スピッツ 遥か 歌詞。 スピッツ 遥か 歌詞&動画視聴

198時限目:ランプ

スピッツ 遥か 歌詞

「楓」1番の歌詞の意味 まずは歌詞から見ていきます。 忘れはしないよ 時が流れても いたずらなやりとりや 心のトゲさえも 君が笑えばもう 小さく丸くなっていたこと 冒頭部分は「君」と一緒に過ごした懐かしい日々を思い出していることが分かります。 しかし、「君」が誰なのか…という点に関しては、最後まで明かされておりません。 ここで一般的に広く言われている解釈としては、 「君」=「 恋人」という捉え方が多いと思います。 なぜなら、 君が笑ってくれることで私の心のトゲ =イライラした感情、尖った暗い感情など が小さく丸くなっていく…とあるからです。 仮に「君」=「恋人」とする場合、【いたずらなやりとり】というのは、 「私のこと、好き?」 「ん~…、どうだろうね?」 「何それ 笑 」 みたいな、少しいちゃついたやり取りだと推測できます。 あくまでも妄想ですよ! では、「君」=「恋人」以外の捉え方はできないのか?と言われると、そうではありません。 自分にとって大切な人という点で考えれば大差はありませんが、 「君」=「 気の許せる友人」と捉えることもできるのではないでしょうか? 【心のトゲ】さえも笑い飛ばしてくれるような存在で、お互いにちょっかいをかけ合えるような【いたずらなやりとり】を繰り返してきた友達。 と考えて頂けたら、歌詞の内容としてもさほど違和感はないと思います。 こういった解釈に正解というのはありませんが、色々な捉え方ができるのもスピッツの魅力の1つですよね。 では、これに続く歌詞はどのような捉え方ができるのでしょうか? 見ていきましょう。 かわるがわるのぞいた穴から 何を見てたかなぁ? 一人きりじゃ叶えられない 夢もあったけれど ここも色々な解釈ができるところですよね。 まずは【かわるがわるのぞいた穴】という部分ですが、あなたはどのような穴を想像されましたでしょうか? 私は「 望遠鏡の穴」、もしくは「 紙を筒状にくるくる巻いて作った穴」だと想像いたしました。 というのも、歌詞の中に【何を見てたかなぁ?】とあることから、同じ穴をのぞいていたとしても共通の対象物を見ていた訳ではないことが伺えます。 仮に同じ風景を眺めてみたとしても、君が見ていたのは偶然飛んでいた鳥だったかもしれないし、面白い形をした雲だったかもしれない。 ただ、ここの重要なポイントは「穴からのぞいて見た景色」ではありません。 「 君と一緒に過ごした時の思い出」と「 穴をのぞいている君の姿」ですよね。 どちらも冒頭部分の【忘れやしないよ】に関係いたしますし、【かわるがわるのぞいた穴】とあるので、君が穴をのぞいている時、自分はそんな君の姿をみていた…と考えるのが自然ではないでしょうか? そして、君の姿を見ていた自分はこう思うのです。 【1人きりじゃ叶えられない夢もあったけれど】と。 日本語で「けれど」を使うときは、大抵の場合は前文と比べて反対の内容が続きます。 しかし、この後に続くサビの部分では【さよなら】とあります。 これをそのまま繋げて解釈してしまうと、意味がおかしくなってしまいます。 【一人きりじゃ叶えられない夢があったけれど さよなら…】であれば、一人きりのままですし、叶わない夢も叶わないままです。 なので、この「けれど」の後に省略されている文章があると考えました。 推測ですが、正しい意味で捉えるとしたら、以下のような文章になると思います。 【 一人きりじゃ叶えられない夢があったけれど… 君と二人だったら叶えられる気がしたんだ 】 そしてサビに入っていきます。 さよなら 君の声を 抱いて歩いていく ああ 僕のままで どこまで届くだろう ここで、君の「さよなら」という言葉を最後に別れてしまったことが明らかになりますが、この別れが「 普通のお別れ」か「 死別」かどうかは解釈が分かれるところですよね。 公式から明言されていない以上、どうしても推測になってしまうのですが、仮に「普通のお別れ」だとしたら君の声を【抱いて歩いていく】ことまでするでしょうか? 比較的少数派の意見かもしれませんが、「全く無い」とは言い切れないですよね。 なので、両方のパターンの解釈をしてみました。 最初に「 普通のお別れ」だった場合を想定していきますね。 この場合、【一人きりじゃ叶えられない夢】を叶えられるほどの魅力を持つ君から「さよなら」という言葉をきっかけに別れてしまったことで、心に深い傷を負い、それを背負いながらこれからも歩いていく、という解釈であれば説明はつくでしょう。 