔で安心するもの、なんだと思います。 何かしたらご褒美のハンコ、という発想は、「場面緘黙」の子どもにとっては、よりいっそうのプレッシャーになるものだったのだと。 そして、小学1・2年生の頃に「言葉の教室」に通わされました。 遊戯療法、というものだったかと思います。 好きなことを自由にできるところ。 そこの先生はいつも笑顔で、その先生だけは大好きで、安堵感が得られるところでした。 高校の合格発表の翌日に、「合格おめでとう!」の電話をいただいた時は、覚えていてくださったのだと母と感激しました。 思いある先生との出会いは幸せでした。 学校の中にこの「安心できる場所」ができたことで、小学3〜4年生くらいからは、クラスでも3〜4人くらい仲良しの友達ができるようになって、「恥ずかしがり屋」くらいの状態に少しづつなっていき、放課後も楽しく会話して遊べるようになりました。 ただし、近所のお友達とは、1年生からずっと、家族と同じように喋ったり喧嘩したりできていましたので、「場面緘黙」というものは、我ながら謎なのですが。 小学校時代の嫌な思い出は、1年生のとき、担任に「教科書読まないなら帰れ!」と言われ、帰ろうとしたら怒られ、廊下に立たされたこと。 2年生に進級するとき、クラス替えがあり、同級生に「あいつ、喋らないんだぞ」「馬鹿なんだぞ」と言われたこと。 同級生が花瓶を割ったのに近くに居た私の所為にされ、それを言えなかったこと。 とまぁ、いろいろありましたが、高学年のこととなると、友達と休み時間に遊んだり、楽しかったことをたくさん思い出します。 6年生のときの担任が通知表に「消極的」「おとなしい」等の言葉を書いていなかったことで母親が通知表を見て初めて明るい表情をしました。 私が場面緘黙であることを(その言葉は知らなかったけれど)母が嫌がっていることを感じていました。 授業参観では、「ここでまた声を出さないと、嫌な顔をされる、がっかりされる」という思いがありました。 しかし、この先生は「話を積極的にしなくても、いいところを見つけて褒めてくれる」ので、母も娘が「場面緘黙」だからと嫌な思いをすることがなくなり、こども心にそれを感じ取った私は、学校に行くことが楽しくなり、勉強も楽しくなっていきました。 そして、今、子どもを守るためなら、権力に対しても物申す母親になりました。 幼稚園、小学校1年の担任が今の私を知ったら、腰を抜かすでしょう(笑) 1聞かれたら、10返すくらいのオバちゃんです。 「萎縮せずに大丈夫だよ、あなたはそのままで充分なんだよ」という広く穏やかな心でまわりが見守ってあげることができれば、きっと、のびのびと育つものだ思います。 そして同時に、母親が「子どもを広く穏やかな心で見守る」ことができるよう、母親を支える存在が絶対に必要とであると思います。 長文失礼いたしました。 投稿:番長 2016年07月12日(火曜日) 12時08分.

