あつ森 はしごをかける。 【あつ森】梯子(はしご)のDIYレシピ入手方法

【あつ森】#21 はしごで崖上に!ついにハート池、登場!|黒井|note

あつ森 はしごをかける

高台へ登るにははしごが必要なので、はしごを持っていない状態では高台にのぼることはできません。 使い方 のぼりたい場所に向けてはしごを使うと、はしごをかけてのぼることができます。 降りるときも同様です。 はしご(梯子)の効果 効果 崖や高台をのぼる 崖や高台をのぼる あつまれどうぶつの森(あつ森)の「はしご(梯子)」には、「 崖や高台をのぼる」効果があります。 DIYで手に入れるアイテムは、まずは DIY材料が必要です。 はしご(梯子)をDIYする際の参考にしてください。 移住費用(5000マイル)を払う• マイホームを建てる• マイホームのローンを返済する• まめきち(つぶきち)から商店の手伝いの依頼を受ける• たぬき商店を建てる• 離島ツアーで住民を増やす• たぬきちから「まるたのはし」のレシピをもらって橋をかける• はしご(梯子)の関連道具一覧 ショボいオノ オノ ぎんのオノ ショボいスコップ スコップ ぎんのスコップ ショボいあみ あみ ぎんのあみ きんのあみ ショボいつりざお つりざお ぎんのつりざお きんのつりざお ショボいジョウロ ジョウロ ぎんのジョウロ きんのジョウロ たかとびぼう ー ー ー.

次の

【あつ森】はしごの入手方法と崖(高台)の登り方

あつ森 はしごをかける

2人目プレーヤーがはしごのDIYレシピを手に入れる方法 2人目プレーヤーは、 「はしご」のレシピを商店で買うことができます。 これには条件があって、メインのプレーヤーが島のストーリーを進めてはしごのレシピをゲットしていることが必要。 メインプレーヤーがたぬきちから依頼を受けて、島に3人の住人を誘致するお話しを進める時に、はしごのレシピをもらうんですね。 で、この時にメインプレーヤーははしごを含むいろんなもののDIYレシピをもらえるんです! いいなぁ~。 」って書いてあるのがメインプレーヤーがもらえるレシピ。 これが済んでいれば、2人目のプレーヤーもはしごのDIYレシピを買うことができるようになります。 商店の戸棚の中に、レシピが売っていますよー。 マイルを貯めて、「どうぐスッキリ!おきにリング」と交換。 コントローラーの十字キー(左側にあります)の上を押せば、このとおり! 道具だけが出てくるので、必要なものをさっと取り出しやすくなりました。 きぬよのお店でお買い物 今日は島に「きぬよ」が洋服を売りに来ていました。 メインプレーヤーが商店をオープンさせていると発生する、キャラクターイベントです。 洋服や身に着ける小物を買うことができますよ。 きぬよのお店の品物は、他のプレーヤーが買ったものでも売り切れにはなっていませんでした。 これは木を斧でたたいたり、岩をスコップでたたくと出てきます。 でね、1つの木や岩からは「1日1回」と回数が決まっているの。 ひとつの島で複数のプレーヤーがいる場合、先に遊んでいた人がこの材料をとってしまっていると、次に遊ぶ人が木や岩をたたいても何も出てきません。 先に遊んだ人に採り尽されていると、次に遊ぶ人は材料集めができなくてちょっと悲しいことになりますね。 あつ森豆知識 今日のあつ森豆知識を紹介しますね。 流れ星にお祈りすると、「ほしのかけら」が登場する 昨日のプレイ日記で流れ星が流れたら、Aボタンでお祈りできるとお伝えしましたね。 次の日になると、海岸に「ほしのかけら」が落ちていました。 お祈りした回数によって、落ちている個数が変わるみたい。 きらきら光っていてきれいー!! これ、DIYレシピの材料として使うことができるみたいです。 なかなか拾えるものではないので、大事にとっておこうっと。 岩をたたく時は、後ろに穴を掘って滑り止め! 岩をたたくとねんどや石、鉄鉱石など材料が手に入ります。 これね、連続してたたくと最大8個まで材料が出てくるんだけど、何もしないとどんどん立ち位置がずれていって2、3個しか出せないはず。 穴を掘って立ち位置がずれにようにしておくと、たくさん材料をゲットできます。 お試しあれ! まとめ あつ森2人目プレーヤーは、自分でストーリーを進めなくてもはしごのDIYレシピをお店で買うことができます。 何もしなくてもゲットできるようになるからラクだけど… 自分でストーリーを進めたいなぁという思いもありますねー。 スイッチ、もう一台買っちゃう!? 今日はここまで!.

次の

【あつ森】:「はしご」の作り方・使い方は?|あつまれ どうぶつの森

あつ森 はしごをかける

Full text of "" PL Ozaki, Kyuya 726 Edo nambungaku koi. archive. 實は、 今度 此の 本 に 限って、 序文な ど、 S ふやうな、 一寸 誇示 的 調子の 加 はらさ ラな 動もすれば 物 を 書く に は氣が 進まぬ とい ふだけ である。 が、 さ りと て、 やはり かう した 機會 に、 一 々その 著の 成る 動機、 心 持 を 書いて あくの も、 惡く はなから う。 すなほに、 それが 受け入れられたら、 讀んで 頂く 人々 にも、 都合よ からう とい ふ 心 は ある。 それが ための 此の 執筆で ある。 何だか 大風な 物言 ひの やうで あるが、 自分と して は、 然ら ではな い。 その 反對、 案外 翼々 とした 心 持で ある 事 だけ を、 諒 して 頂きたい。 此の 機會 に、 唯、 此の 本 成る の 直前、 自分の 本 著に 對 する 心 持、 著者と しての 心 組 だけ を、 極 めて 一 ばいに 物言 はぬ 程度で、 述べさせて もら はう。 私の 舊著 「江 軟服 雜考」 は、 今から 考へ ると、 誠に 慚愧の 書で ある。 著者の 自分から い へば、 I 種の 彷徨の 書であった ので ある。 元来、 「江 戶 軟派」 とい ふ 此の 自分の 造語 も、 思へば、 中核の 1 づ ない 言葉で ある。 今!:: では、 これが 大分 世間に 平 氣で唱 へられて ぬるが、 實をぃ へば 最初 自分が 考へ、 云 ひ 出した はなから、 その 傍ら 變な氣 はあった。 糙 かに 新 様の 語 を 以て 內容 よみ 先に〕 n ら ん かなの 不純な 心 持が あった 事 を 白狀 する。 惰 勢あって、 未だに 自分の 個人 雜誌 は、 乙の 語 を 入 れて. 唯、 廣汎 的な 意味で 一括した やうな 名稱が 欲しい とい ふ. E 分と して 當 初の 要求 はあった。 その 新味と 雜駁 と、 悅樂 味と、 彷徨 味と あるの は、 即ち あの 舊著 であって、 これが 標語の 江戶 軟派と いふ 物の 持つ 槪念 確と して ゐさ うで、 漠 たる とよ く 似て. Q る。 それよ, 9 は、 稍々 範 圍が狹 まった せぬ は あるが、 それだけ 穿 貫 的に、 多少 まし か、 否々 自分と して は、 誠の 此の 種の 著作 上、 眞の處 女 著作 かと 思 ふの は、 本 著で ある。 即ち、 前 上 自分の 自白 でお 分りに なった であらう が、 彷徨 味が や うすれて、 凝視 佇立の 狀 となった かと 思 ふからで あ る。 昨今 は、 貪し い 乍ら 書庫 も 相 當の量 を 原本 を 以て 埋め、 足らざる は、 他 氏の 秘 庫に 求めて ゐる。 和本 味に 徹した こと は、 淫に 近く、 無論 あの 當 時の 比で はない。 文學、 主に 小說 もれ も 今後 は、 主に 洒落 本 を 中心とし たいと 思 5 てぬるが、 と 自分の 涉索を 凝縮して きた、 それに また 本 著の みに 始:? 現る、 逸 文献 や、 自分の 少く とも 個性的な 考證 又 獨斷 とい ふ 批評 を 買 ふか も 知れない が、 但し 獨斷 なる の 理由 を皋げ ない 漫然たる 心 持 批評 は、 私に 於て 從 來か らも 念と しなかった が、 も ある。 これら は、 糙 かに、 退 一 步か進 一 ま、 それ は 批評に 俟 つと して、 舊 著よ. 5 の 自分と して は ー變 であると S ふ。 綜合 的 記述と 部分的 探究と は: どちらも 難で ある。 綜合 も、 堅 確なる 部分の 集積に 據らな ザれ ば、 駄目で ある。 此の 霞で、 自分 は、 まだ どちらに も I の 態き 固めて ゐま。 否、 固める 事 力 出來 ぬので ある。 羨し き は、 らくく と大? ばに 物 t はる、 人々 の 簾で ある。 勿論 「考 異」 と 命題に も ある 以上、 本 著に 綜合 的 1 歷のみ If る、 ので はなから うが.. 自分 として は、 此等應 が 部分的 I が 、 や? I の f 拓 i であると 5. それが ための 一 過程で ある。 勿論、 一 般は とって 巧 すべて 考證 は、 サの纏 の 道程よりも SSI のみでい、 ので あるが、 道程、 また 個々 の 置 を 示して ねる から、 以 さ斷決 以外、 個々 の 置に 關 する ? 又は 自分 塞の 據着ま まの も、 環に 與 へる、 i 裨 f は考 へない が に はな らうと 思 ふ。 それが ため、 迀餘の 記述 ヒ平氣 で やっての けた 所 も ある。 さラ して それが、 凡て 隨 時の 當初、 執筆 體 裁と 事 か は, 9、 補 筆 又は 按排 工夫 を 加へ、 ri つ 自由な ロ繪揷 入、 しかも 自分の 著と しての 舊 著の 數 種に 勝る 多量で ある。 殆ど 新生 面 を齎し 得た 事 を、 我 子の 迂鈍を 知る 自分に は、 まだし もの 喜びで ある C それ を迂 鈍と 知 6 乍ら. , 喜んで 世に出す の は、 乙れ も 親馬鹿の 一 種で あらう か。 その 三の 一、 こ 、に 新 裝增訂 せられて 世に出 づる こと は、 嬉しから ぬ こと はない。 s 此の 種の 材料が 多き にあろ からで わる。 著者 自身 紀 念のため のみで わる。 但し 凡てに 今次 新著に 方リ、 加筆、 著しき は、 稀 筆 數十妆 に 莨った の ももる。 は 「膝 栗 韦!? の 研究」 及び 「瑢 井山 人荠 作考」 の 如きで わる。 一、 本 著 の 頂 字よ、 概れ、 颡 菜の 形式 によった。 洒落 木に. 二 四 小 三 馬の 「江卢 の 水」 S 三 馬• の 異同 s-o 〇 も:. is 、も ノ、 I クパ c , f ,ま 丄 お 5. 4 く ハ ズも. ノ vi. ; J. t のみ を. 下略 」 以上、 本題に 交涉を 持った、 鬼 鶴に 關 する 記述の 全部で ある。 n 分に は 思 よれる ので ある。 以下、 先づ r 繪 本舞臺 扇」 序 跋に據 つた、 自分の 柬鶴 身元の 探究で ある。 此 の. IH 調と も 交情の 程度 は 不明で あるが 和 識 であったら しい 事。 是 等が 肯 ける。 普通 觀菊 堂」 次に 此の 跋の 次 、 今昔 發 句が 三 丁半ば かり 記されて ある。 犖 頭 は、 芭蕉、 軸 は 菊 堂で あら。 一 厂 表 終り、 芭蕉より 六 句 目に、 西鹤の 「雪空と 鐘に しらる、 夕べ 哉」 とい ふ 句が 載って ゐる。 その 古今 發 句の 中、 今人の 所々 に、 詞 書が あり、 それに 東 鶴に 因んだ 文字が ある T 月 雪の 外に 見る もの は 何、 難 波の 東 鶴 子 古鄕へ 飾る 錦畫の 一 集に 發句 せよ とひた すらに 好れ ければ」 とい ふ 燕 志と いふ 男 や、 「束 鹋 子の 需 いなみが たく 三子顏 見せの 句 を 送る とて」 とい ふ在轉 といった 男な どの 名が 見えて ゐる。 とに か く當 時在府 の 發句 名流 ? の 附錄 であ る。 以 て 東 鶴が 此 等と 相 當に 交誼 のあった こと も肯 けよう。 尙、 附録の 古今の 發句 では、 畫者春 章• 文調の 作 も 載せて ゐ る。 卽ち 以上に よって、 更に、 束鹤 は、 明 和 七 年 舞臺 扇 上梓の 年 頃 は、 齢 六十であった 事。 などが 斷 じられ るで あらう。 師系は 不明で ある。 