ただ、この解釈で進める上で注意しなければならないのが、 別れた理由は明らかにされていませんが 君の方から僕に「さよなら」と切り出してきた点と君が生きている点になります。 また、これに続く歌詞の【僕のままでどこまで届くだろう】の意味が分かりづらくなってしまうため、曲解する必要が出てきてしまいます。 分かりやすく整理するために「さよなら」の部分から上述した意味で通して考えてみると、以下のようになります。 さよなら 君の声 をきっかけに負ってしまった心の傷 を 抱いて歩いていく あぁ… 傷ついた 僕のままで どこまで届くだろう 文脈の流れを考えると最後の「届く」という表現は、「僕のままで 未来に 届く」という解釈をして、「生きていく」というニュアンスに近くなるかな…と思いました。 なので、「どこまで生きていけるだろう」という解釈をしました。 ここまでが「普通のお別れ」の場合だった時の解釈になります。 次から「 死別」だった場合の解釈です。 恐らく、ほとんどの人はこちらの解釈のほうが想像しやすいかもしれません。 大切な君が亡くなる最期に残してくれた言葉が「さよなら」であれば、その言葉を抱いて歩いていくのも、歌詞の通りに理解できますからね。 もしくは、亡くなってしまった君に対する僕の言葉が「さよなら」だとしても、「君の声を抱いて歩いていく」の部分にしっかり繋がります。 また、避けられない別れであったことを考えれば、冒頭部分の「忘れやしないよ」という言葉もより一層深く響くのではないでしょうか。 続く【僕のままで どこまで届くだろう】の部分ですが、この場合だと、君と僕を対比させているようにも考えられます。 つまり、 君は天国という遠いところへ旅立ってしまったけど、僕はまだこの世界で生きている、というカンジですね。 このように考えることで、【僕のまま】という表現もその言葉のまま理解することができます。 まとめると、 生きている 僕のままで 亡くなってしまった君への思いは どこまで届くのだろう という解釈をいたしました。 スポンサーリンク 「楓」2番の歌詞の意味 探していたのさ 君と会う日まで 今じゃ懐かしい言葉 ガラスの向こうには 水玉の雲が 散らかっていた あの日まで 1番と同様に、君に関する記憶を思い返している歌詞になりますね。 ここで出てくる【探していた】のは何だったのでしょうか? それは【君と合う日まで】とあることから君そのものに関することで、今では懐かしい言葉 聞かなくなった言葉 とあります。 ところで、1番の冒頭では「君」が誰なのかについて「 恋人」か「 気の許せる友人」の可能性を挙げましたが、どちらであるかによってこの部分の意味合いも変わってきてしまいますよね。 仮に前者の場合でしたら「 愛、愛情、愛している」といった言葉が思い浮かびますし、後者の場合でしたら「 親友、友情」といった言葉が思い浮かびます。 しかし、君と別れてしまった今では、君に代わる存在はなく、それらの言葉も「 懐かしい言葉」になってしまったと考えられます。 これに続く歌詞に【ガラスの向こうには水玉の雲が散らかっていたあの日まで】とありますが、ここには2つの意味が隠されていると推測しました。 まず1つ目が 季節です。 「水玉の雲」について調べてみると、 巻積雲という言葉が見つかります。 これは秋に見られる雲の一種で、俗称では「うろこ雲、いわし雲、さば雲」とも言われておりますね。 曲のタイトルに「楓」とあるように、 紅葉が美しい季節に君と出会ったことが伺えます。 そして、2つ目が 君と合うまでの僕の様子です。 上記の歌詞を【水玉の雲が】のところで文を切ると、【散らかっていたあの日まで】という文が残ります。 この部分だけに焦点を当ててみると、 何かに熱中できることもなく、ほとんどが中途半端で散らかっていた日々を過ごしていた様子が伺えます。 風が吹いて飛ばされそうな 軽いタマシイで 他人と同じような幸せを 信じていたのに 魂という漢字をわざわざ、「タマシイ」とカタカナで表記している点については、恐らく1つの意味だけではなく、複数の意味を持たせているからなのでは…と考えました。 1番の曲のサビの解釈として「死別」の可能性を挙げましたが、その場合で当てはめてみると、この部分は君と僕の両方の視点から描かれている歌詞という風に思えませんでしょうか? 仮にですが、 君の視点から見た時の「タマシイ」は「 命」、 僕の視点から見た時の「タマシイ」は「 覚悟」、 のように解釈すれば、 【君と出会った日】からの僕と君の感情を表しているようにも考えられます。 