と は いえ 文法。 【JLPT N1】文法・例文:〜といえども

【N2文法】〜といえば

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」と言う意味です。 Aの部分には資格や能力や地位を表す言葉が入ります。 Aの部分には事実も仮定のこともきます。 Bには問題点、義務、話者の主張などを表す文がきます。 「たとえ、いかに、どんな」などの言葉を一緒に使うことが多いです。 その道のプロといえども、失敗することはある。 いかに体にいいといえども、食べ過ぎたら意味がない。 たとえ旅行客だといえども、この国の規則に従わなければならない。 酒の席であったといえども、秘密情報を漏らしたことは許されない。 ぎりぎりだといえども、合格したことは喜ぶべきだ。 どんなに無能だといえども、一度正社員として採用した人を首にするのは難しい。 実用的といえども、デザインがかっこ悪ければ今時売れないだろう。 彼のいうことは疑わしいといえども、妻として信じたいと思います。 部長と飲みに行くのは気まずいといえども、仕事のために参加するしかない。

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日本語の文法の基礎まとめ

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辞書・ふりがなツールを使って読む• 表現意図 -逆接- 「表現意図」シリーズ9回目の今回は、「逆接」を取り上げます。 「逆接」というのは、前文と後文が反対の関係にあったり、前文の内容から予想される結果が後文に現れなかったりするような接続の関係を言います。 「逆接」表現というと、「~が・~けれども/けれど/けど・~ても・~のに」などがよく使われますが、今回は書き言葉的な「~ながら(も)・~にもかかわらず・~ものの・~にかかわらず」と、話し手が前文の内容を部分的に言い直す表現、「~といっても」「~とはいえ」「~からといって」などを取り上げます。 1.書き言葉的逆接表現 書き言葉的な逆接表現の中から、「~ながら(も)」「~にもかかわらず」「~ものの」「~にかかわらず」を見ていきましょう。 次の(1)では、近所同士のAさんとBさんが、「友子さん」のことを噂しています。 会話の中で書き言葉的表現が使われると、やや硬い、改まった言い方になります。 a「ながら(も)」は、状態性の表現に接続して、逆接的な意味を表します。 「も」の入った「~ながらも」は逆接の意味合いがより強くなります。 「若いながら(も)」「子供ながら(も)」「貧しいながら(も)」「知りながら(も)」など、慣用表現として使われることが多いです。 b「~にもかかわらず」は、「~のに」(例:彼女は若いのに、自分の家を建てた)と同じく、前文からの予測と食い違った事態を、後文で表します。 しかし、「~のに」と異なり、非難や批判の気持ちは入りません。 通常は、単に逆接的関係を示す客観的な言い方になりますが、「~にもかかわらず」のように、取り立て助詞「も」が入っていることもあって、話し手の気持ちが入ることがあります。 例えば、「忙しいにもかかわらず、友達が見舞いに来てくれた」では、友達に対する感謝の気持ちが表れています。 「~にもかかわらず」は多くの場合、すでに起こったか起こっている事柄について使われます。 d「~にかかわらず」は形の上で「~にもかかわらず」と似ていますが、両者は意味用法が異なります。 「~にかかわらず」は「それとは関係なく」の意味を表します。 「この会社には、年齢・性別・経験にかかわらず、応募できる」「父は晴雨にかかわらず毎日散歩に出かける」とういうような使い方をします。 「にかかわらず」の前に来る語は「晴雨」「大小」「あるなし」「良し悪し」「成功するかしないか」のような対立的な意味合いを持つ語や表現が来ることが多いです。 以上、(1)で今回取り上げた文の形(表現文型)は次のようになります• ~ながら(も)• ~にもかかわらず• ~ものの• ~にかかわらず では、次のストーリーの中で、(1)の「表現文型」の使い方を確かめてみましょう。 次のストーリーは大学4年の息子を持つ父親が、息子の就職活動(就活)について書いたものです。 息子の健太は大学の4年生で、今就活の真っ只中である。 4年生は卒論の準備に時間をとられ ながらも、就職試験に挑戦しなければならない。 