明 和 六 七 年頃、 或は 尙 その 以前 江 戶へ來 て、 故鄕 への 土産に、 春 章• 文調の 繪 師に 役者 似 額 を 描かせて、 「舞臺 扇姿畫 ふみの つ ほ」 一 に繪 本舞臺 扇 三 冊と なし、 知友の 句に. といった ものになる ので あ 一 00 とい ふの は先づ よいと して、 此の 東 鶴が 西 鶴 孫で 事實 あつたか、 或は 詐稱 であった か、 これ は 何」 も斷言 が 出来ない ので ある。 妻 はあった。 外 骨 氏の 「浪花 名家 墓所 記」 によると、 西 鶴 殁の 前年 元祿 五 年 に その 妻が 身 まかり、 法名 を 光 含 心 照 信女と いふと いふ 亊が 分る。 然し 子供が あ だんす も つた か 否か は 分らない。 弟子の 圑水 等の 「置 土産」、 「名殘 の 友」 の 序 を 探しても、 遣 族の 事が 分らない。 都の 錦の 「元祿 太平 記」 に は、 西 鶴の 私行 上、 殊に 家庭 II 妻子に は、 一 向 觸れて 居らぬ。 妻が あった ならば、 子 もあった らうと も 思へ る。 また 無くと も、 長い 五十二 年の 生涯に は、 一人 や 二人の 女に 子 の出來 たこと も、 : 止しい 考 への 中に 入って 來る。 すると、 此の 東鹧 が、 若し 本 當に西 鶴の 血筋の 孫で ある なれば、 西 鶴の 妻の 子の 生んだ 末 か、 又は それ 以外の 私生子 か、. 何れ かで あらう。 然し 妻の 子な れば、 遺族と して 圑水 等よりも 扱 ひ を 受けねば ならぬ が、 一向 それが 見えぬ 所 を 見る と、 內々 の 子で あつたか も 知れぬ。 卽ち妻 以外ので ある。 その子の 生んだ 乃が、 東 鶴 かと 思へ るので ある。 —— 唯、 西 鶴の 孫と いふ こと だけ は、 十の 中 七 八 分 は本當 らしく も 思へ るので ある。 無論 大阪に 居る 時から と 認めねば ならぬ ので ある。 束 鶴の 身元に 就て 考 へた 最後に、 彼の 所謂 祖父 西 鶴に 遣 子が あつたかなかった かに 關 して、 唯一 の 觸れた 記事が ある。 それ は、 木 崎 愛吉 氏の 「西 鶴 研究、 金の 卷」 であって、 それに、 「西 鶴に は 遺子が な かった であらう つ」 同書、 四 七 頁 と、 僅かに 見えて ゐる事 を 云 添へ てお く。 以上 は、 「舞 臺扇」 から 見た、 自分の 柬 鶴の 揣 摩で あるが、 扨、 自分が 如此き 模糊た る 絮說を 敢て爲 した 现由 は、 來 鹧に尙 一種の 著述 ある 事 を 披露した いが 爲の、 序說 であった ので ある。 「此 花」 にも あ る 如く、 「舞 臺扇」 以外に 柬鶴を 知らぬ と 云 はれて ゐ るが、 幸 は ひ、 自分に 艰鹤 著の 別 本が ある。 無論 此 他に も 東撖著 はあり 得る であらう が、 人々 の 注意 を惹 かぬ か 又は 裡沒 かで あら ラ。 それ は、 r 輕 n 臍 順禮」 とい ふ もので、 半紙 本 一、 三、 四、 K の 五 W である。 此の 外題の もの、 一切の 書 E に 見えて ゐ ない。 板 元は、 卷 五の 奥附 によると, 京の 二 書肆の 合 梓で ある。 內容か らい ふ も、 無論 上方 本で ある 0 卷 二に、 國 太夫 節と いふ 詞が ある、 江戶 なれば、 ぶんごと IS ふべき で ある。 卷ー に、 四條の 芝居、 或は 赋圜 町な ど、 いふ 說 話が ある。 刊行 年代 は、 奧附 及び 序により、 延 享 三年 春た る 事が 知れる。 明 和 七 年に 假に 六十 歳であった とすると、 此年彼 は、 三十 六 歲の壯 年で あ る。 さて 左 は、 その 卷ー の 序で ある。 以下 は" 五卷の 全目錄 である。 1 卷に 各々、 その H 錄を 載せて ゐ る。 - のとん さ. 有ル ものがない る 〇 河原に こじき 二人 居け る。 S 心中に 似合ぬ 外題 〇SJr り あ ゐ,. それ はな ん とい ふぜ うるり といへば、 髙砂相 生 初 旅と いふの-か あると いふ。 それ はどうした 文句 だとと ふ。 かの 者い ふやう、 高 砂より 住の、 江までの 逍行ぢ やとい ふ。 さても めでたい ぜ ラる りじ や、 さぞ きりはお もしろ かろ ふ、 どうした 靠 じ やとい ふ。 ハテぜ うとうば の 心 中 じ やとい ふた。 H き, ハテ どこ やらよ きおと がする とい ゑば、 かの 女ろう いふ、 ど こぞで、 もち をつ くで あら ふとい ふた。 ' ほととぎす はたく さんなる もの、 こちらの うらへ はまい 日き てな く、 ことにつ が いづ、 おりて なくと いふ。 卷 五 といった ものである" 卷 五の 奥 附は、 延享三 丙 寅 正月 吉日 京 一 一 一條 通 寺 町 四 え 入 町 北が わ 菊屋 利兵衞 京 御幸 町 通 ゑび す 川上 ル鬼 がわ 笠屋半 右衛門 板 行• 更に、 意說 乍ら、 作者 東 鶴の 年代 を 今少しく いふと、 明 和 七 年に 六十 歳 六十路と いへば、 或は. 假 りに 六十 歳と してお く。 かう した 西鶴殁 後、 华 代が 割合に 淺ぃ點 から 考 へても、 此の 孫と いふの よ、 滿更 詐欺 ー點張 でんな ささう に 思へ る。 如何で あらう。 是 等が 一切 不明で ある。 !: 政 等の 大首 役者 繪を 生む 先蹤 では あるまい か、 といった こと も 述、. 〈んレ が、 迂路に 一口 一る 嫌 を 避けて、 此には 略く ことにした。 —I 大正 十四 年 九月 二十 n 夜。 とい ふので ある。 ,w、 此 本の ハ牛代 を 略 知る が爲! は T 五葉 松」 の 刊行 年次 を 知れば 可で あらう。 卽ち 此の 「五葉 松」、 寳曆 三年 正月 吉日、 版ー兀 は、 京、 八文字 屋八 左衞鬥 である。 結句、 卷 一と 卷 五と は、 世上に 略發 表せられ 了った けれども、 その 間の 卷ニ卷 三卷四 は、 その内 容不 知であった。 それ を 今、 その 完本 五 冊 卷五 は、 影寫 本 を 乎に し 得た ので ある。 餘談 であるが、 此の 完本 入 乎の 徑路を ここに 述べて おく。 石 川 君と 話しながら、 自分 は、 そ S 前日 來刷 られ た目錄 賫 立の 一部 目錄 によりて、 此の 「艷 道俗 說辯」 を發見 、その 所在 を 探した U 知れなかった。 勿論 あの 無數の 下見 陳列で あるから、 隅から隅まで は、 行き 亘ら なかった。 恐らく 隨筆 物の 巾に、 一 括、 粉れ 込んで ゐ たかと 思 ふ。 到頭 知れなかった。 世話役の 本屋に IS くと、 印刷した 目錄 は、 書目の 記載に よって、 目星し い 物 を 拾った とい ふから、 恐らく 存 名無實 で、 先代 以前に 散佚した も S かと も 思うて、 諦めた。 それが 今春 一 月の 其 中堂! 1E 錄に 現れた。 てっきり 平 出 本と 直感した。 それ は、 此の 本 は、 內容 はとに かく、 本と して 割合に 稀 本の 側に 屬 する とも 考 へられて ゐ たし、 その 證據 自分の 卷ー發 表 以後、 絶えす 心掛けて ゐ たが、 つ ひ ぞ何處 の 書目に も 現れなかった。 その 稀 本の 中で ある 事と、 內 一冊 寫 本と いふの が、 平 出 文庫の 寶立 一部 目錄と 的中 する からであった。 で 飛 立つ ばかり 喜んだ。 其 中堂の 家憲 を 破って 元日の 朝、 家人 をして 其 中堂に 電 話 を かけさせた。 返事に は、 まだ あるとの 事、 さう して 取 除け おき ませ ラ、 との 事。 さう して、 二日 の 朝 私の 所お となった ので ある。 寫 本の 分 は 第五 卷: 2 であった。 それが ため 平 出家に 於て、 此の 一 卷 だけ 以前に 散佚、 他の 藏本 によ りて 影寫 した もの か、 又は 平 出家に 於て 購入の をり、 此の 卷五 だけ 賫惜ん だた め その 寶 主に 乞うて、 3 木と して 完本と した もの か。 後日、 尙、 共屮堂 主人から 間く 所に よると、 此本 は、 私 を 始め、 朝 倉無聲 氏、 さて は坪內 逍遙 先生、 其の 他數 氏の 注文 を 受けた さう である。 元來、 此本、 私の 想像して ゐた 通り 平 出 本で あつたが、 其屮 堂 氏の いふ 所に は、 平出賣 立から 直接 彼の 乎に 入った ものではなかった さう である。 その 當日、 村 口から 買った ので ある さラ な。 平 出から 村 口、 村 口 か. それ を 私 は、 一; 儿來平 出の 費 立 下見 當日 探して ゐ たので ある リ それにしても、 甘: ハ中 堂が 私に 寳 つた 値 は、 村 口の 賫 立の 値より、 高い 害で ある。 すると、 私の 買 値よ り もより 安い ものと して 村 n 氏は极 ひ、 それ を また 彼、 其 他も氣 がっかす にゐ たの だ。 本な どと いふ もの は、 かう した 妙な 廻り 合せ を 作る ものである。 以上 此の 本に 就ての いはれ、 冗言 多謝。 〇 以下、 「艷 道俗 說辯」 卷ニ、 卷三、 卷 四の 內容 紹介で ある。 r 艷 道俗 說辯」 卷之 二。 品目 〇 戀 する 人 を 夢見れば 其戀叶 はぬ とい ふ說 〇 惚 藥の說 〇 下紐の 說 〇 傾 域と いふ 說〇 太夫 と い ふ 說〇. !1: 人と い ふ 說〇 野郎と い ふ說 〇 悴と い ふ 說〇 シ ャ ラ ,M と い ふ說 〇 忘 八 の說 〇 水 拔の說 〇 衆 道の 說 〇 姫 はじめの 說。 以上 其の 中の ニコ 一。 ; V. I デ ミ テク ジ を 字の 似た るに あやまりて 井 年と 書た るなる ベ し 此事は 大和の 國 井出の 里へ む 力し 使に 內舍 人なる 男 選に あたりて 下りけ るが やどりし 家に 八 九才成 女の わら はありて いと モ ミ シ ダヲビ やさしく 兑 へければ 末 はわが 身に 添寐 せよ など、 たは むれて 紅 絹の きぬと り 川し 下帶に せよ とて とらせけ る 扨て わかれて 七 八 年 を 經て其 ほとり をと をり ける におと こ は 井出の 里 さへ わすれた るに ある 家より おとこの 名 をよ びて 出 あ ひふかく うらみて 後の ちぎり を なしけ ると ぞ これ を 井出の 下紐と 云 也哥に 解かへ し 井手の 下紐 行め ぐり あ ふせ うれしき 玉 川の 水 W ン ブン; 1. o 夫他國 へ ゆきて 歸ら ざるに 共 女。 〕 レイ シヅジ モノ. その 比較的、 穏當な 二三で ある。 や 品目 を も 左に 載せて おく。 艷 道俗 說辯卷 之 五 品目 キ. 次ぎが 直ちに、 本文の 繪 である。 さて、 右の 序文に も ある 如く、 寬政 卯と ある ことで ある。 卯 は、 寬政 では、 一、 卽ち同 七 年より しかない。 假 りに 一 步を讓 つて、 序は寬 政で も 版行 は 後の 享和 三年で あると しても、 其 g 約 九 年の 距 りが ある。 これが を かしい。 寬 政の 序の ま、 保留して、 九 年後に 享和 三年 出ら 害が、 普通から 考 へて 無論ない と 思 ふ。 それに、 序文 も 武埜樵 夫の 匿名で ある ことで ある。 記 ころ ごろ 錄 によれば、 主に 「物 之 本江戶 作者 部類」 丁度 此の頃、 卽ち寬 政 六 年 秋 頃から、 恐らく 八 年頃まで, Ml 九 は、 一 SSI に 奉公して、 版畫 版本 用の 紙に 鹩 水 を ひいて ゐた、 卽ち まだ 作者 名と しても、 一 九 は、 左程 響いて ゐす、 處女 作の 出る か 出ぬ か 位ゐの 頃で ある。 とにかく、 右の 武埜樵 夫の 序文 そのもの は、 頗る 一九ば りで ある。 