深読みしてしまうと悲しくなってきてしまうのですが、最期の「のに」という表現の後ろには反対の内容の言葉が続きます。 「けれど」の場合と同じように、ここでも文が省略されていることになりますね。 【 他人と同じような幸せを信じていたのに それさえも叶わなかった 】 これから 傷ついたり 誰か 傷つけても ああ 僕のままで どこまで届くだろう 【これから】というのが、君とお別れしてしまった後のことを指しているのは分かりやすいのですが、その後の解釈が少し迷いました。 【傷ついたり 誰か 傷つけても】とありますが、人と関わって生きていく以上、 心もとない言葉などで 傷ついたり傷つけてしまったりする場面は想像できますよね。 誰もがそういった生活を通して、日々成長したり、学んだりするのだろうと思います。 ただそういった経験を積んでいくということは、過去の自分と未来の自分が、必ずしも同じ自分ではないことも意味します。 極端な例を出せば、18歳の頃の自分と60歳になった時の自分は全く同じかどうか…という例を考えて頂ければ分かりやすいかと思います。 では、この内容に続く【僕のままで どこまで届くのだろう】という歌詞は、どう解釈するのが自然でしょうか? 【僕のまま】というのは、おそらく「 君が知っている僕のまま」ということでしょう。 【どこまで届くのだろう】というのは、行き先を「未来」と考えれば「どこまで生きていけるだろう」という解釈になりますし、「君のいるところ 天国 」と考えれば意味はそのままで、暗に「君の後を追うことを考えている」ような捉え方もできます。 どちらの可能性も踏まえつつ、次の歌詞を見ていきたいと思います。 瞬 まばた きするほど長い季節が来て 呼び合う名前がこだまし始める 聞こえる? 本来の瞬きは一瞬のハズですが、ここでは【長い季節】と表現していることから、 現実の世界ではない可能性も考えられますね。 仮にそのように考えた場合、その世界で【呼び合う名前がこだまし始める】のも理解しやすいかもしれません。 こだまし始める、君の名前と僕の名前。 「さよなら」という言葉を最後に別れてしまった君との、夢にまでみた会話。 「 聞こえる…?」 「 聞こえるよ…!」 なんてやり取りをしているのかもしれません。 「もう上記の解釈だけでいいや」とも思ったのですが、現実的な解釈も紹介しておきます。 もう1つの解釈としては、 時間の移り変わりを表現しているという考え方です。 過去、君と過ごした季節は 瞬きするほど の時間だったけど、 現在の僕にとっては 長い季節が来て…というカンジです。 続けて意訳していくと、 そして、この季節 秋 になるたびに、僕の記憶ではお互いに呼びあった名前がこだまし始めるんだ。 君にも聞こえているかな? という具合でしょうか。 ただ、個人的には最初に紹介した解釈のほうが好きですね。 次でラストですね。 さよなら 君の声を 抱いて歩いて行く ああ 僕のままで どこまで届くだろう ああ 君の声を 抱いて歩いて行く ああ 僕のままで どこまで届くだろう ああ 君の声を… 最期の大サビで「ハッ…!」と気付かされますが、最初の「さよなら」は君の言葉だったはずですよね。 もしくは、僕が君に言った最期のお別れの言葉であった可能性もあります。 仮にその言葉を抱えながら「君のいるところ 天国 」まで歩いていくと考えたら、少し違和感が残りませんでしょうか? 君に会いたいという思いから後追いを考えるのに、「さよなら」という言葉は抱いて行きたくないですよね。 もしくは、僕から「さよなら」とお別れを告げた直後に、自ら会いに行こうとするのも少しおかしい気がします。 なので、最後の歌詞はそのままの意味で解釈いたしました。 また、ケースとしては死別してしまったという考えに基いて書いてあります。 「さよなら…」君の声を 抱いて 今後の人生を 歩いていく ああ…、 生きている 僕のままで 天国にいる君への思いは どこまで届くのだろう 歌詞を繰り返しているのは、 君がいないのは辛いけど君の分まで頑張って生きていくよ…という僕の気持ちを強調しているのではないかという風に考えました。 解釈の違いや、これ以外の解釈がございましたら、ご教示頂けると嬉しく思います! 以上、最期までお読みいただきありがとうございました。 投稿から1年以上経っておられますが、ふとこの曲を思い出して検索したところ、この記事にたどり着いたので、投稿させていただきます。 