オードリー タン。 オードリー・タン氏〜中学中退の天才IT大臣

台湾の若きデジタル担当相(38)が講演「なぜ台湾が新しい技術を取り入れられたか」──デブコン5

オードリー タン

00 はじめに 2019年9月11日に正式発足した第4次安倍再改造内閣。 その科学技術・IT担当大臣に任命された竹本直一氏(78)が 「本当にこの人で大丈夫?」 との声が早くも不安の上がっているのをご存知でしょうか? それもそのはず、 IT担当大臣 というこれからの時代の最先端を走るべき役割に 抜擢されているにも関わらず、 竹本大臣は去年発足した通称「はんこ議連」の会長だったことから 今月12日の記者会見で、 「行政手続きの『デジタル化』と書面に押印する日本古来の『はんこ文化』の両立を目指す」 という発言をされたのです。 これは、 安倍政権がどのような姿勢で政治を作っていくのか 政策をきちんと考えているのか かなり疑問視される発言だったかと思います。 そんな中、 ネットで注目を浴びた人物がもう一人いました。 その人物が、この記事のタイトルにもなっている 台湾のオードリー・タン大臣 です。 彼女は、 1、最年少である 2、中卒である 3、トランスジェンダーである という、 3つの史上初 を持つ異色の経歴の閣僚であり、 2019年1月には 米国の外交政策研究季刊誌『Foreign Policy』で「世界の頭脳100」 に選ばれています。 私は、以前より フェミニストの方や 社会で活躍している女性 に注目してきました。 なので、 今回の記事では 台湾の38歳天才プログラマー オードリー・タン大臣 が、 どのような人生を送り どんな考えを持っていて 周りからどう評価されてきたか そこに対して彼女はどう闘ってきたのか など彼女を分解してご紹介することで より多くの人にジェンダー問題を認知・理解していただき 差別の溝を埋めていくお手伝いができたらと思っています。 01 異色すぎるプロフィール では、まずは、 冒頭にもある 「3つの世界初」 という業績をお持ちである 彼女の基本情報・経歴をご紹介致します。 名前は唐 鳳 とう ほう、タン・フォン、オードリー・タン)。 1981年4月18日生まれ。 中華民国のフリーソフトウェア プログラマーであり、 「台湾の コンピューター界における偉大な10人の中の1人」。 2016年8月、行政院政務委員に任命され、 トランスジェンダーの人物が閣僚に任命された世界で最初の事例。 このプロフィールを聞いただけで 並大抵の方では無いなと思ってしまうのですが、 これだけではなく ・14歳で中学 中退 ・19歳でシリコンバレーでソフトウェア会社を 起業 ・男性から女性へ 性転換 ・ IQが180以上 ・『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出 ・35歳での閣僚就任は台湾で 史上最年少 などなど、 才能・経歴・性別 様々な観点から見ても 人とは一見 異なった人生を歩まれています。 02 トランスジェンダーについて また、 フェミニストの私が注目したいのが 「トランスジェンダー」 という性です。 