一 九の 「旅 眼 石」 享和 一 一年 版 などの 序文と よく 似て、 亂調 では あるが、 五 七 又は 七 五 を 追って ゐる やうに 兌え る 所、 よく 似て ゐる 1 見 政 末 又は 享 和の 彼の 洒落 本な どの 叙と は、 今對 照して ゐな いが、 恐らく 風韻 に 於て 似て ゐ よう。 若し 享和 三年 版 o 〕 れは、 小生 は 未見 な る ものが あ つ て、 兩 々 比較し 得て, 全く 同 一 序文であった ならば、 無論、 此の 武埜樵 夫 署名の 物の 寬政 七が、 此本 初版の 年代た る ことが 肯 づけよう。 假 りに、 此の 「江 戶樱」 を どこまでも 享和 三年 初版と する なれば、 此の 小生 所見 本の 「江 戶樱」 は 全く 同名 異本と 兌る より 仕方がない。 結局、 享和 三年 版の ものと 兩々 相 並べたら、 直ちに 分る H 题 である - 疑 K の 本と:. a 络本 一一 二 江 戶軟 文み 考典 S が、 それが 出來 ないから、 仕方がない。 今、 小生 所見の 內容を 更に 概括 的に 述べて おく。 输 本江戶 さくら、 表紙 題簽の 文字、 如斯 上下 ニ册。 大本 半紙に 非す。 上 卷に序 一 丁 あり。 武埜樵 夫の 署名、 寬政卯 正月の 記入 あり。 上 卷所收 の 输紕、 左の 如し。 以上、 一 圖が半 丁、 二 圖 にて 一 丁 分。 計、 綺 のみに て 六 丁、 序と も 七 丁。 下卷所 牧の繪 組。 重 政と は、 何虚 にもない。 唯、 畫榇 は、 成程 ffi 政 かと 思 はれる ので ある。 半 丁 分の 総柄 をい ふと、 大抵、 草と 紅と 他 二三 色の 多色 摺 で、 人物 は 極く 細かく、 主に 雜 踏の 體 裁で ある。 その 詞の 初めに、 淺草寺 又は 寬永 寺と 「姆客 四十 八手」 に 就 て あって、 下の HT か そ れ と肯づ ける ので ある S 表紙 は、 靑。 題簽 は、 白地の 紙 G 以ヒ で、 繪 本の 方 は、 片 づけて、 次ぎ は、 不明の 洒落 本。 零 本、 その 屮卷の 一 冊で ある。 巾 本 型、 一重の 輪廓 をと り、 It 二 了よ、 十九 字 位。 讀點に は、 一切 〇 を附 して ゐる。 丁數 が、 稍變 態で、 笫六丁 力ら 第二 T 二 丁に 終り、 計 十七 丁で ある。 初 丁 實は 第 六 丁 の 表に、 娼客 四十八手 卷之中 と、 二 行 分 を 取って あるが、 一寸 怪しい と 思 はれる こと は、 此の 一行の 义 宇、 その 娼客 四十八手の マ-... v か、 卷. N いの 三 字に 較べて、 稍 小さい ことで ある。 それに 文字の 問 も、 押 詰めて ある。 そォカ 1 ヤカ跡 卽 ち再摺 改題の 證據 では あるまい かとい ふ 疑問が 起る ので ある。 とにかく、 輪廓 はもと く、 屮 本の 大きさで あるが、 これが 初 摺本で あれば 文句な し、 得 摺本と しても、 その 一: 儿木 は、 外題 ょ不月 こしても、 中 本の IS 裁た る こと は、 論 はない ので ある。 恐らく 上屮 下の 三卷に 分けた ひ は の 再摺の 時の さか しらで、 初 摺本 は、 計 三 ra 十 丁の 本の もので あらう か。 此の 月見 本、 再 摺改题 本 として、 iv. つ 詮索す るので ある。 疑 H の箝 本と 洒落 本 g 江 戶軟文 考異 ちし, J ち とにかく、 再 招改题 本と しても、 若 一 初摺 原本と しても、 いづれ にしても 年表• 寄 E の 類に 見當ら な い。 が 洒落 本た る こと は、 明白で ある。 內容、 S. というて ゐる だけで も 判然し ないで あら うから、 此の 屮卷 だけの 大體の 輪廓 を 述べよう。 先 づ初丁 あたり、 若干 を 引いて みょう。 、よくろ-.. ' にっこり さら と 5b- 「金 谷 千樹の 春の 花、 瑤池 玉樓の 秋の 月。 ごしゃう で ざん すの 完爾 は、 更に 桃李の こび もす む ? V い さと つね しゅんせ、 っ1 つ こく h ち.. ' せん, -ん を 欺く。 つ ほみ の 花の あどけなく。 氣隨は 里の 常ながら。 わきて 春宵 一刻 もの。 y fei たいせつ のうち 力け に。 上草履の 塵 もい とわす。 笳入五 匁の 南京 鼠 は 掌中の玉 とのみ 大切な り。 花の 薰りを 枕に つたへ。 a さ 4 の ,ズり. か へ る 翼 かと。 みす 鈹で顔 を あ ふぎながら。 くすりゆびで 耳た ほ へ つ わ をつ け南氣 にの ほせた とい ふ 見へ。 その わきに 十ば かりの けし ほうす の 「かぶろ、 ,li J 、さ て 深 草 やきの 手 あぶりの はい を かきまわしながら。 「客 て うづから かへ つて 來て。 乎 を ふきな-か。 せう じ を あける ト。 ざしき ぢ うへ ちり。 はんがけ の ほ つれへ ついて。 ひらく と さがって ゐる。 いった もので、 純 洒落 本で ある。 例へば、 「おや なるほど こいら は。 まだ あどけ ねへ にもいたら ねへ。 たがいに あくが ねへから。 しぜんと おん 力で o. レ りくんだ おもしろい 事 は あるめへ が。 1 に 戀の情 はふ かいの ささる おいらん. お 人と S ひまへ 出た ときに。 もしへ。 あんまり くさの なかへ おはいり なんすな。 かばけ て おりい すかしれ むいた しい せんとい k やした が。 ちょっとし たこと だ-か。 こ i い 力 女 郞 力まに かなって いやす 「本 さよう さね。 金魚 を もち あそびに して。 かわいそうに 1K ん さぞく たびれ たら ラ から。 ちっと やすませて やりい せう と 仏のう へ. へ ならべ てね 力し 丁 おいた と; II 日の 論で ご. さい やす 「雲 この 次 はわつ ちがよ みやせ う と、 本屋と 雲と が、 代る J. ヲモヒ タクミ グイ と ある。 それが、 扭 木の證 據 は- 和の 字な ど は、 摺の つきが 惡 くて、 容易に 尻尾 を 現して ゐる。 次の 行、 硏々 II 誌の 代りに、 山 旭. 山 旭亭 署名 の 他の 洒落 本に も、 此の 問 婆 行 は あ る。 卽ち旭 の 緣語 の 眩の 意で あら う。 次の 異同 は、 本文 初 丁 實は 第 四 丁 表 の 最初が 二 行 分 を 取って、 この 取り 方 、「面 美」 の 通り。 金の 和良路 「金 の 和茛 ss」 の 年代 と ある だけで、 下 は 白く あけて ある。 其 他 は、 全くの 冋 一版 木で、 その 再摺 たる 事 は、 比較 一見して 分明で ある。 本の 體裁も 共に 小本截 である。 これ は、 山 旭-; や 個人の 發意 か、 又は 寄铋 求 板 か、 否 かは不 叫 の猜求 か、 何れに もせよ、 山 旭亭の 良心 を 怪しと する 實歴 である。 但し、 山 旭亭と 通交と が :n 一人で、 後に 改號 とい ふなれば 文句 はない が、 然し 山旭亭 は、 训に山 旭亭の 名の 下に 寬政 末の 版と 思 へ らものに、; C くじゃく そ. 》 S ござ-? 自分の 推定で は、 無名 作 家に 終った 通交 此 名に 於て、 他に 作な し。 但し 此名 は、 無. 寧ろ、 「面 美 多 通 身」 で、 云々 すべき ものと 思 ふ。 尙、 山旭亭 は、 小金 あつ 丸と!: 人 かとい ふ 自分の 疑問 も あるが、 これ は 、脊 て 「江戶 軟派 研究」 此 稿. 本 著に 修補 牧錄。 にも 述べた から 略く。 面 美 多 通 身の 誤り。 鲁 補記 最近、 「穴舉 問」 原本 一冊 を 見た。 I 昭和 一一 一年 一 「月。 洒落 本 改題 本の 新記録 洒落 本 改題 本の 目蹯 二三に 就て は、 旣に 述べた。 1 、「霄 槳の 玉」 と 「廓の 種」。 二 T 傾城 買 四十八手」 と 「夜慶 話」 a 三、 「野良 玉子」 と 「通 子 遷」。 版 、春光 圚花 丸の 作で ある。 「廓の 種」 も 作者 は 華 麿で、 年次 は 文政 六华 である。 此の 「. 自分 は、 京の 小山 源 治 氏藏の 原本 を借覽 して 知って ゐた。 が、 知って みたと は いひながら、 二 本 言葉の 玉と 廓の 種 が 同一 だと は、 知って ゐ なかった ので ある。 白 狀 すると、 拙 編 「洒落 本 集成」 未刊 の 原稿に もと、 小山 氏 か。 、 「霄 鉴の 玉」 を 借り 屮 Z し たので あるが、 その 折 は、 何の気なしに 原稿 を 作り 終った。 右 !g 稿の r s s 玉」 など を ひねくつ て ゐ て、 ふと おしやと :. 1 方對 校したら、 容易に 二者!: 一 である ことが 分った。 本文 は 全く 相 同じい ので ある。 序文が、 「言葉の 玉」 では 自序で あり、 「1 の 秤」 では 不詳 氏の 序 但し これが、 「言 紫の 玉」 の 跋。 である。 探 得し 玉 は。 面向不背の 玉。 拾 ふて 戾 りし 玉 は。 こと よ つゆ しん! r 、、つか ぶろ こ. 新造 禿の 心 を 磨く。 世现 分の 玉の 敎の 玉章。 されば 彼 玉の 德 とおな どこ み み ぢん ち が fn. し ほラ はつほ 5 こ 仁 ち め じく。 何處 から 见て も微 瘦も逮 はぬ 生极 玉。 四方八方のお 子 達。 目玉 をと ビ めて。 とつ くと 兌 玉 へ。 以上で 序 がー 一丁、 序 歌と ロ繪 とで 一 丁、 計 三 丁。 尙揷耮 として、 第 十七 ノウ. 第 十八 ノ ォ のヒラ キに、 1 21 ある。 これ は 無落欵 であるが、 これ も 春 意の もので あらう。 右、 妓の 甲、 鏡に 向 ひ 化粧。 丙、 文み」 よむ。 背景 は、 部屋の 體。 簡素な 筆で あるが、 生活が よく 現れて" る。 设 筏に 跋が あって、 それが 「廓の 種」 の 序文と 稱 する ものと、 全く 同文で ある。 唯、 その を はりに、 寛 政 五 癸丑 霜 S 廿 八日と ある。 この 年月の 記入 は、 無論 「1 の 種」 では 文政 五 年に 變 へて ゐ る。 署名の なき 事 は、 「廓の 種」 の 序と 同様で ある。 その 次に 左の 如き 廣吿 一 丁が ある。 燭光 西郭記 近 刻 華 麿 作 新町晝 夜の けしき あゆ やの もよ ふ おきやの ありさまき やくの あそび かた 太夫の せ, リふ 天 祌 のまぶ ぐる ひけい 子の いろ 事まで いまめ にみ る やうに かきたる お もしろ きょみ 本な り うき ふし 骓話 花丸述 近 刻 と あるが、 これらが、 刊行せられ たか 否か を 知らない。 尙、 此 當時旣 に、 華 if 花 丸、 共 s して ゐ た 事が 知れる。 右の 豫吿の 例によって 此の 「曾槳 の 玉」 は、 小 木、 廓の 種 もで ある。 序 二、 序 歌と ロ繪ー 、 本文 趺 とも 三十 一、 廣吿 一、 計 三十 五 丁で あるり 二、 「傾城 買 四十八手」 は• 京傳の 作、 寬政ニ 年 版た る 事、 誰し も 知って ゐ よう。 全く rra: 十八 手」 の W 招改题 である。 題と 名 京傳 著の の 部分、 二 行まで を改 刻、 以下 は 第三 行::; I 四十八手 を再摺 して ゐる。 滑稽な 事 は、 最後- s 丁 ゥラの 「西 行 も」 云々 の 句まで もが M じで ある。 一に Ez。 二に 鼻す じ。 三に 口。 四に はへ ぎ は。 齒は瓠 嚷 の ごとし 家々 C 風。 好々 の 額。 尻の 見やう。 親指の ロ傳。 刀 豆 n 犬 橘の 秘術 ありて これ を 撰ら むこと 等閑なら ね ど。 靜 なる 〈はりな く。 賑 なれば きゃんな り。 三拍子 そろ ふ もの。 人の 屮に 人な く。 女 郞の屮 に女郞 まれ なり。 资 かな 得が たき かな。 猪 竹 獅子鼻 棚 尻。 虫 喰 栗の つ、 く るみ も。 引ケ ra: ッの 前後に いたれば。 餘 つて 拾る は。 