いろいろな感じ方があるのだなぁと、感心して読ませてもらいました。 その中で、私ならこう解釈するという点をいくつか。 前提として、恋人あるいは配偶者との死別と考えています。 『かわるがわるのぞいた穴』 望遠鏡という、考えは同感ですが、実際に覗いているというよりは比喩だと思っています。 恋愛や結婚というレンズを通して未来を見ていた、という感じです。 『(「恋愛の望遠鏡」を共有して)かわるがわるのぞいた穴から、(君は)何を(どんな未来を)見てたかなぁ? (僕の見てた未来の中には、)ひとりきりじゃ叶えられない夢もあったけれど』 『さよなら』 別れの言葉は『僕』から『君』に向けてのものだと思います。 なぜなら、その後『君の声を抱いて歩いていく』と決意を表しているので、そのほうが自然かな?と思いました。 『君の声』 これは、「何か具体的に言われた言葉」ではなく、沢山ある「君との思い出」の象徴として「声」と表現しているのではないかと思いました。 『君の声(君との思い出)を抱いて歩いていく』 『僕のままでどこまで届くだろう』 上記の『のぞいた穴』の解釈から、「君に届く」というよりは「未来へ届く」と、解釈しました。 『(ひとりきりの)僕のままで(あの頃見ていた未来に)どこまで届くだろう』 あの頃見ていた未来の中には、ひとりきりじゃ叶えられない夢もあったけれど、君との思い出を大切に、どこまで届くか、行けるだけ行ってみるよ! そして、その道のり(『瞬きするほどの長い季節』)の果てに、『呼び合う名前がこだまし始める』 のではないでしょうか? 最後に歌詞の解釈ではないですが、 『楓』の花言葉は「大切な思い出」「美しい変化」「遠慮」です。 最後の一つは西洋でのものらしいですし、この曲にはあまり関係ないと思うのですが、前二つから考えると、 悲しい別れがあったけれど「大切な思い出」を抱いてこれからを一生懸命生きようとする「美しい変化」を歌った歌なのでしょうね。 漢字一文字の題名にもしっかりと意味が込められている、というのもスピッツの素晴らしさですね。 以上、長々と失礼しました。

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遥か/スピッツの歌詞

スピッツ 遥か 歌詞

こんにちは。 シンガーソングライターの福島亮介です。 今回の曲は「遥か」 ドラマ「Love Story」主題歌。 ザテレビジョンドラマアカデミー賞の第29回主題歌賞を受賞した曲。 2014~2015年で配信限定として「愛のことば-2014mix-」や「雪風」がリリースされていますが、この曲もCD発売に先行して実験的なDL販売がされていたようです。 発売は2001年、そんな時期からDL配信を行っていたんですね。 ひたすら伸びるサビのメロディと、少し寂しげなメロディが印象的。 バンドや弾き語り、シンプルでも少し凝ったアレンジでもあいそうな万能な曲。 それだけ無駄がなく、洗練された曲とも感じられる1曲です。 それでは、 今回も詳しく歌詞を見ていきたいと思います。 html このAメロから感じるのは、主人公の言ってしまえばさえない毎日。 「夏の色」とは絵に描いたようなキラキラした人生を表す比喩であり、そんな人生に憧れるだけの繰り返しの毎日。 「細い道」という表現も、例えば会社と家の往復だけ、休みの日にすることも大体決まっていて、という生活の幅がないような印象を受けます。 そんな細い道の中で、周りに流されたり、逆境に立たされたり、ストレスが耐えない毎日を過ごしていたのでしょう。 続くBメロでは、そんな主人公に転機のきっかけが訪れます。 html 「巡り合う」という意味をあらためて調べてみると 「思わぬところで遭遇する」「偶然かのように出あう」というような説明がありました。 ここでの「君」というのは、いろいろな解釈ができそうです。 愛しい人・大切な人とも取れるし、夢や新しい目標などとも置き換えることができます。 個人的には、あえて巡り"会う"ではなく"合う"が使われていることから、そしてこの後に続く歌詞からも、後者の線が濃厚かなと感じます。 どちらにせよ、そんな「君」にばったり出くわした主人公は、そこで 「もう一度サナギに」なります。 サナギとは一般的に幼虫から成虫へ変わるる間の時期、つまり「君」と巡り合った主人公は、また新しい自分に生まれ変われるような気分になったのではないでしょうか。 その衝撃的な出来事から、今まで積み重なったしがらみやストレス、不純物が一気に取り払われて、まるでサナギに戻りまた一から生まれ変われるような気分になったのです。 