健太も何度か就職試験を受けたようだ。 前回は最終選考まで残った ものの、最後の面接で落ちてしまったらしい。 健太は理工系 にもかかわらず、理工系とは関係ない会社ばかり受けている。 彼が最終的にどうするか分からないが、彼に合った就職先が見つかればいいと思う。 (1)の表現文型を表にまとめると、次のようになります。 」のように話し手の気持ちが入ることもあります。 「~にもかかわらず」と「~にかかわらず」は、形は似ていますが、前に来る語の性質や意味用法は異なります。 2.部分的に言い直す表現 次の(2)は会社の中での、社員同士の会話です。 Aに対しBは、いろいろな形で「言い直し」を表現することができます。 a~eのうち、b「~とはいえ」とd「~といえども」は書き言葉的で、会話の中ではやや硬い言い方印象を与えます。 2 A: あの問題、解決したんですね。 B: いやあ、• a.解決したといっても、まだ不安があります。 b.解決したとはいえ、まだ不安があります。 c.解決したからといって/からって、安心してはいられません。 d.解決したといえども、安心してはいられません。 e.解決する/したことはしたんですが、まだ不安があります。 a「~といっても」は、前文で述べた事柄について、「それはそうなんだが、実はそれで十分なのではない」と後文で付け加え、部分的な言い直しをする表現です。 後文には「~ない」をはじめ、否定的な意味合いの表現が来ることが多いです。 「いっても」は「言う/言った」から派生していますが、必ずしも「言う」という言動とは関係なく、慣用的な言い方として使われます。 説明的・解説的な、やや硬い表現です。 話し手の判断を強める場合は、「は」を入れて「~とはいっても」となることもあります。 b「~とはいえ」は、「~といっても」をさらに硬くした言い方です。 意味は「~といっても」とほぼ同じですが、書き言葉的な表現です。 cでは、「といって」の前に理由「から」が来ています。 後文に「~ない」などの否定表現を伴って、「そういう理由・要因はあるが、しかし~」という意味を表します。 「そういう理由は認めるが、しかし、その理由だけで(結論付けてはいけない)」ことを示唆する表現です。 (例:彼女が泣いて謝ったからといって、すぐには信じてはいけない。 ) 「からって」は「からといって」の短縮形です。 短縮形は丁寧度が落ちるため、目上の人に使うと主張が強く響きます。 d「~といえども」は書き言葉で、話し言葉では「~けれども」に置き換えられます。 「といえども」の前に「社会通念として認められる事柄や人、もの」が来て、後文で「そうした事柄・人・ものから期待される予想とは異なって、実際はそうではない、不十分だ」ということを表します。 例:父親といえども子供に暴力を振るうことはできない。 dでは、「一応(社会通念として)解決した」という形にはなったが、まだ安心できないという意味になります。 eは話し言葉で、「一応は~したが/けれども、完全ではない」という部分否定を表します。 同じ動詞が繰り返されますが、最初の動詞を非過去(辞書形)にする場合もあります。 繰り返しの形をとっているため、柔らかく丁寧な言い方になります。 <Aは女性、Bは男性で友人同士。 Aは100円ショップでコーヒーカップを買った> A: このコーヒーカップ、100円ショップで買ったのよ。 B: へー、これ100円? A: そうよ。 安い とはいえ、十分使えるのよ。 B: そうだね。 安い からといって馬鹿にできないね。 A: そうよ。 大手食器メーカー といえども、これには負けるよね。 B: そうだね。 100円ショップ といっても、最近は何でもあるんだね。 A: ほんとそうね。 (2)の表現文型を表にまとめると、次のようになります。 「~といっても」は前文で部分的に認めながら、後文で部分的に修正する意味用法を持ちます。 「~といえども」は書き言葉的、「~とはいえ」は硬い言い方です。 その他の表現は話し言葉的ですが、説明的・解説的な側面を持ちます。 ほとんどの表現に「いう」が含まれていますが、「言う」本来の意味はなく、「人や世間はそう言うが……」と一応認めて、後文で自分なりに言い直したり、主張したりする表現だと言えるでしょう。 お役に立ちましたか。 また、今回で私の担当の「文法を楽しく」も終了させていただきます。 長い間ご愛読、有り難うございました。 (市川保子/日本語国際センター客員講師).