一 人 もな くひろ いところ がァ 、攻 話。 誠 にこれ が、 食 はせ ものである。 その ラら、 ヒラキ の ロ繪で 花魁 逍中、 せ:; ぃ总子 客と その t::" しき もり と 二人が、 これ を 見る 圖卽ち 一丁 分。 次ぎ 本文の 一 丁 分、 四十八手に なきもの があって、 これが 書き出し である。 その 全文 は 「夜 接 話」,• E にす る 話 大: i に 至れば 眞の いろ 男の 御 話 不殘御 閒に入 升る 永 口上 は 御 退屈 先お 初 巾 上 ル其御 話 《 として、 以ド、 〇 しつほり とした 話 云々 であるが、 二れ は、 「四十八手」 の 本文 第一 丁 表より と个: く 同一 、同一 な譯、 同 一 版木 だからで ある。 手の 字 を 話に 彫り 直して ゐる ばかりで ある。 然るに 馬脚 を 露 はすと いふの は此事 か、 四十八手の 版木 を 使 5H した 悲し さ 不便 に は、 この 前に 引いた 文の、 最後 の 方、 卽ち今 自分が、 右に 」 をつ けた 所まで は、 全く 餘 分の もの これ だけが、 嬉 丸の 创作、 及び 序と たから、 舊 版木と くっつけ 合 はせ るた め、 この 分まで を 製本の 上で は 全部 序と して 取极 ひ、 现 にこの 引用の 本文 胃 頭の 一 丁分广 新しく 書き足しの 分 は、 綴 目の 丁附に は、 序 四と あるので ある。 で 次の」 以 下お 干の 續き は、 四十八手 本の、 「倾狨 買 四十八手、 山 東京 傳著」 の 二 行 分に あたる これが 夜慶 話で は、 本文 頭の つに き 三 行 分 ので ある。 で 今 作者に は 記憶がない。 たしか、 五 柳 亭德升 あたりの 末期 合 卷か讀 本 作家の 名だった と 思 ふ。 此 本の 揃 本 藏の方 は、 御敎 示が 願 ひたい。 入る とい ふより、 如 例 一. 野良 玉子」 の舊 版木 を その 俊攛ぎ 合 はして ゐ ると いふより 外い へない。 第二 卷は 第二 章から 始まる が、 此の 第二 章 以下が 「野良 玉子」 である。 が、 版木 重 W の 都合 上、 初め 少し だけ は、 「野良 玉子. 一の 筋と 人名 を 追って 作り la して ある。 それが 野良 も 通 子 も 共に 初 二 丁 分で あ る。 その 分、 「通 子遷」 の 方 を 引いて みる。 りう かう 花街 金 谷 千樹の 仲の 町の 茶屋 のけつ こ う 酒池肉林。 歡樂を こ、 にと にめ し 廓の ぜんせい。 ある-か 中に も华 まがき。 きゃく レ S んきゃ 5 ていせい おい ,f め. , tc. 视界 はべつな 二 丁目 客。 春 狂 亭靑 まと。 狂 名のつ いた 男 U としの ころ 廿八 九。 おなじ 羽 敉に帶 は 上 州の まがいの, 多。 つれ は定 次郞廿 二三。 帶 はお 納戸 ご はくの 一寸 八 分に 仕た て。 いま 一人 〈太 助と て。 年の is 卄 八九リ 結 城 木 めんの やわらかに。 ふとり じ まの 下着 納戸つ む ざの 紋 付の 羽織。 いづれ も あきん ど 風に て。 奥山 を ひやかし まだ::: 《たかしと 靑 黛が。 なじみの 土手の 水茶屋に。 Irt-i ひる A やと へ參 つた はてう ど九ッ 半。 こ K までが 作り かへ ではない 乎 入れ をした 跡で ある。 この 次から は、 全く r 野良 玉子. ; の 版木で あ る。 所が、 その 繼ざ 足し 方の 大膽 さは、 平氣 で、 ニノ 二 以上 所 引の 分 から、 九 斷 りなし の 九 に 飛 んで、 文句 は綏 けて ゐる。 卽ち これ 以下が 野良の 第 九 丁になる からで あるが、 それ を 此の 丁附 さへ も 改刻 せす に、 その ま、 である。 卽ち、 以下 は、 野良の 笫 九丁ォ 本文に 序な ど を 加算しての 數 である。 ノウお 公 に 綾いて ゐ るので ある。 以下、 その ま、 较 いて、 野良の 第二 十五 丁 ゥラ、 この 牛 丁 分 丈が 全部 彫. 次、 通 子-遣 卷三 であるが、 これに は• 頭の 通 子 遷卷之 三 以上で 一行 〇 これ 丈 更に 一行 r 此の 二 行 分 入用の 餘裕を 作る ため、 この 卷 三の 初 丁 表 野良で は 第 ニナ 六 丁ォ だけ を 彫り 直し、 仉し 野良の 文句 は、 其 儘う けて、 一 W も逮 はぬ が、 漢字 を 多くして、 卽ち 野良 第二 十六 丁 表の 末 行 「ァノ ね どうぞ ねんが」 まで を、 彫り 直し、 以下 野良の 版木 第二 十六 丁ゥ から に 綾け てるる。 巷 之 三、 本 文の 初めの 一行 分の 〇 など は、 この 仲 li の やりくりの ため、 その 胡麻 化しで ある。 以後、 すん く 野 たよし. 此內 主」 が、 丁度、 通 子の 笫 叫 卜 丁 ゥ この 丁數 は、 出たら め、 但し 卷之 二よりの 追 丁。 の 五行 リ 終りで ある。 然るに 滑稽な、 舊版繼 ざ 足しの 場合の 過失と いふの か、 粗漏と いふの か、 ヅボ ラか大 腊か 無心 か、 「此內 主」 で、 以下 野良 は、 尙ほ次 丁の 表に S つて 數 行の 文字が あるに 拘ら す、 これで 屮 斷 のま、、 通 子で は、 第. さて 此の 笫五窣 以下が 何で あるか、 卷 四が 如何で あるか 不 明で あるが、 恐らく 以下 も创 作なら す、 舊 版木の 同じく 流用 か、 それとも 或は 此の 第五 章から. が卷 二と 卷 三の 大半との 實 跡に 見て、 これ も晳版 借用 だら うと 思 はれる。 さて 此の 「通 子遷」 は华代 不詳で あるが、 恐らく は 文政 末 か. 入 保の はじめ か、 或は まだ 初代 一九 S 良の 原作者 の 生きて ゐた 時で あるか も 知れない。 雪 泥の 差、 內容體 裁の 上から も。 但し 共に 小 本。 四、 「娼客 四十八手」 は、 最近 自分が 「早稻 田 文學」 に 書いた 通り、 疑問の 洒落 本と して、 何の 改題 舊 版應 S 本 かと 尋ねた が 、まだ 誰から も敎 示がない。 が、 それ は 筆者 自身に すでに 答 解 t たので ある。 それ は 矢張り 洒落 本 但し 大 ごんに やく の 文化 元年 版 「傾城 買 花 角力」 雲裡 作 の 舊版使 川 本で ある。 顷日、 この 花 角力 を 見つけて、 容易に 分った ので ある。 J ち 比-の 花 角力 は、 屮本、 序 以下 丁 を 追うて、 序、 ロ繪、 發 端で 計 五 丁を數 へて ゐる。 その 次. さう して- 此の 卷之屮 は、 花 角力の 第二 十二 丁 襄の七 行 目、 「。 で、 下卷は 分った が 上卷が 分らない。 花 力の ま V の 僅か 序と も 五 丁 一 だけで は、 いくらに もなから う。 何 かそれ だけ、 他の 版木 を 持って 來て くっつけ たか、 又は 新たに 作 一 して 彫つ たかとも 思 ふが 判然 はせ ぬ。 以上、. 京 傅の 「四十八手」 からこの 「夜慶 話」 までに は• 十五 年 計りの 年数の 經過 である。 とにかく、 今の 常識で は 不可解な 事 だ。 アトで、 氣が ついて オヤく と 思った 事 を白狀 してお く。 この 同じ 表紙で ある 事 も を かしい。 買った 時、 京傳の E! さりと て、 數 ある 洒落 本元 表紙の 屮、 自分の 藏本 及所兑 では、 此の 二で ある。 が 共に 更へ 表紙で はない。 HE 時に、. つまり 此の 家藏本 「四十八手」 を 文化 はじめの 再 摺本と し 出版され たと したら、 ど ちらか 一方で、 それ こそ 二 本の 生れる 譯 がない。 それ は、 「咄 の耮有 多」 の跋が T 內所圖 會」 の卷頭 跋 といへ ど、 共に 卷 頭の 中 に 使用せられ、 結局 「咄 の繪有 多」 と內 「所圖 會,; と は、 序の 所と 作者 名と を少々 變 へたば かりで、 本文 はすつ かり 及び 此の 跋も 同一 版木で ある。 その 原版の 再摺で ある 事 は、 旣に 知られた 事で あるが、 その 跋の 版木が、 この 跋 だけが、 三度 使 川せられ て 、その 依 r 孔 雀染勤 記」 に 使用せられ てゐ るので ある。 此の 「孔雀 染勤 記」 は、 寬政 版、 山 旭 亭主 人の 作 名に なって ゐ るが、 その 作の 末尾に、 表の 丁 二 行ば かり を 新たに 彫って、 直ちに 丁度 工合よ くこの 跺の 版木に 繋い で ゐる。 、- の跋 だけ、 嘗て 「野暮と 通の 論」 として、 扛戶 軟派 研究に 紹 介した 事が もる。 これに も 驚かされた。 〕 が、 寛 政で 山旭亭 が、 借 ffl して ゐ るからで ある。 ヒドィ 例で あ る。 Ml、 「靑樓 玉 語 言」 の 作者 笑 馬と、 掠 本 「南驛 夜光 珠」 「南 驛 夜光 珠」 は、 埒井 山人の 文化 二 年 成の 稿本で ある。 唯、 夜光 珠が名 古屋、 宮 の祌戶 遊廓に 材を 借り、 地名た ど それにして ゐ るに 不拘、 玉 語 一一 目で は吉 原に して ゐる。 これに 私 は 疑問が あつ た。 それ は、 「玉 語 言」 の 笑 馬 を 初め 江戸 作者と 考 へて、 江戶 作者の もの を 地方が 窃 むなら い、 が、 その 反對、 先の 地 方 作者 の もの を 後に 江戶 作者 が窃 むので あるから、 さつ ばり 譯が 分ら ぬと した もの ひ あ る。 それが 最近、 剽窃 は 剽窃 或は 原作者 承諾の 上 かと も 思へ る。 唯、 これ-た けで ある。 これに ヒント を 得て、 「玉の 語 言」 を 調べる と、 その 例 一一 一一;: に、 笑 馬 は、 數 年來. 江戸 は、 假住 ひ. たったと いふから であ る 4 る こ 此の 「玉の 語 言」 の 例言に よると、 彼 は、 先に 同じ 爾 本で、 霧 本 「角雞 卵」 の 作の 合著が あ ると いふ。 所が、 此の をが、 此の 文 I 年から 數 へて、 餘 程の 昔で ある。 卽 ち天盟 年 だ 力ら であ る。 此の is- ひ i ひない 事 は、 「角雞 卵」 に それに 相當 する 干支 を 記入した 笑 馬 〔花 山道 人と 署す〕 の 叙が あるから である。 S ち 此の 干支、 甲 辰、 これ を 天 明 四 年に 見ない と、 文政 五 年 以後になる からで ある。 すると、 尠 くと も、 此の 男 は 天明から 文政の 四 年頃まで. 江 戶にゐ た。 「玉 語 言」 の 例言 を 見る と、 合著の やうに あるが、 「角 雞卵」 を 見る と、 月 亭佳笑 編、 花 山道 人閱と なって ゐる。 月亭 佳 笑の 佳 笑 は、 花 山亭の 花. 笑 馬の 笑と 卽ち花 笑と 昔が 似て ゐて 何とかい ひた レカ 矢張り 別人 だら う。 此の 花 山道 人が 無論 笑 馬で ある C 佳 笑と いひ、 笑 馬と いひ、 此の 笑 は何處 力. t 3 たか。 月 亭佳笑 St 來ー」 まなれば、 籠が 閱と いふ I かしい。 とにかく、 籠 S-I たる 事 は事實 らしき 事、 並に、 天明 四 年の 「角 雞卵」 にも 關 係の ある 事、 三十 年 以上 江戸に 寓居して ゐた. - だけ は、 以上から 見て 確實 である。 の 事で あるから、 增井は 知って ゐた 事で あらう か。 K 在- 「玉 語 言」 も、 氣 がさした か、 あれに は 作と せす 編と して ゐる。 勿論、 此當時 は、 編 も 著 も ごつ ちゃに して ゐる 例-か 多い が。 「教翻 竅舉 問」 に 就て 〇 附け たら 三、 1 九の 「敎 訓竅學 問」 これ は 「倡 客玆學 問」 の 再 刻本であって 中 本で あるから である。 輪廓 も、 中 本の 大きさに 變 つて ゐ る。 倡 客 竅舉問 初版 は、 小 本。 その 奧附 に. 