このBメロからは、Aメロで感じた悲観的な様子が払拭されるような、希望的な印象を受けます。 そしてこの後続くA~Bメロで、この状況は更に加速していきます。 html 「悲しいダイヤリー」という歌詞が目立つので、少し切ない部分に思いがちですが、むしろここは主人公が生まれ変わる傾向がわかる前向きな部分です。 そしてこのAメロで重要なのが次の歌詞。 でも主人公は、「少し怖いけど」と言いながらあえてカギもかけず旅立とうとしています。 これは何を表しているのか。 盗まれても構わない、盗まれて困るものは何もない。 つまりは、ここのシーンは主人公が過去 今までのさえない日常 と決別する様子を表しているのではないでしょうか。 「君」と巡り合い、生まれ変ることへの希望を感じた主人公の、過去への執着を取り払うような強い意志のように感じるのです。 html 今までのA~Bメロを経て、主人公の生まれ変わったような希望的な心境が伝わる場面。 背中に翼が生えたような、そしてその翼ですぐに飛べそうな気分。 とても清々しいです。 そしてその翼は、 「夢から醒めない」ための翼。 ここで言う夢とは、主人公が「君」と巡り合い一度サナギとなり、新しい自分に生まれ変われるような、力強い前向きな気持ちになれたこと、その一連を指しているのだと思います。 つまり、まるで飛べそうなくらい清々しいな気持ちであることを表しつつ、同時にこの夢からは醒めない、「君」と巡り合う前の自分には戻らないという気持ちが示されている部分なのです。 少し話が反れますが、この曲もまた、スピッツあるあるの「自殺や心中」説を耳にしますが、歌詞をじっくり読み進めるにつれて、個人的にはどうもそうは感じませんでした。 なので今回はそっちの説は少し控えて進めたいと思います。 html この2番では、「君」と巡り合う前の時期に一旦戻っているか、または一周してまた別の「君」と巡り合う前の状況にいるのかなという印象です。 退屈な時間から思わす出たあくび。 とても目に浮かびやすい風景です。 退屈を塗りつぶすようなあくびも、野暮と言いながら「幸せ」を胸に抱いたままでいることも、すべては満たされていない現状を示すサインであり、現状を抜け出したいという気持ちや憧れの裏返しなのだと感じます。 html Aメロでの解釈を固めるようなこのBメロ。 崩れそうな未来=代わり映えのない今の現状から、未来に不安を感じている様子 裸足で駆け抜ける=何にも守られていない素足でも、傷つかずに乗り越えられるという表現 まさにそんな裏ワザのような自信はないけど、 「明日にはきっと」と期待を抱いています。 明日にはきっと・・、と含みをもって終わりますが、それではこの後に続くものは何か。 1番に戻りますが、ここでもやはり「君」と巡り合うことへの期待なのではないでしょうか。 明日にはきっと「君」と巡り合い、こんな現状から抜け出したい。 そんな期待を感じる場面です。 html このサビで、今まで見てきた主人公の心境からもっと全体を見る視点に切り替わります。 そしてこの曲の本質にも触れているような部分でもあります。 「僕ら」とは今を生きる人間の総称。 それぞれ別の「君」と巡り合い、新しい自分を見つける。 そしていつかそれも日常となり、また新しい「君」と巡り合う。 そして、そこにあるのはいつも 「夢から醒めない翼」だと。 最後に サビが繰り返され、最後は 「遠い 遠い 遥かな場所へ」と締められ曲は終わります。 ここまで歌詞を見てきて、この曲はつまり人生の縮図なのだと感じました。 人でも夢でも、新しい何かと巡り合い、そこから変わっていく自分。 「遠い 遠い 遥かな場所」 つまり人生が終わるそのときまでそれは永遠繰り返されるものなのだと。 冒頭で書いたMVでの物々交換の意味ですが、これもまさにそう。 りんご=愛情、何かを想う気持ち ランプ=信念や自分らしさ、アイデンティティ 鳥かごの小鳥=大切な命、また狭い世界で行き来する日常 金の腕時計=お金 馬=力、権限や権力など 他にも色々解釈のしようはありそうですが、こういったものを日々与えたり与えられたり、奪ったり奪われたり、それが人生でありそれは果てしなく繰り返されるもの。 この約4分半の中で、こうした人生の縮図を歌っているのがこの 「遥か」という曲なのではないでしょうか。 誰にでもある 「夢から醒めない翼」、大切にしなければと思わされる1曲です。 最後までお読みいただき、ありがとうございました!.