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場面緘黙症と広汎性発達障害の関連性

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幼稚園や学校などで、たまにとてもおとなしい子供がいます。 ひょっとすると話すのを聞いたことがないとか、とても小さい声で話すとか、特定の人とだけ話すという子どもです。 言葉を話したり理解する能力があるにもかかわらず、家以外の社会的な状況で声を出したり話したりすることができないことを場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)といいます。 不安障害の一種と考えられていますが、緘黙症の人の中には、 広汎性発達障害など他の障害を併せ持つ人も存在するといわれます。 スポンサードリンク 場面緘黙症と広汎性発達障害との関連は? 緘黙症は一般的に場面緘黙症や選択性緘黙症と呼ばれ、家では話せるのに幼稚園や学校に行くとしゃべれないという心因性の病気です。 ほとんどの子供には知的障害や言語障害はありません。 家族とは普通に話し、コミュニケーションも取れることなどから、広汎性発達障害とは違い、後天性のものだといえます。 ある特定の場面で話せなくなってしまう子供達は、大人しい子・はずかしがり屋と思われてしまい、学校の現場では特に問題を起こすわけでもないので見過ごされてしまうこともあるといいます。 話したいのに話せない、場面緘黙という困難さを抱えるうえに、体が思うように動かせない緘動(かんどう)という状態になることもあります。 また、すべての生活場面で話すことができない状態を全緘黙といいます。 何故しゃべらないのかとクラスの子からいじめられたり、態度が悪いと先生から怒られたり、誤解を受けやすい病気でもあります。 今の日本では場面緘黙に対応できる支援機関や専門家も少なく、学校の先生も具体的にどうしたらいいかわからないなど、なかなか支援の手が届かない状況だということです。 場面緘黙の原因と症状とは 緘黙症の発症は2~5歳以前が多く、有病率は1%以下で、全児童の0・2%前後といわれています。 男児より女児にやや多い傾向にありますが、その理由は不明といわれています。 場面緘黙症は家族とは話せても、外部の人とは話せなくなってしまう病気ですが、コミュニケーションへの意欲について次の3つのタイプに分けられます。 対人緊張、対人恐怖、言語に対する劣等感などが強く認められることがあります。 場面緘黙の子供は効果的な教育的介入によって1、2年で克服することもあるといいます。 効果的な教育的介入を行わないと、小学校、中学校、高校、成人まで継続することもあり、早期に適切な教育的介入を行うことが大切であるといわれます。 子供の頃に場面緘黙の治療を受けたことがある成年や、大人のうちの約半数はよくなるそうです。 残りの半数は大人になっても恐れや不安を抱き、自信が無いと思っている人がいるといいます。 場面緘黙症の診断基準とは ICD-10 選択性緘黙症とは、話す際に著しい、感情的に断固とした選択性があるのが特徴であり、子供がある若干の状況で言語能力を示すが、別の(定義可能な)状況では話すことができないものである。 この障害は、通常、、、または治療に対する抵抗などを含む、際立った個性機能と関係している。 ただし以下は除外する:• 言葉と言語の• 幼児の分離不安の一部としての一時的な DSM-IV 場面緘黙症(選択性緘黙症)• 他の状況では話すことができるにもかかわらず、ある特定の状況(例えば学校のように、話すことが求められる状況)では、一貫して話すことができない。 この疾患によって、学業上、職業上の成績、または社会的な交流の機会を持つことを、著しく阻害されている。 このような状態が、少なくとも一ヶ月以上続いている。 (これは、学校での最初の一ヶ月間に限定されない)• 話すことができないのは、その社会的状況において必要とされている話し言葉を知らなかったり、また、うまく話せない、という理由からではない。 コミュニケーション障害(例えば、)では説明がつかず、また、、またはその他の性障害の経過中以外にも起こるものである。 「ウィキぺディアから抜粋」 スポンサードリンク 場面緘黙症に対する世間の対応 緘黙症の当事者の話では、話したい言葉は頭の中にたくさん浮かんでくるのに、先生や人前に出ると目の前にフィルターがかかったようになって、全く声を出せなくなるといいます。 ある環境下では基本的に楽しく話すことができても、環境がまったく変わると全く喋る事ができず、体が固まって動かなくなるそうです。 自己紹介に失敗してしゃべるのが恐くなった、幼稚園で勝手にトイレに行ったからと先生に怒られてから返事ができなくなったという人もいるように、あるきっかけによって外ではしゃべれなくなったという人が多いようです。 大人になっても治らない方の中には、外には一人も友達がいない、コミュニケーションができないなら働けないと断られたり、自分に存在価値があるのかと疑問を持つという人もいます。 実際、外では会話ができないという人は筆談やタブレットで言葉を伝えているそうです。 緘黙症という病名自体あまり知られていないように思いますが、子どもの頃一時期そうだったという人もいるようです。 そして家では明るくしゃべっている子供が、何故外に出ると黙ってしまうのか初めは家族も理解できないようです。 親の叱咤激励は緘黙症の子供を追い詰めてしまうことがあるので注意が必要です。 緘黙症の子供たちは家から一歩出ると緊張の連続で、言葉が出ない、身体が動かない、これはとても辛いだろうと思います。 心無い言葉でからかわれたり、いじめられたりすることもあり、理解のない教師からは否定的なレッテルを貼られることもあります。 このような目に見えない暴力は、場面緘黙の子どもの心に深い傷を残します。 そんな中でも話しかけてくれる子、穏やかに接してくれる先生、理解してくれる親がいると、とても勇気付けられ、嬉しいのだそうです。 場面緘黙症は周りの環境や適切な支援、温かい対応によって良い方向に向かうことができます。 価格:1,620円(税込、送料別) まとめ 緘黙症の人の中には広汎性発達障害などを併せ持つ人も存在するといわれますが、診断基準では緘黙症と広汎性発達障害は同じではないといっています。 しかし、場面緘黙児の中には「かなりの割合で発達障害を併発している」「構音障害や感覚統合の障害が見られる子どもがいる」等の報告があります。 広汎性発達障害の概念が普及する以前には、広汎性発達障害の一部は緘黙症と診断されていた人もいるといいます。 広汎性発達障害も、 場面緘黙も周囲の理解を得られにくいという点が共通しています。 親や教師、クラスメートの理解と適切な支援が、一人の子供の一生を左右してしまうのだということを、いまさらながら心に留めたいと思います。 学校の成績、肉体的な成長や健康は目に見えますが、心の成長や健康は目に見えないために軽く扱われてしまいがちです。 特に広汎性発達障害や緘黙症の子どもは些細なことで傷つきやすい一面を持っています。 些細な一言、些細な態度、何でこんなことができないのかという責める言葉に、さらに不安になり、恐れを抱き、萎縮してしまうのですね。 場面緘黙症の子ども達に笑顔がもどり、安心できる環境が準備されるように、周りも温かく見守ってあげましょう。 スポンサードリンク.

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