今でこそ「LGBT」という言葉は共通言語になっているかもしれませんが、 「トランスジェンダー」はその中の「T」にあたり 性自認と身体的性は一致しつつ見られ方が異なる 特徴を持ちます。 オードリータン氏は自身のブログで 「私の脳は私が女性であると認識しているのに、社会的にはそうでないことが要求される」 と発言しているように、 性自認は女性だが容姿は男性 のトランス(=交差)ジェンダーでありました。 しかし、2005年に性転換を行い、 今では女性として活動されています。 日本においても はるな愛さんやKABAさんが有名ですが、 まだまだ彼女たちは特別視されている風潮があることは否めません。 また、 芸能人だからこそ トランスジェンダー=キャラ として捉えられることが多いですが、 例えば、 あなたの親しい友人や家族を思い浮かべてみてください。 その方が 「実は男だったんだ」 「実は女だったんだ」 と言った時に、 あなたはどう思うでしょうか? 「え…?」 と少しでも戸惑うことはあるかと思います。 しかし、 私たち生き物は 自分の意思を持って この体に生まれてきたわけではありません。 なので、私は、 生まれて来るときに選択ができない 人種・男女 を 差別する文化を無くしたいと思っています。 03 彼女の魅力 少し話が逸れましたが、 特に彼女の魅力的だと思うところが 「素直でオープンで、ユーモアにも溢れている」 点です。 少し前の記事ではありますが、 この記事の内容を一部抜粋すると、 インタビュアー:「怪胎」(変な人)と思われたことはありませんか? (個人的に、ちょー失礼な質問だと思います) これに対して、 タン氏:先天性の心臓病の診断されたので、胎児の時から、他の人と異なる育ち方をしてきました。 なので、変な人と思われても気にしません。 (胎児の時から異なる育ち方って…笑) 他にも、 インタビュアー:IQ180って、本当ですか? (え、、、どうでもよくないか?その質問。 笑) タン氏:大人になってからのIQについて議論することに意味はありません。 それに、IQ試験の時、携帯電話を持ち込めば、誰でも160くらいは簡単に取れてしまいます。 デジタル機器をうまく使えれば、大人も子どもも関係なく、仕事を有意義にできると思います。 ちなみに、私の身長は180センチです。 (ハッキリしてるなぁ。 って、最後の決めゼリフ。 笑) と、 意地悪な質問に対して、 包み隠すことなくインタビューに答え 相手の笑いを誘う言葉までかけれる余裕感 には畏敬の念を抱きます。 こんな女性が日本に沢山現れたらいいなと思います。 04 さいごに いかがでしたでしょうか? まだまだ 差別が横行している現代社会を変えていくには、 女性の社会進出が欠かせません。 どんな歴史の境目でも虐げられてきた女性が 経済的にも精神的にも自立して 社会に意見できる機会が増えることで、 ・人種差別 ・男女差別 ・雇用差別 など、あらゆる社会問題もなくなっていき、 誰もが生きやすい世界になるのではないでしょうか? 今後も彼女の活動に注目していきたいと思います。 (追記 2020. 18)コロナの影響で人種差別による格差社会が広がると懸念されている将来ですが、そんな中で、生き抜く術や役立つ最新情報を発信していきます。