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スピッツ 遥か 歌詞

スピッツ 遥か 歌詞

J-Pop• 前に出るような派手な曲ではなく、静かな曲ですが、草野さんの綺麗な弾き語りが引き立って聴こえるので、それが存分に堪能できる曲です。 のも美しく、メンバー以外の演奏としては、CDのクレジットによると、オルガン(は分かったのですが)とが使われているようですが、その演奏も印象的に聴こえてきて、この曲の雰囲気を高めています。 アルバム『小さな生き物』は、後に作られた、にとっての初めてのアルバムでした。 タイミングがタイミングなだけに、随所に震災の影響を感じざるを得ませんでした。 それは、震災によって心に負った悲しみはもちろんですが、(僕が言えることでないかもしれませんが)復興に対する希望や応援も含めています。 何かのラジオで、そこまで気にしていない、と本人たちは語っておられましたが、実際に聴いてみて、皆さんどうですかね?影響を受けていない、と思うことの方が何だか不自然のように感じます。 ここ大学でも、『小さな生き物』に収録されている曲をたくさん紹介してきたのですが、ほぼ全曲を通じて、このアルバム全体から受け取ったイメージはいつも共通していました。 震災によって感じた悲しみや無力感、被害を被った方々や関係者へのいたわりや鎮魂、そして、その未曽有の災害からの復興を果たすべく立ち上がろうとしている人々へ希望を与えるべく歌われた応援や労いの言葉など…無意識だとしても、草野さんの込めたたくさんの想いが、アルバム『小さな生き物』にたくさん詰まっています。 一つ目。 まず、出だしの2行の歌詞を紹介します。 * ただ信じてたんだ無邪気に ランプの下で 人は皆もっと自由に いられるものだと * ここは、何ていうか、今の生活が当たり前にずっと続いていくんだと思い込んでいる、まさに僕たちのことを表しているような歌詞だと感じます。 それはそれで、幸せなことなのでしょうけど。 しかし、そこへ来てあの未曽有の災害です。 僕たちはそこで気付いたわけですよ、命の脆さと尊さとともに、今の自分の生活が当たり前にあるものではないんだなっていうことに。 灯りや、ひいては、電気が当たり前のものではないということに。 そういうことも、実際に直面して、僕は初めて知りました。 Bメロからサビにかけての歌詞を紹介してみます。 ここは、大切な人と何か理由があって離れて、自分が取り残された、と考えることができます。 人一人に、ひとつずつ与えられた灯り…すなわち命。 その炎は微かで、時には簡単に吹き消されてしまう弱々しいものです。 しかし、だからこそ、何より尊く(尊くないといけない)、強い(強くないといけないのです)のです。 これはずっと思っていたことですが、この時期に書かれたの歌詞に、共通して出てくる単語があるんですが、それがこの【ランプ】にも出てきます。 少し書き出してみますね。 同じ時期に、これだけ共通していますからね。 無意識なのか、それとも、意図があるのなら、どんな意図があるのでしょうか。 まぁ、曲によって、同じ単語でも違う印象を受け取りますけどね。 実際は、どうなんでしょうね。 itukamitaniji.

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