此 本の 後 へん 靑樓女 庭訓 東 里 山人 著 が 旣に賫 り 出され たと も あるから、 卽ち 文政 六 年 靑樓 女 庭訓の 年 以後の もので あらう。 とにかく、 これ だけ は、 東 里の 名で はない、 一 九で ある。 敎訓 とした 所に も、 時代の 關係 上司の 壓迫も あらう が 窺れ て 面白い。 が 中 はすつ かり 倡 客で ある。 これな ども、 改題 本 の 異例。 但し、 敎訓本 は、 ロ繪 だけ を、 拙な ものに 更 へて ゐ る。 尙、 爲念、 「敎 訓竅學 問」 本の 奧附 豫吿 を 載せて おく。 この 狂訓亭 は、 养水 である。 すれば、 春 水の 狂 訓亭の 存在 その 最初 は、 今 C 分と して は、 不確 では あるが、 天 保 三年 頃で あらう と 思 ふ。 尙、 敎 訓玆舉 問の 丁數を 述べ てお く。 —g 和 二 年 十月。 o 補。 再び 笑 馬と 增井 山人 增 井の 著作に、 笑 馬の 黉 ある もの を發兑 した。 〔口 眞似を また 口 まね や あ ふむ. 1 一 編 以下 未見。 初 編に は、 英. MQ n 終が ある。 此 の f り 兌れば. P-Li, お よ、 I -、 り 「ー. K- お. 恐らく 彼の 編で あらう。 此 本な どす ベて、 名古屋 版で ある。 o 補。 が晳 版本 を 版下に 川ゐ たので あらう、 外觀は 誠によ く 似て ゐ るが、 一 點 一割 は 逮 つて ゐる。 無論 これ は、 洒落 本な どの 好色本 禁 のしば らく 敉んだ 宽政八 九 ハゃ顷 叉は享 和に 入っての 專 であらう。 一九に も 多い. その 京 傳の寬 政 末 又は 享和 度の 再 刻本 に、 「傾城 K 四十八手」 も ある。 さう して、 右 稿の 底本と した 「ra 十八 手」 は、 其 後、 異本と 校合す ると、 全く 此の 再 刻本であった。 再 刻 初 刻の 目に 著く 相 遝はゝ 終りの 西 行 も 云々 の 句の 署名、 「京 傅」 の 二字 -か、 再 刻本に は 無い。 其 他、 初 刻 再 刻、 その 口 繪の鯉 魚 美人 は、 描 線 は 同一 であるが、 細微に は, 無論 逮 つて ゐる。 こ れ 丈の、 誠に や X こしい 事實 を歸納 すると、 「四十 八 乎」 はとに かく 賣れた 本、 初 刻の 再摺三 招 木 も 多 い。 叉 それでも 足りなくて、 寬政 末か享 和に 至って、 再 刻本が、 現れて ゐる" それでも 足りなくて、 その 版木 を嗣ぎ 合して 作った 偽作 「夜慶 話」 が、 作者 名を變 へて、 これ こそ 新作ら しく a せかけ て、 文 化 三年に 生れた。 以上 は、 疑 ひない 亊と思 ふ。 さても 厄介なる 「四十 八 乎」 なる かなだ。 それにしても 再 刻本 「四十八手」 が、 刷り H し を 止めた にしても、 當然 多く まだ 流布 せられて ゐる 常時、 脇 而もな し に 「夜慶 話」 を 作り m したの は、 本屋の 大膽 か、 嬉 丸の 大膽 か、 どちらで あらう。 尙 7 夜慶 話」 の 叙に 就て。 である。 末 尾の 「ひろいと: るが ァ 、夜 鹿 話」 が、 a 來 では 、「ひろ いと: ろが ァ、 お 打-戸な リ」 で、 それ迄 は、 八」 く M: 文。 これで 见 ると、 彼の ほの 釗 作广? は、 嗣 足の 本文 初 一 丁. 忍へば、 人 をお 鹿:」 した 本で はもる。 —— 昭和 一一 :3H1;W 補。 —— 0. しかも 此の 禁令 は、 洒落 本と 限定 はして ゐ ない。 一般 好色本に 就て である。 がその 間の 事情 を 謂へば、 蔦 mx 版元 では、 禁令 以前の 脫稿 であ り、 且つ 出版 準備 版木 等 も 出 來てゐ たこと であり、 且つ 民衆の 傾向 は、 なほこの 洒落 本類妤 色物に 向って ゐる ことみ 察し、 奇利も 博し 得られる と 思 ひ、 行事に 鼻藥を かませた か、 或は、 行事 自身、 鼓 しい 御 禁令の 出た はなで も あり、 それに 上 包の 敎訓讀 本と して あるのに、 この 上 包まで 檢閱 した か 否 か は 分らぬ が、 でなければ、 敎訓讀 本の 意 を、 版元 は、 口頭で 強調したら う。 〕 すっかり 安心して、 許 可の 極印 を捺 した ものに 相違ない。 或は、 蔦 重 版 ー兀 の奇捷 的な やり方 を 嫉んで 憎んで 、密告す る 所あった、 それによ つての 司法 權の發 動と いった もので あらう、 卽ち 同業者の 密告に 依る かと 思 ふ。 兀は风 知の 苦、 卽ち 行事の 疎? I を 利用した 奸 策と、 钊斷 せられた ので ある。 寧ろ かくの 如くしても、 京 傳. 版元が 罰せられ たの は、 罰 した 方が 酷に 過ぎる。 今なら ば、 直ちに 控訴すべき 性質の ものと 思 はれる。 I これ• か、 眞相 は、 全く 反對、 禁令 以前の 脫稿、 形式 は 立派に 取って 檢閲官 の 許可す み、 と いった もので あ つたので ある。 が、 この 寬政 三年 以後の 出版、 作者 不 詳の 洒落 木 「房 情 記」 の 序文 は、 署名 は 明らかに しないが、 いかにも 京傳 であり、 その 京傳 が、 喑に 洒落 本の 未だに 尻押し をして ゐ る や うな 皮肉な 語氣 の 見える、 自分 の 笨禍 に對 する 鬆愤 ば ら し と も 見え る の は、 足み 洗 ひし 老込 作者、 などと 自分 を稱 して ゐ る。 寧ろ 同情すべき である。 閑話休題、 此の 寬政 三年 春の 版、 京 傅の 三 作に、 偽版が あつたので ある。 無論 此の 偽版 は、 三月 絕 版 を 命ぜられ、 原版 木 押收の 目に 會 つた 以後で ある。 I 但し 此の 偽版の 作製 せられた 年月 は、 明か ではない、 禁止 ま 後の 寛 政 三ハ牛 下半期の 中 か、 いかに 大膽 でも 然り ではな からう。 最も 異同の 烈し いのは、 その 中の、 「娼妓 絹龎」 である。 第 一 、 「娼妓 絹 籠」 の 正 版と 僞版• 本文よ. 牛 丁。 次ぎの ロ繪 將棋 盤面の 如き もの、 上に 解說 があって、 右 惣倾械 と ある もの 半 丁 on 錄ゃ T。 計 丁で ある。 以下 本文が、 三十 七 丁。 跋は 無い ので ある。 但し、 序の 分が、 四 丁で あるに 不拘、 数 は、 五に なって ゐる。 卽 ち序ノ 一 の 裏が、 「可 恐 巧 計の ために 都逼 と」 で 終り、 序ノ 三の 表が、 これ をう けて 「な らんと を o」 云々 となって ゐ るので ある、 卽ち 序の ニを缺 き、 文 は 綾いて ゐ るので ある。 さて これが、 帝國文 成な どの 飜刻 底本で あるので ある。 此の 一本、 流布本と は 表紙から して 異る。 更紗 模様の やうな 表紙で、 题簽 も、 帶 mi の 黄色に、 太い 子 持の 線で 園み、 文 〈十 は、 流布本より 更に 硬く、 なほ 大きく、 「娼 炫綰旗 完」 と ある。 此本 こそ、 かに 絶版 以前の もの 卽ち 絶版 を 命ぜられた その 原本 と 思へ る ものである。 此の 一本. 元、 大 久保葩 ,氏• 市,:; s 春 城氏藏 本。 その 見返しに、 大久保 氏の 識語 朱書 が ある。 先づ それ を攀 ゆる。 又柳浪 館の 序と 跋の 全部と: ni 錄 久彌 曰、 蔦 屋の賫 品 B 錄の謂 也。 巴 山人の 印章 を 劃 を 誤り、 且白 字と せし にて、 僞 版なる こと を 感じたり。 「偽版なる を 感じたり」 と、 ま だ 大人しく ぃラて ゐられ るが、 これ は 紛れ もない 僞版、 雨く 斷定 して 構 はない ので ある" 卽ち 以下、 此の 一本 原版、 卽ち正 版 に 就ての みい はう。 正 版本 は、 序 五、 その 中の 序 一 は、 西 江 月 云々 の柳浪 館主 人の 序が ある。 卽ち 目星し い 異同 は、 流布本に 於て 柳浪 館主 人 序 一 丁 分 を 全く 閥く 事で ある。 自序 以下 は、 大體に 於て、 原版 正 版 の 字 割を眞 似て、 作られて はゐ る。 細かい 相違 は、 n. w の 京傳の 下へ 來る 例の E 山人の 印が、 正 版本 は、 二 線の 圓の 中に、 巴 山人が、 黑く、 普通の ま、 に、 m し篆體 で、 傾き 乍ら 牧ま つて ゐる。 流布本 は、 外の 圍 みの 二 線 も、 極細い もので、 しかも その 中の 巴 山人 は、 正 版と 似て 居ながら、 全く 文字 を 白ヌキ にして ゐ るので ある。 さう して、 巴の 笫ー 劃の 曲げ 目が、 彫り 逮 へて、 開いて ゐる こと、 及び 山の 形 も 正 版より は 拙くな つて ゐる。 次 ざ、 例の 盤面に 向 ふロ轿 半 丁 分 は、 これ も 小 部分に は 相違が 烈しい。 卽ち 左に 列舉 する。 四つ おい 六 七 七つ 雁首 細く、 全 體に 長い。 正 畫の 上部へ 巾 狹. 四 本 襟の あたりな ど 凡て 丁寧。 三つ 雁首 太. 體に短 黑• 、 全 形 だけ 似て、 菊に は兒 えない。 a の 上部へ 巾廣 く、 右 の 線 は、 注まで 至る。 畫 面に 現れた 數は九 木。 參照 せられたい。 」 殊に、 滑糟な こと は、 正 版本で は. 此の 煙から 出た 奴の 裾模様が、 菊の花 を 三輪 描いて ゐる。 これ は 無論 彼の 昔の 狎妓 今の 宿の 妻 菊 園 を 意味した 菊 園 は 寛 政 二 年 二月から 京傳の 妻、 同 五 年 秋病殁 した o お 安くない 所で あるが、 その 折角 吹 聽 も、 偽版 木で は、 何だか 譯の 分らぬ ものにされて ゐる。 其 他、 人物の 羽 織 を 後ろへ 撥ねた 部分が、 正 版木で は 兌え てゐ るの が、 僞 版本に は 無い とか、 拂 子の 毛の 垂れ 加減 だと か、 眼鏡の 緣だ とか. か、 正 版本 は、 第 一 囘と扳 假名 の ある ことな どで ある。 なほ、 丁數の 打ち方 は、 僞 版本で は、 凡て 綴ぢ 目の 裏 半 丁 分の 下に あるに 拘 ち. S つと らす、 正 K 本で は、 本の 柱の 下に ある ことで ある。 なほ、 正 版本で は、 丁の 打ち方が、 一. F 繁雜 にす つて ある。 將 桃 盤面の 圆 と;; II 錄 との 表裏が 一、 卽ち 正 版本で は、 これが 本文の 一 肝腎の 本文の はじまり は、 二よ りで ある。 以上 順に 追うて、 笫廿六 丁に 至って、 これが、 廿 六の 卅 とあって、 卽ち四 丁 分 を 飛んで ゐ る。 それが 四十 一 丁に 至って、 再び 三 丁 分 を 飛んで、 四十 一 の g と ある。 で、 木 文の 終 は、 ra: 十五と あるが、 正味 を數 へたら、 盤面の 圖 から、 三十 八丁、 純 本文 は 三十 七 丁、 卽ち 偽版 木と 異り はない。 正 版本、 その後に、 跋ー 跋ニ跋 三が あり、 蔦 屋目錄 が 二 丁 分 あり、 最後に 奥附半 T 分、 例の 「珍ら しき 新 板 云々。 よって、 流布本に 全く 闕く序 一 、 跋三丁 分 を、 原文の 俊、 左に 載せて おく。 C 'クン 7 ,-, ひとつの ひ. i,:, 飞 める 4 可レ謹 丄不 以上 gs レ省。 金 馬 門に あらぬ。 牛 sf の c 以上 表、 第二 行 樣 に i! を - て。 上ハ 天人の 尻 を 摘。 以上、 第 四 行 ハ i の. や, : あ Z -.? , ノ, ィ に 女 糸奍 嫖 客と 娼妖の 風 W 上、 第 七 行〕 情 を 細 碎て。 1に が Slb9 以上、 第 八 行〕 ことし。 ぼ一 あ ぢはひ そのび - 一 たび 味て 其 美なる をし る。 お 上、 裏 -r ぶ, すべから くひ や 5ii んてか はっしゃ、, の 第二 行〕 に堪 たり。 