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「レベル感の違いがすごい」78歳のIT担当相が爆誕→台湾の38歳天才プログラマーIT大臣が話題に(BuzzFeed Japan)

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あれは春節休みがそろそろ終わる1月末のこと・・・。 中国からの情報が早い台湾では、新型コロナウイルスを恐れて、薬局やスーパーからマスクが一瞬で消えました。 その後、政府の対策により、マスクをコンビニやドラッグストアのレジで、1人2枚まで購入できるようになりましたが、店員による買い占めや、別の店舗での重複購入により、1人2枚買えるはずのマスクが公平に行き渡りませんでした。 「1人2枚まで」という曖昧な規則では不正購入が絶えず、ついに2月6日からICチップ内臓の保険証による実名購入という方法が実施され、それによってみんなが公平に購入できるようになりました。 実名制が始まった直後は、薬局に長蛇の列ができ、店舗によってはマスクが売り切れるところもありました。 (2月7日撮影) しかし実名制にしたことで国民たちに心の余裕ができたのか、健康な若者たちはSNSで「私は大丈夫です。 お先にどうぞ」というタグを使い、マスクをいますぐに必要とする人に先に並んでもらおうとする動きも広がりました。 3月5日からは7日間で大人3枚、子供5枚のマスクを購入できるようになっています。 オードリー・タンさんが台湾で注目を浴び出したのは2016年から 私が台湾で初めてオードリー・タン氏をテレビで見たのは2016年。 民進党の蔡英文氏が総統に当選した時でした。 当時、強い勢力を持った国民党の総統候補人を民進党の蔡英文氏が破り、台湾での初の女性総統として世界中のメディアで取り上げられました。 当時タン氏は35歳。 台湾史上最少年の閣僚就任として話題を呼び、テレビにも多く出演しています。 そのタン氏、 実はなんとIQ180の持ち主。 さぞかし高学歴のエリートなのかと思いきや、 最終学歴はなんと中学中退! オードリー・タン氏の幼少時代 オードリー・タン氏の幼少期の名前は「唐宗漢」。 (2005年に「唐鳳」に改名) 新聞社の副編集長である父と、同じ新聞社のジャーナリストである母の影響もあってか、5歳の時には各国の名作を漢字で読めたといいます。 ちなみに台湾では拼音(アルファベット)ではなく、注音(記号)を用いて漢字の読み方を覚えます。 普通は幼稚園で注音、小学1年から漢字を学びます。 天才であるがための苦悩 小学生の頃のオードリー・タン氏は物忘れがひどく、よくハンカチやティッシュを忘れ、先生に体罰を受けていました。 (当時の台湾では教師による体罰は日常茶飯事でした) 学習面では、天才によくある「もっと知りたい」という欲求が抑えられず、算数の授業中には先生に質問攻め。 小学1年生で連立方程式を理解していたタン氏は、算数の授業の時は図書室で本を読むことを特別に許されました。 しかし図書館の本を全て読み尽くした後はやることがなくなり、学校に行くのがつまらなくなってしまいました。 先生のアドバイスのもと、「資優班(成績の良い生徒だけを集めたクラス)」を併設する小学校に転校。 転校後もやはり天才ぶりを発揮し、優秀な生徒を集めたクラスでも成績は1位。 そんな彼女に悲劇が襲います。 小学2年生の時、事件は起こりました。 タン氏の天才ぶりを妬んだクラスメイトが椅子でお腹を攻撃。 それがトラウマになり、彼女は学校を休学。 その後も学校には行ったり休んだりで、6年間で6つの小学校を転々とします。 最終的に通った小学校では、国立台北師範学院の講師の助言により、週に3回学校に行ってお友達と人間関係を構築、そして残りの3回はその講師のところで「知りたい欲求」を満たすというスタイルになりました。 中学校でも学校になかなか馴染めなかった彼女は14歳の時に学校を中退、その後は家族でドイツ留学に渡りました。 コンピューターとの出会い オードリー・タン氏が初めてパソコンに興味を持ったのは8歳の時。 数学が好きなタン氏は「Applesoft Basic」という本を手に取ります。 英語は分かりませんでしたが、本に書かれた数理に興味を持ち、母親にパソコンを買ってくれるように頼みます。 しかしパソコンをゲームの道具だと思っていた母親は頼みを拒絶しました。 またこんなエピソードも。 8歳の時、家族で街をぶらぶらしていたら、教学用のパソコンを発見。 タン氏の両親はそれをタン氏の弟に購入したいと考えます。 しかしタン氏は、その教学用パソコンの数学の教え方に納得できず、自分でパソコンを書き換えたいと考えます。 それがタン氏のプログラミング勉強の始まりでした。 本を手にしたのが先か、プログラミングへの興味が先かは分かりませんが、これらのエピソードが天才プログラマー誕生のきっかけになったことは確かです。 その後タン氏は独学でプログラミングを学び、9歳の頃にはプログラムを書いていたと言われています。 14歳で中学中退した後、16歳で企業を立ち上げ、その後も天才プログラマーとして様々な場で活躍し、今は台湾のIT大臣として世界中に名を轟かしています。 最後に 最後に、日本で報道されたタン氏の紹介動画をご紹介します。

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オードリータンの性別や経歴は?両親や収入についてまとめてみた!