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文法(ぶんぽう)とは

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またそれを記述しようとした,文法学説,をさすのにも用いられる。 古くは古典を正しく読み書きするための技術として発達した。 やといわれるものはこの系列の延長上にある。 の範囲にも諸説がある。 広義では,音論 音声学・音韻論 ,意味論を含めた言語一般の体系・規則を扱うもので,伝統文法,,などの文法はここに属する。 狭義の文法は,意味をもった言語 形態素やなど が,個々の語彙的意味を一応離れて,どういう範疇体系を形成しているか,をするものはどういう形態体系を有するか,それらの要素同士がを形成するときに,どういう順序で,どういう関係で結びつき,どういう構造をなすのか,そこにどういう規則が支配しているのかという面を対象とする。 また,単語を基準にして,その内部構造を扱うと,単語の結合などのより大きな単位を扱うとに分ける立場と,そのような分け方には本質的な差はないとする立場とがある。 対象とする最大単位は文とするのが通例であるが,文間関係,談話分析,論も含めるべきだとする説もある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 言語の音声と意味を結び付ける体系をさすが、学者の意図や方法論などにより、いくつかの意味に使い分けられている。 一つの言語の正しい使い方という規範的目的をもって書かれた文法、つまり規範文法に対し、言語学者が通常用いる意味は、規範文法のような価値判断の伴わない、客観的または科学的な見地からの記述、つまり記述文法をさす。 記述文法という用語はまた、一時点での言語の状態を対象とした、いわゆる共時的な記述をさすが、この用法では、言語の歴史的発展を対象とした通時的記述であると対比される。 方法論的な観点からの用法としては、歴史言語学における言語間の比較という点を取り入れた比較文法という名称や、近年のの提唱による文法をさす変形文法(生成文法)というものがある。 また、文法学者により体系化された文法理論の場合には、とくに日本では、文法学者の姓を冠したもの、たとえば「山田文法」( よしお )、「時枝 ときえだ 文法」(時枝誠記 もとき )というような使われ方もする。 音声と意味を結び付ける体系としての文法は、通常いくつかの部門に区分されて研究されるが、これらは下図のような構成で関連づけられている。 これらの部門は、文法研究の下位分野として成立しており、次の諸分野がそれぞれの部門と関係している。 まず、言語の中心的な単位の一つは単語であるが、語の形成について研究する分野は語彙 ごい 論とよばれ、文法の辞書である語彙部門を対象としている。 文を構成する場合には、辞書に収められている単語を選び出して組み合わせるわけであるが、どのような言語においても、いかなる組合せも可能であるわけでなく、一定の法則に従って組み立てられている。 文の組立てに関する法則性を研究する分野が統語論である。 文の意味は、それに使われる単語によって決定されるように考えられがちであるが、けっしてそうではなく、文としての形式が整って初めて文の意味は決定されるのである。 このことは「太郎が犬を追いかけた」と「犬が太郎を追いかけた」を比較すれば明らかであるが、このように単語が一定の統語的法則に従って文の形に整えられたものに対して、その文の意味が決定される。 意味論は、このような文の意味を研究対象とするばかりでなく、個々の単語の意味も研究範囲としている。 したがって、意味論は、意味部門と語彙部門の両方にまたがる分野であるといえる。 最後に、文の意味と対比して、文がいかに発音されるかということ、つまり音韻部門の研究を対象とした音韻論がある。 音声に関する研究には、この音韻論のほかに音声学がある。 音声学が、言語音の生理的および物理的側面を研究するのに対し、音韻論は、個々の音がどのような体系をなして語形成に参加しているか、そして個々の単語が文をなして連結されたときに、どのように発音されるかという点を研究対象としている。 以上の各分野の研究が、個々の言語に対して適用されるのが通常の文法研究であるが、個々の言語を超越したレベルでの研究も進められていて、人類言語全体を通した、統語的特徴、音韻的特徴といったものの追求が近年とくに盛んになっている。 このような人類言語の全体的な記述を目ざした文法を普遍文法とよび、個別文法と区別している。 [柴谷方良] 日本語の文法単語は次のように分類できる。 前記の品詞のうち、活用のある語は動詞、形容詞、形容動詞、助動詞の4語である。 活用は、動詞型、形容詞型、形容動詞型、特殊型(助動詞の場合。 無変化活用も含む)の4種がある。 活用は、現代語では、語の断(そこで文が切れる)・続(あとに他の語が続く)に際して生じる、体系的な語形変化であって、動詞型の命令形を除いて、活用に際してその語形変化に伴う意味の変化はない。 