頃 評而求 寛 政 辛亥 孟陬 y 版本 のみ の跋 二 ぃ,3 たい 釵顆山 曼 鬼武識 围ー 國 〇 後 叙 i ぎ k も? " i をして 第二 S して. lis- 一 行 も 脚 を 创て不 觐バ 不賣 OS 四 行 , や il: f 娼 奴-』 おいて を や。 第五 行 應馬呼 牛な くんば ある 第 六 行 ベ からす。 自 有の 盟章も 裏 第二 一 なし。 I は。 身 をた つるの, 業 ゅ憐。 四 行〕 高 飛の 鳥 も 美食に 死。 豈虚 のみ S 第二 行: ならん 乎。 4 ,0 き か. 昭和 三年 一一; 月 抓。 以上の 四 名で ある。 卽ち 同人な り や 異人な り やの 問題で ある。 そして それが 未決の 問題で ある。 が、 自分 は 今 それ を 何とか 斷 決して 見ようと いふので ある。 是れ、 此の 稿の 成る 主なる 動機で ある。 自靈 と、 「江戸 八 百 八 町」 同。 然るに. こ k に 迷 はされ て來 るの は、 r 靑本 年表」 安永 六 年 作者の 項に、 大久保 氏 ならん 附記に 左の 如く ある。 中咯〕 龜 遊と 齙 遊女との 二人に 就て考 按す るに、 予は同 一 の 作者なる ベ しと 想像す。 さて 弱った ものである。 鼴遊 卽ち龜 遊女、 それが 喜 三 二の、 後の 一 一 代 喜 三 一 一 本 阿彌 の 枠、 後 狂歌 判者と して 有名な 芍藥亭 長 根と 同人。 を 引立てる 爲の、 それ も 十 歳の 小 兒の爲 にの 強い ての 代作と いへば、 何が何だか 分らなくなる ので ある。 c: 後說. :- 今、 rt: 分 は、 此の 龅 遊女なら ざる 安永 六 年 以後 安永 八 年に E る龅 遊に ついて、 全くの 偶感 を披 派し たい。 それに は 多少の 自分の 憑據も ある。 砲 山人、 その 龅 遊ぶ 處 は蓬萊 ではない か、 卽 ち蓬萊 山人 龜 遊と。 それに 彼の 戯作の 發途 は、 安永 六 年で あるら しいから、 「作者 部類. 卽ち 彼の 正確な 戯作 界の 活躍 開始 は、 やはり 此の 安永 K 年の 衆說 LL 歸 しょう。 同年 直ちに 弟子が 生じた とい ふの も考へ 物で ある。 〔名 成した 後の、 讓渡 なれば、 い、 かも 知れぬ が。 卽ち 自分の 臆測 後 說 の 如く 安永 八 年 巳に 喜 三 一 一として 寶り 出した 頃の に、 蓬萊 山人 歸梳 と、 喜 三 二 自身の 蓬萊 山人 齙 遊との 交涉の 如く。 〕 とにかく 道 陀ま麻 阿の 例 も あり、 且つ 處女作 頃の 事 ゆる 1、 何の 名で 當る かも 分らぬ とい ふ商賣 上の 意味 もあって、 〔これ は 然し 大分 臆說 であるが〕 一 人に して 一 一個の 名 洒落 本 其 他で は數 個 で 黄表紙 を 書き 同年に 發 表して ゐ るので はなから うか。 チン 說 として 參考に 資せられたい。 他に は 出でなかった ものら しい。 大久保 氏 は 前掲の 如く これ も 初代 喜 三 二の 二 代 喜 三 二 引 立の 意味の 代作の や 5 說 かれて ゐ るが、 これ は 可笑しい。 とい ふの は、 どうも 初代 喜 三 二で はなく、 一 一代 喜 三 二の 代作の 意味で は 無論ない。 別人で、 全く 初代 喜コ 一一 一と 師弟 關係 にあった ものら しいから である。 それに は、 天明 四 年の r 龜遊書 草紙」 にある 喜 三 二 門人と いふの を 見る まで もな く、 それより 以前、 天明 ー兀年 出版の 草双紙 黄表紙 類 四十 七 部に 就て、 評語 を 綴った 「菊壽 草」 蜀 山人の fe. 初代 喜 三 二 事 乎 柄 岡 持 C 喜 三 二の 後の 狂 名。 ,? フと思 はれ るからで ある。 初 舞臺と ある 點も、 これが 龜 遊の 處女作 であり、 且つ それが 女性で ある 事 は、 再三 念な 押してみ るので も 分る。 全く 一 一代 喜 三 二の 代作な どと は 意味が 違 ふと 思 ふ。 卽ち齙 遊女 は、 女性で、 喜 三 二の 弟子で、 天明 元、 天明 四 年頃に は 明かに 存在した、 と 自分 は 見る ので ある。 然 らば 前 の 蓬萊 山人 躯遐 と、 此の 蓬萊 山人 龜 遊女との 名の 上の 交涉は 如何。 これに は、 私と しての 答 は 斯うで ある。 一 〔尙 、齙 遊、 躯 遊女 同人 說の 「靑 本年 表」 と 同様な ものに は T 小說家 著述 目錄」 中 根 氏 の 如き も ある。 次 は 第三の、 蓬萊 山人 歸樯の 蓬 萊 山人 號 である。 が 其の 喜 三 二 も 翌寛政 元年に は旣に 絶え、 二 代 目 喜 三 二の 戯作 を 見て ゐる。 畢竞 以て 境遇 相似た りで あ 3 朋誠堂 喜 三 二 ほど 通俗化 せられて ゐ ない 歸 橋の ため、 その 洒落 本 及び 他の 戯作 書目 を 試みに 爲 して みょう。 年代順 〔き か i〕 安永 三 年刊、 棕 美 車 紫 鹿 子 天明 再 摺本に よる。 談 語と 改む。 享和 初。 「花 折紙」 に 載り をれば、 元 力 二 〇 玉の 蝶 同 初 力。 不詳、 〇 客 衆 一 華表 或は、 B の寬政 力 o 品 川 海苔 寛 政 末 力。 序 等 一 切、 年次の 記 人 見當 ら す。 O 傾城 人相 鑑 不詳。 他に、 「鳴子 瓜」 など を、 「洒落 本書 目」 では 載せて ゐ るが、 これ は 准 洒落 本で、 滑稽本と も 謂 ふべき もの、 卽ち 除外す る。 右の 大體 でも 分る やうに、 彼 は 主に 後期に 榮 えて ゐる。 京傳 などの 繼承 者の 觀が ある。 なぜ S 分が こ i にこん な 分りき つた 事 を 繰り返し たか。 從來の 諸 書に、 振鷺亭 は 中期の 作家、 或は 寬政 力: 年頃 迄 の 洒落 本 作家 で、 以來 他に 移った やうな 語氣で 書かれて ゐ るからで ある。 此 時に 常り て 振 梵. : やが 新 作の 洒落 本、 n 木 橋 w 日 市なる 書賈上 總屋利 兵衞、 上 總屋忠 助 利 兵衞に 仕へ て 分家せ しもの 也。 II 原註 等 多く 印行したり。 そが 中に 深川祌 酒の 口 ? とい ふ 小冊 は 深 川の 洒落 也と に き。 此餘も 宣淫の 作 あり。 そ は 書名 を 忘れたり。 つらに なりし と ぞ。 」 これで は 結局、 享和 期の 彼の 活動 を 知らぬ やうで ある。 殊に、 自分 は、 「意 妷の 口」 の 如き は、 に. とにかく 彼 は 法網 を 窺っての 作家、 寧ろ 禁 以後 享 和に いたる 中心 作家と 兌たい ので ある。 朝 含 氏 も、 振 驚 亭を享 和 期に 多く 作した と兑 てるら れる。 云 ひ 落した が、 寬政ニ 年 五月の 好色本 類の 禁の 折、 奉行 伺 上、 同 九月の 厲行 達しに は、 行事 改め を 命じて ゐる。 これ を 顧慮に 入れねば ならぬ。 以下 は その 敷衍で ある。 さう して 笫 一 囘が、 此の 禁の 正の 物で める。 笫 二;! は、 その 厲行を 迫った ものである。 卽ち 笫ー囘 は、 同 五月の 町觸、 五ケ 條に 一口 一って ある それで ある。 ," す、 以 後 新 板 之 物 作お 並 板 元之實 名、 奧 書に いたし 可レ巾 皆」 とい ふこの 第 一 ケ條 である。 此の 妤色本 類の 屮に、 無論 洒落 本 は 含んで ゐる。 玆で 疑問 を感 する の は、 行事 改 がいつ から 始まった かとい ふ 事で ある。 此の 時の 八リ では、 内 閱の强 耍 であって、 行事 改を 指して はゐ ない。 とにかく、 此の 五月の 令に は、 行事 改は 見えて ゐ ない。 行事 改腐行 第二 囘は、 九 おの 町奉行への 達しで ある。 「三 奉行 ェ」 の 達しの 屮の、 一つ、 その 笫 五 徵條 目にある。 の 令ぁリ これ は 行事 改を 述べた ものである C 曰く、 京傳 等の 處 As 一 、 書物 類 之 俵、 前々 ヨリ 嚴重 ュ 中 渡 候處、 イット ナク 猥-ー 相 成 候、 何-一 ョラ ズ 行事 改 候而、 繪本 草紙 之 類 迄モ、 風俗 之 G 不 n 相, 成 1、 猥リ• とい ふので ある。 これ は、 知らる、 通り、 二 年の 十二月 末、 行事の 改め を經 たもので ある。 本と は、 特にい うて ゐ ない。 讀 本る 名 づけて るる。 勿論、 この 宽政三 半に は、 京俾 以外、 少數 たがら 洒落 本 作 を 見受ける。 然し、 京 傅 は 常. 卽ち 彼等の 心證 を餘 程の 不良に 認めての 事で あらう。 無論 此等 は秘 出で ある。 以後 また ほつ. それが 積って、 宽政八 九 年頃に は、 新 板 一年に 四十 二種と なった。 全部 秘密 出版、 行事 改 もなかった 箬 である。 これが 發 見せられて、 奉行の 吟味、 版元 處分、 作者 は. 左記の 事情に より、 却って 有司 自ら 忌避した。 及び 從來當 時の 洒落 本 絡 版の 實行 寧ろ 寬政 一 一年の 令の 實現斷 行 となった の だとい ひたい。 とにかく、 例外 は あるが、 概ね、 前期よりも、 寬政五 年 以後の 物 の 方が、 猥 さも 徹底して ゐる。 我等の 前期 本 後期 本の 內容の 比較から である。 それ は、 秘密に 出て、 愈々 奇利を 博した せゐも あらう。 寛 政 九 年頃の 處 分と いふの は、 明文で はない-か、 馬 琴の 「作者 部類」 に 現れた 記述で ある。 町奉行 所へ 召 出されて 吟味 ありし に、 其 洒落 本の 作者 は、 武家の 出なる も あり、 其 家人 さへ 有ければ、 申立 事に 及ばす、 板. 兀 が 自作に て、 地 本 問屋の 行事に 改正 を 受けす、 秘に 印行し、 不調法の 由 を ひとしく 陳申 し k かば、 件の 新 板の 小 本 四十 二種 はさら 也、 古 板 も 洒落 本と 唱 ふる 小冊 は、 此時皆 町 奉 行 所へ 召 拿れ て、 遣りな く 絡 版せられ、 そが 板 元の 貸本屋 等 は、 各 過料 六 貫 文に て赦れ けり、 そが 中に 云々 00 こ は 根 岸 肥 州の 裁許に て ありけ る。 下略,』 以上に よって、 よく 經 過が 分る と 思 ふ。 さう して 此の 名主 制が、 幕末まで 镜 いて ゐた 唯一 の撿閲 方法で あつたので ある。 此の 笫ニ 囘の處 分と 絶版 以後に 於て、 懲りす まの もの は、 而 して 其の 中處分 を 受けた のが、 「辰 巳婦 言」 等の 三種で ある。 i 大正 十五 年 小 刀。 谷峨 など 凡て 此期 以後の 活動に 嵐す る。 此の 夥しい 出版、 新作の 頻出 は、 何 を 怠 味して ゐ るか。 當然 上司の 監督の 寬、 又は 法令の 弛廢を 意味して ゐ ると 思 ふ。 廓の 癖• 宵の 程な ど は、 再 刻 否 三 刻 ? まで、 明治 以前 に 行 はれて ゐ る。 傾城 買 十八 乎、 繁千 話、 始奴 絕驢、 仕 懸文庳 など。 一九の 作に も、 再 刻本 资學 問な ど を逮々 見受ける。 再 招の 例 も 多い。 絶 版本と 稱 する 三 馬の 「辰 巳婦言 」 の 如き も、 今日 現存せ る 本の 體裁 よりいへば、 W 摺再々 摺を 企て、 ゐ る。 これら は、 全部 秘密の 行跡であった らう か。 殊に 此の 再 招 三摺 は、 文化 頃に 多い かと 思 はれる。 再 刻 は、 京傳 作の 如き は、 寬政 末に 行 はれて ゐ よう。 寬政九 年を距 つる 近き 此の 年代に 於て、 此" s 现 象 は、 一 方 新版 頻出より 見て 當 然と は 思へ るが、 寬政 三年、 同 九 年の 上司の 處遛 から 兒て、 思 へば 滑 稽 である 0 が、 享和 頃、 二三の 物に 絶版み 命じて ゐる とい ふが、 然 らば 他 は 何と これな 兌た か。 現に、 當時 一九-など は、 宛字で は あるが、 序文な どに 左禮本 というて ゐる。 