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あれは春節休みがそろそろ終わる1月末のこと・・・。 中国からの情報が早い台湾では、新型コロナウイルスを恐れて、薬局やスーパーからマスクが一瞬で消えました。 その後、政府の対策により、マスクをコンビニやドラッグストアのレジで、1人2枚まで購入できるようになりましたが、店員による買い占めや、別の店舗での重複購入により、1人2枚買えるはずのマスクが公平に行き渡りませんでした。 「1人2枚まで」という曖昧な規則では不正購入が絶えず、ついに2月6日からICチップ内臓の保険証による実名購入という方法が実施され、それによってみんなが公平に購入できるようになりました。 実名制が始まった直後は、薬局に長蛇の列ができ、店舗によってはマスクが売り切れるところもありました。 (2月7日撮影) しかし実名制にしたことで国民たちに心の余裕ができたのか、健康な若者たちはSNSで「私は大丈夫です。 お先にどうぞ」というタグを使い、マスクをいますぐに必要とする人に先に並んでもらおうとする動きも広がりました。 3月5日からは7日間で大人3枚、子供5枚のマスクを購入できるようになっています。 オードリー・タンさんが台湾で注目を浴び出したのは2016年から 私が台湾で初めてオードリー・タン氏をテレビで見たのは2016年。 民進党の蔡英文氏が総統に当選した時でした。 当時、強い勢力を持った国民党の総統候補人を民進党の蔡英文氏が破り、台湾での初の女性総統として世界中のメディアで取り上げられました。 当時タン氏は35歳。 台湾史上最少年の閣僚就任として話題を呼び、テレビにも多く出演しています。 そのタン氏、 実はなんとIQ180の持ち主。 さぞかし高学歴のエリートなのかと思いきや、 最終学歴はなんと中学中退! オードリー・タン氏の幼少時代 オードリー・タン氏の幼少期の名前は「唐宗漢」。 (2005年に「唐鳳」に改名) 新聞社の副編集長である父と、同じ新聞社のジャーナリストである母の影響もあってか、5歳の時には各国の名作を漢字で読めたといいます。 ちなみに台湾では拼音(アルファベット)ではなく、注音(記号)を用いて漢字の読み方を覚えます。 普通は幼稚園で注音、小学1年から漢字を学びます。 天才であるがための苦悩 小学生の頃のオードリー・タン氏は物忘れがひどく、よくハンカチやティッシュを忘れ、先生に体罰を受けていました。 (当時の台湾では教師による体罰は日常茶飯事でした) 学習面では、天才によくある「もっと知りたい」という欲求が抑えられず、算数の授業中には先生に質問攻め。 小学1年生で連立方程式を理解していたタン氏は、算数の授業の時は図書室で本を読むことを特別に許されました。 しかし図書館の本を全て読み尽くした後はやることがなくなり、学校に行くのがつまらなくなってしまいました。 先生のアドバイスのもと、「資優班(成績の良い生徒だけを集めたクラス)」を併設する小学校に転校。 転校後もやはり天才ぶりを発揮し、優秀な生徒を集めたクラスでも成績は1位。 そんな彼女に悲劇が襲います。 小学2年生の時、事件は起こりました。 タン氏の天才ぶりを妬んだクラスメイトが椅子でお腹を攻撃。 それがトラウマになり、彼女は学校を休学。 その後も学校には行ったり休んだりで、6年間で6つの小学校を転々とします。 最終的に通った小学校では、国立台北師範学院の講師の助言により、週に3回学校に行ってお友達と人間関係を構築、そして残りの3回はその講師のところで「知りたい欲求」を満たすというスタイルになりました。 中学校でも学校になかなか馴染めなかった彼女は14歳の時に学校を中退、その後は家族でドイツ留学に渡りました。 コンピューターとの出会い オードリー・タン氏が初めてパソコンに興味を持ったのは8歳の時。 数学が好きなタン氏は「Applesoft Basic」という本を手に取ります。 英語は分かりませんでしたが、本に書かれた数理に興味を持ち、母親にパソコンを買ってくれるように頼みます。 しかしパソコンをゲームの道具だと思っていた母親は頼みを拒絶しました。 またこんなエピソードも。 8歳の時、家族で街をぶらぶらしていたら、教学用のパソコンを発見。 タン氏の両親はそれをタン氏の弟に購入したいと考えます。 しかしタン氏は、その教学用パソコンの数学の教え方に納得できず、自分でパソコンを書き換えたいと考えます。 それがタン氏のプログラミング勉強の始まりでした。 本を手にしたのが先か、プログラミングへの興味が先かは分かりませんが、これらのエピソードが天才プログラマー誕生のきっかけになったことは確かです。 その後タン氏は独学でプログラミングを学び、9歳の頃にはプログラムを書いていたと言われています。 14歳で中学中退した後、16歳で企業を立ち上げ、その後も天才プログラマーとして様々な場で活躍し、今は台湾のIT大臣として世界中に名を轟かしています。 最後に 最後に、日本で報道されたタン氏の紹介動画をご紹介します。

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