その点、現在、過去等と、語形変化に伴って意味が変化する英語等の西欧語とは異なっていることになる。 ただし、平安時代までの日本語では、動詞型活用の語には時間に伴って事態の変化する意味が含まれていた。 平安時代末から動詞には時間に伴う意味がなくなり、時間にかかわる意味のない命令形だけがその語形独自の意味を残すということになる。 平安時代まで時代をさかのぼってみたとき、活用のある語で、動詞、形容詞、形容動詞ではその活用の意味に異なりがある。 動詞は動作・作用・存在等を表すが、活用は、時間に対応した形での意味の変化を表している。 まだ現実化していない事態(未然形)、すでに現実化している事態(連用形)、基本となる事態、その基本ということから時間的には現在の事態(終止形)、目前の事態、ただし下に体言がくるという変化(連体形)、現実化した事態を前提にして、下に続ける(已然 いぜん 形)、相手への命令(命令形)という変化である。 この語形変化は、動詞の表す事態が時間の推移とともに進展・変化することを、古く日本人が認識したことを示している。 形容詞は「(し)く(連用形)」「し(終止形)」「(し)き(連体形)」の三つの活用形(他の活用形は、どれも動詞「あり」の熟合したもので、形容詞本来の活用形ではない)があるが、これには、その語の表す事態が、その置かれた場面でどのような様相を示すかという変化があり、時間にかかわる意味の変化は認められない。 形容詞の表す状態の意味を時間とのかかわりで認識しなかったということになる。 動作・作用・存在は時々刻々に変化するが、状態は、そのような変化は認めがたいということがあり、活用に、動詞と形容詞とで意味の差が出るのも当然ということになる。 存在を「あり」という動詞でとらえ、不在を「なし」という形容詞でとらえたのも、存在は時間の推移につれて変化するが、不在は変化するはずもないから、とすると納得しやすい。 形容動詞は語尾に動詞「あり」がついてできた語であり、その源から動詞の性格を有している。 名詞、副詞は活用しない。 動詞のように、時間の推移に伴って、その語の表す事態が変化するということもなく、形容詞のように、その場面によって様相の変わることもないことからいって当然といえる。 名詞は、ある事物を他の事物から区別するためにつくられた語である。 副詞は、名詞の表す事物、動詞・形容詞・形容動詞の表す動作・作用・状態等が、その場面のなかで他と、とくに異なる点のあるとき、それを述べるために使われる語である。 その意味で、副詞は、これらの語に対して補助的な働きをする語ということになる。 なお、現在は、ここでいう副詞はさらに細分化され、おもに用言を修飾する語(副詞)、体言を修飾する語(連体詞)、文と文、語句と語句をつなぐ働きをする語(接続詞)、感動・呼びかけ・応答を表す語(感動詞)と4類に分けられるのが一般である。 これらの語が組み合わされて文ができあがる。 文は、まとまった思想を表すために表現されたひと続きの、いくつかの語よりなるものをいう。 一語だけでなる一語文もある。 この場合、文と語が同じ形になるが、その場面に応じた表現者のなんらかの意図に基づいたものが文であり、語と対応する事柄を表すだけであって、実際に、ある場面で使用されたのではないのが語であるということに違いがある。 西欧語では、文は大文字で始まるということで外形上も一つの単位とする意識がはっきり現れているが、日本語ではそれがはっきりしていない。 本来は一つの文という意識は不明確であったと思える。 日本語の文は、述語は不可欠であり、かつ文末という確固とした位置を占め、そこを動くことがない。 他の語は、それを意味のうえで補って、表現をわかりやすいものとするという構造をもつ。 述語のみが基本成分であり、他は補いの成分ということになる。 この述語の位置にくることのできるのは、名詞、動詞、形容詞、形容動詞と、ある場合の副詞である。 その意味で、名詞、動詞、形容詞、形容動詞の4類の語は、表現上も基本成分となりうるものである。 ただ、名詞はそれだけでは文中の成分となりえず、助詞、助動詞などの語の補助を必要とする点で、前述の3類の語とは異なっている。 述語にかかっていく他の成分は、助詞の補助を受ける。 助詞という関係を表す語があるために、述語以外の成分は、文中のどこに置かれてもよい。 文中の位置によって、いかなる成分かが決定される西欧語とは異なっている。 ただし、日本語も古い時代にさかのぼると、名詞なども「が」「を」といった語を伴わず文の成分となっていた。 述語という基本の成分に対して、意味の補いをつけるという形で表現がなされるため、ただ事柄を述べるだけでよいという意識に基づき、そのような表現が成り立っていたのである。 しかし、現代語に近づくにしたがい、文を成り立たせる語と語との関係を意識する傾向が強まり、助詞をつける形式が確立してきている。 [山口明穂].

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