殊に、 を かしく 思 ふの は、 寬政九 年頃の 十 2 今の 洒落 本 類 板木 沒收、 結版斷 行と いふの が、 これが ま た實 施せられ たか 否か、 怿し いもので ある。 其の 證據 をい はう。 見受け るからで ある o 再 刻本 もまた あるが、 今 は-やま ひ W 摺 のみに 就て いふ。 この 再摺 は、 いつ 行った もの か。 , 氣 行 はれた と 見て せられ、 再び これが 偽版 を 柿へ て、 刷り出し たと 兌るべき であらう。 宽政 三年 以前の 他の 作者の ものに にも、 再 刻が その 以後に ある。 「遊 偎竊烟 の 花」 など 然り である。 卽ち 此の 山 旭亭本 は、 彼の 年代から 見て 寬政 末で ある。 誠に、 當 時の 幕府の 態度 は、 怪しい もの だ。 宽政九 年頃に 斷然絡 版 を 命じた とい ふが、 その 以後の 板 行に 係 はる r 婦足 靄」 成 三樓 著 は、 筆禍に 觸れ たとい ふに 拘ら す、 今日、 小 本、 或は それ を 中 本に 刷り直し たもの や、 又は、 「雪の 梅」 と 改題した 文化 本 や 様々 ある。 此の 通りで ある o 尙、 盛 行した 享 和 期 本 例へば 「二 ッ 蒲團」 の 如き も、 文化に 改題 再 招して ゐる。 此例 他に も 多い。 尙、 寛 政 三年 以前の 例 では、 自分 は、 また 京 傅の r 吉原 楊枝」 など を 知って ゐる。 此 本元 來は、 天明 八 年の 版で あるが、 現に 自分 所蔵の 本 は、 糙 かに 再摺 である。 これな どの 再摺 は、 いつに 起った か。 事 實、 この 初版 當 時の 增 刷で、 現存して ゐる もの も 多 か らうが。 刷と しか 思 はれない ものである。 卽ち 版木に よって は、 寬政九 年頃に、 また 隱匿 しね ものが あ つたら 50 或は、 寬政 三年の 體刑處 分 は、 あるに はあった が 絕版は 行 はれす、 寬政五 年頃から 九 年に 至る si に 於け る、 當時 一 年に ra 十一 一種の 頻出と 同時に、 前代の もの も爭 つて 再 刻 又は 再摺 にかけ たの だと もい へる が、 これで 寛 政 三年 以前の 本の、 再 刻 又は 再 摺本 現存の 理由 は證明 出来る もの-、 、 然 らば、 以 後の 斷然 禁止 絶版の 舌の 根の 乾かぬ 问十年 以後の 盛 行 を 何と 見る か。 殊に r 婦 足囊」 など は 如何に。 最後に、 自分の 知りたい 事 は、 寬政九 年頃の 一 年に 四十 二種と は、 蓋し 何々 か。 尙、 所謂 年代 不詳 本に は、 此の 當 時の もの も 多き に をり はしない かとい ふ 事で ある。 が 要 する に當 時の 上司、 頗る 不得要領の 取締 を 講じた 事 は、 以上 を 以て も 知られる と 思 ふ。 尙、 右の 稿で は、 自分 は、 嚴密 に、 再 刻と 再摺 とを區 別した。 卽 ち再摺 は、 舊版 使用の 謂で ある。 此稿、 再版なる 言葉 を 避けた、 それ は、 再 摺再刻 どちらに もとれ 易い からで ある。 なほ、 右の 書 き 方、 頗る 七面倒な 筆で あるが、 それだけ、 洒落 本 絡 版の 事實 上の 徑路 そのもの も、 七 而 倒で あ ると 逃け てお く。 尙、 一言、 現在 洒落 本に、 奧 附を缺 き、 又は 年月 等の 序 記入 を刖 りたる もの あ る は、 是れ 明らかに、 少 くと も寬政 三年 以後の 秘密 再 摺本た るの 證據 である。 大正 十五 年 十一 ガ。 洒落 本 傾城 買 二筋道の 二 編 「廓の 癖」 II 谷峨 作、 國政靈 !— の 初版に は、 流布本に 見ぬ 序 跋が附 い 洒落 本雜 a In セ 戶軟文 gs- 考異 一一; 八 てゐ る。 本文に は 異同 を兒ぬ が、 書體、 又は 輪廓の 大小 等 色々 ある。 從來 初版 純 初版 を 見なかった 自分と して は、 流布本 を 信じて ゐた。 帝!: 文茆の 飜刻木 も、 此の 流布本の ま、 である。 此の 初版 本 中 本、 觅紗 表紙、 題簽 等 は 流布 木に 问じ。 但し 流布本と は 無論 版木 を 異にして ゐる d 本文 は nil じ。 但し、 書體 一 點 一 劃 を 相違す。 今 それ を 流布本の 補足と して 揭 ゆて お く。 帝 文 本 にも 補足 せらるべき は 無論 で あ る。 此の 自序 は、 初めに に 序と ある。 此の 谷 蛾の 序、 流布本に 同じ。 勿論、 「ま」 と 、ひ、 「鼠が へし」 とい ひ、 すべて 染色から 來てゐ る-か、 此の 題からの みの 類推で はない。 これ は、 寧ろ 傍證の 一 に はなる。 享和ニ 年 版と 稱 する 「鼠 歸」 を 見ての 事で あ る。 其 序文 を淸々 老人、 例霄を 自身 物して ゐ るが、 その 序と 例言な どから 來 るので ある。 これに 處々 染 物 を 述べ、 且つ 例言に は、 染物屋 云々 と ある。 題名からの 思 ひっきと して は、 餘 りに 煩琪、 重複で あ る。 寧ろ 题名 は、 此の 家業からの 思 ひっきで はない か。 その 二三 を 要約して 舉げ る。 〇 序 淸々 老人 このみ した くろふ -; ナ A- …; 前略 今や 鹽屋 主人の 好に は、 袖 ケ沛の 蒼海 を下染 として、 總 房の 霞る 黑に糊 豆 墨 かけ むかし を 載、 小紋 は 上代に かへ る八ッ 山の 櫻 ほうぶ り乃是 を鼠歸 とい ふ、 近顷 の出來 なり、 派 乎に して 浮氣 ならす、 おとな はしく して 淋しから す、 染 地の 丈 も 能み じかから す、 ェみ にして 魂膽有 中略 此趣 を予に 序せ よと 疊 さい 足、 明後日 迄の 一 一 一一 Ife も M す褊急 故、 無是 はや そめ 5 は ゑ とつ 非 早染の 問に 合 を 上 畫の筆 を 採て 細々 としる す。 〇例霄 作者。 但し 例言と 斷り をら す。 となり、 其 反物 世に 甚 まれな り、 今 乂;: ST か へ し を そめ 出して、 是が跡 を おはしむ、 しかれ ども 云々、 おかしみ を專ら にして、 すごき こと を あら はした る は、 染 物屋の 乎 がらな らん、 どなた も 一 反づ、 めして ごら ふじろ。 葵 丘に 就て とい ふので ある。 卽 ち鹽屋 は、 當時狨 流行して ゐた 自惚の 意。 艷ー 一は 、頭の 鹽屋 に相應 した 例の 「樺 燒」 京 傅 作、 黄表紙 の 主人公の 艷ニ郞 からの 思 ひ 付きと 兑て も、 紫色 主 は、 家業から 思 ひついた 戯作 名 だとの 類推 如何。 仉し 住居 は 不明で あるが、 同喾践 に、 葵 丘. hr 寓居と ある。 一 說には 品 川に 住すと も ある。 土俗 薬が 岡と」 呼んだ とい ふ 江戶 名所 圖會、 卷三 ので はなから うか。 參ぉ とする。 II 太 K 十五 年 六 刀。 勿論 创 作の 屮に は、 怪しい 糊塗せられ た 剽窃 や、 前代 叉 は 同時代の 名著に 對 する 摸倣 も あらう けれど. 投擬 作と は、 前代 乂は外 に 支那 の 諸 書 諸 作に 假り、 その 趣向 を 受けて 內容 を當世 風に したり、 又は その K を 行かう としたり、 彼等 はこれ を 風流と 名 づけ、 當 世と 稱し、 又、 眞實と 名 づけ もしたり 一 様々 である。 创作側 摸倣み 含む: 一の もの は 姑ら く 措き、 拔擬 物に は、 その 獏擬 せられた 原著が 様々 あ る。 和漭 である こと は にも 述べた が、 その 內容 は、 經書• 詩集、 歌集、 小 說,隨 筆 類 等、 古今に 亙る。 我が 國の 古典で は、 竹 取、 源氏、 伊勢、 落滗、 枕、 徒然 草、 方丈 記、 平家、 曾 我物 語、 太平 記、 以下 雜多。 今、 我等が 一 々その 書名と 原著と を 比較 列舉 する に は 及ばない 程、 こ は 周知の 事 子 筌 枉 實 であらう。 今 絮說を 略く が、 が、 時 ありて 此 等の 棕觀的 分類 を 作りたい とも 思 ふ。 時代 放れの した ものである。 迂曲な、 今日 我らの 思 ひも よらぬ 所に 興味 を 持った 所の ものであるり が さすがに 此類 は、 我等の 觸目 として は 稀で ある。 或は 寡 閒淺識 のせ ゐか とも 思へ るが、 卽ち 此の 枉 W 物、 二 著 を先づ 我等 は 座右に 發 見した。 いま その 解說に 及ぶ ので ある。 共に 洒落 本 型、 寧ろ 變態的 洒落 本と も 目すべき もので、 勿論 純小說 側で はない。 寧ろ 花街に 關 する 漫筆 螯ー一 一一 口の 類で は あるが、 また 以て 當 時の 好 廓、 自稱通 客 ども を 喜ばせ、 刺戟 を與 へた ものに は遝ひ ない。 それが 一 は 詩、 一 は 歌で ある こと も 面白き 對照 である。 一、 蕩子 签枉解 明 和 七 年 六月 版 二、 k: 人 一 首 和歌 始衣抄 天明 七 年 孟陬の 序 山 東京 傳著 自畫 「蕩 子筌」 は 「唐詩 選」 であり、 「百 人 一 首. 一は 「小 倉 百 人 一 首」 である。 「始 衣抄, 一は、 枉 解と 斷 つて ゐな いだけ、 一 暦 横 著で ある。 「蕩 子签枉 解」 は、 小 本、 序 二、 本文 五十 七、 践 二。 r 始 衣抄」 は、 巾 木、 序 五、 本、 文 三十 四跋 一。 枉解 は揷繪 なし。 「始 衣抄」 は 政 演畫と 刖號を 署名せ る 自畫の ロ繪が ある。 著者の 茶釜 散 人と は、 無論 何人 かの 匿名で あらう。 序に も仄 見えて ゐ る 逋り當 時流 行の 「トン ダ 茶釜」 の 俚謠に 受けた もので あらう。 跋は 自跋、 卽ち 茶釜 散 人、 卷% に 明 和 七 庚 寅 六月、 U 木椅? i 二 丁 m 京屋與 兵衞と ある。 內容、 五一 一一 qg 句 五 言 絶句の みに 始終して ゐ る。 题袁氏 より 答 人まで 七十 五 首。 次に 一 W を S- ゆよう。 か 出て 來る 已皮. p i こ、 ろ もしら. 扨、 此の 「蕩 子筌枉 解」 は、 小說 年表 新修 本 等、 洒落 本の 部に 人れ てゐ るが、 小說 でない 事 は、 见ら る-如く である。 此の 明 和、 延いては 安永 頃の、 洒落 本の 初期、 此類 漢詩 文に 借 りた 鉞著 c 類が 多い。 却說、 朥然 この r 荡子. 签」 類 を 摸倣した と 思 はる、 は、 以後 十八 年 目の 「百 人 一 首 和歌 始衣 抄」 である。 始 衣杪、 老人で もない 癖に、 京傳 老人 識と 記した 自叙、 及び 擬古文 的の 復序。 木 文 は、 屮納 fn 家 持の 「かさ、 ぎの」 の 歌 以下、 崇德院 の 「瀨を はやみ」 に 至る 数十 首、 無論、 百 首で はない。 跶 著衣抄 として 後篇 を 出すべく 跋には あるが、 未刊に 終った もので あらう。 各 首、 作者 名の 次に、 率 强附會 はげしい 作者の 系圔を 記し、 以下 原 歌、 次ギ枉 解と いふ 順序、 尙、 上 攔に處 々略 註 補記 を ものして ゐる。 此の 中、 落語に 用 ゐられ て 平凡 化して ゐ るの は、 「から くれな ゐに 水く、 る」 の 歌、 豆腐のから を くれない に ひっかけた 業; 牛の 歌で ある。 次に 一例 を擧 ける。 C とし より わ そ ん 源俊賴 朝臣 俊 —陰 IJ 事は詳 -1 一: 一一 一也. L 俊 頼 1 說 一一 此人百 人 一首 ノウ チ 一一 テ、 イッチ 年奇 H へ 名 トス うかりけ る 人 を はつ 瀨の 山お ろし はけし かれと はい のらぬ もの を やまとの くにしろ がみの ほとりに、 ひとりの 女 あり、 せいじんの むすめ 子 ど も を、 うちへ 置 はこ k ろなら ぬと て、 母す こしの つて を もとめて、 かま くら 右大將 けのお く 御 てん、 まさご 御前のお すへ にいだ しける、 此 女いた つてき ん びら な 生れつきで、 もちろんたん きもの ゆへ、 母 一し ほあん じ、 三月の 宿 下り を 幸 ひ、 ラぢ祌 へ 身のう へ をい のりの ため、 母 もろとも 娘 をと もな ひ. てらし 給 ふごと く、 心なめ ぐらし、 その 人々 にしれ が ひて、 めしつか ふべき ことな リト 云々 「これら も此 はっせが ごとき 女. 「山ん-ろし も此 たぐ ひ 也 短い、,, もの をと 選んだ から、 こんな 物に なって 終った が、 中には、 もっと 複雜 な、 長い 架空 的 文字 が ある 事 を 云 ひ 添へ てお く。 悉 しく は、 それにつ いて おられたい。 II 大正 十五 年 五月 二十 II! rn。 m 一 、 膝? ボ 毛 物の いろ い ろ 初代 I 九 作 の 膝: 柴毛目 膝 栗毛 物の 研究 第一、 膝 栗毛 物の いろ 初代 十-返 舍 一九の nss 道. 中 膝 栗 S を 振り出しに、 之に 類似の 作 頻出した。 延いては W 治初沏 にえ で 及んだ。 また 一 極 近世 小說史 壇の 偉觀、 奇觀 であらう。 木 記述 は. 先づ、 膝架モ の 類似 作 を、 朝 介 氏の 「n 木. 以下の H 錄中、 外題の 上の き 印 は、 飜刻物 〔活字本〕 ある. 初代 一 九 作の 膝 栗毛 册数 作者 畫者 刊行 年代 初代 一九 榮 水口 繪 享和ニ 年 C 但し 比の 初徧、 本文 頭 外題 は、 「浮世 道中 膝 栗毛 初篇」 と あり。 後 を 看よ。 同 G 同• V 匕. この 本、 他 E 錄 類に 一 切なし、 し 績々 膝 栗毛 三 編 二 二 代 一九 國直畫 天 保 六 年 〇 此の 二 代 一 九 は、 例の 絲井鳳 助 の 改名せ る もの 初代 殁後 間もなく。 春 馬 改めの 一 九 實は 三代」 ならす。 1 l-cz-f-tMAJ ノ 國芳畫 同 一 信畫 國芳• 方言 、に SL. 三 諸國 無茶 修行 一 〇 右、 疑 はしけれ ど。 g 货金 駒 二 王子 土産 一 參ニは 小 鹽の作 也。 姑ら く 疑 ひて 記す。 此 本、 人 著作 考」 參照。 II 宫 S 土産 六 〇 無論 大阪版 か。 久 沿 富 士 詣 十 談合 膝 栗毛 三. 一丁 三 編三册 は、 弘化 三年 出来 龍き 脚 栗毛 初• 女 膝 栗毛 三 问 松 山道 中 膝 栗毛 六 同 滑糟 千社參 八 梅 亭金鵞 鴛齋畫 e: 〇 以下、 「年表」 「書目」 以外より 補。 ノ 0: d's 初 編よ 一 九. IKS 3- 九铋 弘;; r ゴ 傳 へられて ゐ 就て る. 「 前略 十 返舍翁 諸國の 方言に 精し といへ ども, 微細の 所に 至って は 誤な しと もい はえ す。 ;; あるべし。 5- や 明治 二 巳 夏 狗々 山人 これで 狗々 山人 は、 熱 田 生れの 仙 粟 本姓 高撟、 初代 種 彥の鬥 人。 である こと は肯 づけて、 且つ 彼れ 晩年 窮餘の 著作た る 事が 分る が、 唯 可笑し いのは、 この 序の 明治 二と ある 事で ある。 從來の 諸說、 凡て 仙 枭を段 應四年 二月 九日 殁、 本 所 中の 鄕東盛 寺に 葬る、 享年 六十 三と し てゐる 事で ある。 しかし 妙な 現象で は ある。 一 一三の 他 は、 殆んど 未見 本。 唯賣立 目録 等に よる. C 分の 記憶で ある。 明治 以後の 接. 外!: 旗 を 打 出しにし たる もの。 嘗て 零 本 を家藏 して ゐて. f:u 〇 此 本の 事、 早 稻田文 m 「明治 文舉 胎生 期 綾篇」 大正 十四、 七 、 に 生 方 氏の 記述と して 委 しく 出づ。 IHj 笑談膝 栗毛 三 菅沼左 膳 明治 十七 年 〇 此本、 三 河 岡 崎、 伢藤小 文 司 瑗翠 堂 發行 人。 著者 叉 同町の 人。 菅沼 氏、 雅號を 娃! W 舍 一枝と いふ。 畫、 ロ畫 とも 數葉。 著作者 、本名み」 せ:1 川 脇 五郎と いふ。 揷繪 面白し。 人物 は 丁 髭の 兩人 にて、 背景 は 明治の 洋館 人力車 等 也。 再 來 して 一 々勝手の 狂った 所が 興味 か。 畫者 不詳。 其 他尙多 かるべし。 今 は、 唯 その 一斑の み。 以上 を 以て、 姑ら く 本 記述に 筆 を撋く 事と する。 〔尙、 例の 吾妻 男 一丁 金 窗 の 猥本 膝 磨 毛 八 編 十 六 冊の 解題 は、 故意に これ を 略いた。. 蓋し 一 種の 珍で あらう。 一 は、 年表 等に あり、 平凡なる もの。 一 は、 下作 なれ ども、 夫 等に 一 切 見 當らぬ ものである。 卽ち第 一 、 華 鹿 毛。 筋 一 一、 臍 磨 毛で、 共に 「膝 栗毛」 摸擬 作と して 特 色の 著しい ものである。 眩栗乇 物の W 究 一芸. 「身 延近 中 華の 鹿 2 は、 屮本全 六 S 初 二 編 各 三 5 物で ある。 初 編 三 冊 は、 一 九の 序に 文化 じ孟 陽と あり、 卽ち 文化 六 年。 初代 一九 閱、 甲 陽 河 主人 著で ある。 命题、 各 様になり をる。 卽ち初 編の 見返しに は、 上に 横長 に圍み をと つて、 I. 州 道中 滑稽 十返舍 一九 閲と あり、 下に 華 鹿 毛 初 編 一と ある。 本文 胃 頭 は、 身延 道中 滑稽 華の 鹿 毛と ある。 即ち 三 様の 外題で ある" 作者、 甲 陽の 人、 河 亭主 人と は 誰 人で あらう か。 甲 州 在と は 分る にしても、 尜性は 如何、 全くお 知す る 所がない。 唯、 一九に 遙 かに 謁を 執った、 直接の 門人ではなかった らうと いふ 程度で ある。 全 六 冊 「年表」 所載 は、 一一 一冊と あら。 感じ は. 調子が 稍 i い が、 全體に 於て、 御 丁寧に 初代 一九の 東海道な ど を 摸した ものである。 狂歌の 赞 ある こと 亦 同じ。 先 づは、 左に、 初 編の 一 九 序文と 凡例と を 全文 載せる。 ふ ど-ひち 5 ムで は r; ラ つし 河問亭 の あるじ。 予が膝 栗毛に 道 を かへ て。 此 一 銀 をぎ る。 そ M. 是を 賞す るに。 酒 食の 美 を 好で 備 ふること を も はらと なせば。 邊土塞 地に は。 其 事 疎なる が 故に。 おの づ から 實景を 得る の樂み 深し。 AT や 圍 "東海 木 曾の. 異にして。 往來も 偶 身 延詣富 士參の 外。 旅客 を 兌 ざれば。 ぶ どう だな し; i 凡而 事の 足らざる と。 何 だら 發智の 柿の 種本と し 、くみ づ ナみす h-• つちぐ り すて かいこ くひい V. ぐんない ま し 、は 5 ザん の廣 前に 納る 御代の 有が たさ は。 生醉 となって 大道 一 はいに 大手 を 振て あるけ ども。 囊中 自 錢次 第で 西國束 海の 菜 迄 も 足 を勞 せす。 往來 自由自在に て。 辨當 持す に 腹の へる 氣遣 ひもな く。 旅 は 憂 ものな どい ひ傳 へたる も。 今 は 保養な が らに 旅立して 樂 みとす る 世の中。 斯る 有が たき 御代に 生れ 合せた る は。 八 百 や 見せより も 冥加 ある 事に なんお も ほへ ける。 實 や江 都 祌田八 町 堀なる。 とち めん や 彌次郞 兵衞居 候の 北八兩 人が。 かの 彌次郞 兵衞が 住居た る。 ひとつ 長屋の 左 次 兵へ といへ る ハ北ハ むかし ra 國を 廻った さるもの、 悴 にて。 親の 名 を 其 儘に。 二 代: n の 左 次 兵へ と 名 乘れど も。 いまだ 四 國は衩 置て 箱 根 を 越た 事 もな く。 3 ど。 しきりに 彼附 人が 旅 中の 洒落 を羡 み。 とも す、 j ぷく 日 比 無二の 朋 とする 是も 同じく 役者に て。 洒と女 は 飯より 好物。 贫乏 なれ ども 名 斗 は; 1 七と いへ る なまけもの。 -渠を 伴 ひ 以上、 初 上の 二 表まで 〇 以下 は、 甙編上 屮下三 冊の 解题。 が と 代って ゐる。 先づ 甙編 上の 序。 , 一 ふ のぶ まふで はなのか ゆ 身 延 詣 花 鹿 毛 序 ふかく さ ゆん せいほ ラし み のぶき "7 r. 7 VG その, れ たか か かんてい し A-れ 深 草の 元 政 法師が 身 延記行 は。 孝に 據て 其譽 高く。 今 河 亭ぅ しの 身 延記行 は。 誹諧に よりて し。 渠は法 花 經の壹 ぎ 八卷を -M 旨と し。 聽者批 謗の 徒に あらす。 作意の 妙法 はこれ。 爱 へ も 本が デ 、 ブ デ ブ. じちれ スし 3 さげ しんん、 けんご はんもと ひゆ だいもく ひゆな で 日逑宗 力 しらね ども。 髯 題目の 鬚撫 して。 予が 方に きたり。 是に 序せ よと 徒は投 す。 上戶弘 近の 柄 栂を兑 せて。 予 にも 亦 信心 を發 しむ。 こ k において。 此問道 法饞六 七 里の を。 三卷 みちのり 1- つ 、 マ、 に 綴りた る は。 身延山 迄の 道 法 四十 里に 足らざる 所 を。 悠然と 惹延し。 追々 後篇 を 著さん と。 初篇 の 世に 行 はれた る 僥 倖 に 乘が來 て。 c さ 下 と共にお くと Ai- ひきたる 趣向 一• 八る-つ i こと ど C なォ ば- 好 士の閲 に 倦ん 事 を 恐る。 希く は 只身延 山まで。 及び 風土 山川の 道し るべ と 而已見 給へ かし 卷中 相州津 久井縣 より。 甲 州郡內 迄の 方 一; 一一 n わかりが たき は。 あらまし. "に其 意 をし るす。 され ど 事 多ければ。 悉く 記す にいと まあら す。 il と拂 衣て。 都留 川の 川 W きょり。 郡 內逬屮 の をし るし。 夫より 甲 州 g 歡!! 立 正 寺へ 且石 和鹈飼 川に て。 經石を ひろ ふ 趣向まで を。 書钹 めて。 爱 にて 牮 をと にめ。 其 次 四篇に 至て。 甲府 より 身延 山まで を。 こと- -く 書 著し。 此篇 にて 滿尾 せしめん とす 凡 例 終 〇 ところが、 此の 初, 甙 編の 六 冊で、 あと は 未刊に 終ったら しい。 物 町 河 內屋太 助。 江 戶通油 T 村 田次郞 兵衞。 同市 ケ谷田 町 下 一 一丁目 上州屋 仲右衞 門、 同 梓と ある 如しで ある。 わるふざけの 一例と して、 ニノ 下の 卅 一より 同卅五 大尾 まで を 全文 載せて おく。 州郡內 上野 原 驛; 百に 於け る描寫 である。 た 滑稽のと りぐ である。 前 峪 男 「コ レ く 乎め へ。 晝の約 朿ダァ からさつ きにから 忍んで 來て待 あかし タァ に。 あぜ そんなに 乎 間が とれた。 早く 爱へ 〇〇〇 寐 なさろ ト ふく 七が 手 を 引ば る。 これ はかの 下女 この ふたりともに はぐら かして、 おのれ はは づ して ほかの 所に ねたる とみ へ たり。 このと きふく 七 は。 あいさつ もな りが たく。 むこん こて こ. こはた まらぬ ともぎ どうに ふりはなし。 はしごの かたへ にげ ゆ くに。 かのお とこ も 追 かけいで とら へんと する。 この 時 ふく 七 は。 やにわに はしご へ あし を ふみかけ たるに。 このと たんに ふく 七 も 一 1 かい 口より まつ さ 力 さま にお ちんと す。 これ はた まらぬ と。 二 かいくち に 兩手を かけし つかと とらへ けォ と。 足 とまりな くぶら さ-かりけ るに。 此 あたりに。 に はとり のす をつ るして ありければ。 これにお どろき すに いたる にわとり。 まいた ちければ。 このそう どうに。 ていしゅ も 目 を さまし。 乎し よく をと もして。 たちいで ながら ていしゅ r ャ アヤ アコ リ ャァ。 すっと 見 あぐる に。 ふく 七 は 二 力い n にぶ ら さがり ゐ たりければ o ていしゅ r ャァ く く。 そこに 居た は。 だれ だ, (-ト 乎し よく を さしいだ し。

次の