金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に。 金色のちひさき鳥のかたちして

短歌について”この短歌って、

金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に

p-13 金色 ( こんじき ) の ちひさき 鳥 ( とり ) の かたちして 銀 ( いて ) 杏 ( ふ ) ちるなり 夕日の 岡 ( おか ) に 【作 者】 与 ( よ ) 謝 ( さ ) 野 ( の ) 晶子 ( あきこ ) 【歌 意】 イチョウの葉は、まるで金色の小さい鳥が舞うように、散っていくことよ、夕日の光に照らされて輝く岡に。 普通 「公孫樹」 と書く。 「銀杏」 と書くのは、もともとは種を指したのに基づく。 【鑑 賞】 晩秋の黄昏時、イチョウの葉が散っていく光景を、鮮明な色彩と映像間隔でとらえた歌である。 まずこの歌の面白さは、 「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちる」 という比喩表現にある。 扇形のイチョウの葉が風に吹かれて、あちらこちらへと漂うさまが、まるで金色の小さな鳥が飛び交わっているかのようだという。 晶子の豊かな想像力によって生み出されたこの比喩から、イチョウの葉が枯葉であるにもかかわらず、自ら意志をもって舞っているかのような躍動感が感じられる。 また、黄色に色づいた葉が、夕日に染まった岡を背景に散っていくという情景も鮮やかで、一枚の絵画を見ているような美しさがある。 この歌では、自然を写生しようとしたわけではないが、対象を耽美的な精神でとらえることで、より自然の実相に迫るものとなっている。 さらに、上の句に 「金」 下の句に 「銀」 という語を配し、文字上でも華やかな印象を与えるものとなっている。 鳥に見立てられたイチョウの葉と 「夕日の岡」 という雄大な光景を対比的に用いることで、葉の小ささを印象づけ、それが散ってゆく姿に対する、はかなさを際立たせている点も見過ごせない。 【補 説】 この歌は、明治三十八年 1805 の 「明星」 一月号の 「春の夢」 に発表され、同年敢行の第四歌集 『恋衣』 山川登美子、茅野雅子との合同歌集 に収められた 同年二月号の 「明星」 の中で、星下郊人 生田長江 は、この歌を評して 「女史が奔放限りなきファンタジアの力に驚嘆するばかりでなく、亦何となく女王の御前に導かれて行きでもするかのような、一種おごそかな感じが起こる」 と述べている。 後年、晶子はこの歌の五句目 「夕日の岡に」 を 「岡の夕日に」 と改めている。 【作者略歴】 明治十一年 1878 大阪府生まれ、昭和十七年 1942 没、享年六十四歳。 明治三十三年 1900 「明星」 に歌を発表し始め、翌年、歌集 『乱れ髪』 を出版し、与謝野鉄幹と結婚する。 歌集 『乱れ髪』 は、青春の情熱を歌い上げ、浪漫主義運動の中心となる。 歌集には 『恋衣』、『白桜集』 昭和十七年 など多数ある外、『源氏物語』 をはじめとする古典の現代語訳や評論などもある。 日本女子大学付属中学校非常勤講師 壬生 里巳.

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金色(こんじき)のちひさき鳥の 与謝野晶子: 美しい歌、かなしい歌、千年の軌跡

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1 <その2> (「視線の会」発行 坂の町 函館から発信する 新しい思想 新しい文学 新しい生活) 評論『「教科書に掲載されている啄木の歌」 栁澤有一郎 研究の目的• 今回、調査するにあたり、小学校・中学校・高校の全校種を対象とし、掲載されているすべての作品について調査することにした。 現行教科書のあらましを知るとともに、校種別の差異や、校種間のつながりを確認するためである。 この調査から得られた知見は、の学校教育の中での位置付けを浮かび上がらせることになるだろう。 調査・研究の方法 (略) 調査結果 小学校• 小学校の教科書に掲載されている近代以降の短歌は38首。 多い順に見ると、 6首、 5首、・ 4首。 掲載数の多い作品 金色のち鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に (4点) くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる (2点) 啄木歌• 他のが特定の作品に偏る傾向があったのに対し、啄木の5首はすべて異なる作品。 晴れし空仰げばいつも/口笛を吹きたくなりて/吹きてあそびき たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず 中学校• 中学校の教科書に掲載されている近代以降の短歌は71首。 多い順に見ると、 7首、 6首、・栗木京子・ 5首。 掲載数の多い作品 観覧車回れよ回れ思ひ出は君には一日我には一生 栗木京子(5点) くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる (4点) のお城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心 (4点) 啄木歌 やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく 高等学校• 高等学校の教科書に掲載されている近代以降の短歌は414首。 多い順に見ると、 46首、 44首、 43首、 36首。 掲載数の多い作品 その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな (21点) 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ (17点) マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや (16点) 啄木歌 のお城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心(13点) いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ(5点) 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ(4点) 調査結果をふまえて• 小中高を通じてもっとも多く掲載されているのは「の」歌で、計18首が確認できた。 小学校から高校1年までの学校教育をつうじてというを理解する根本にこの歌がもっとも関わっているといえよう。 小中高での短歌は合計54首が掲載されており、もっとも多いの57首には及ばないものの、種類においては最多である(啄木は20点、次点は晶子と茂吉の14点)。 「の」歌だけが突出して多いだけで、他は偏りなく掲載されている。 すなわち、学校教育で学ぶの中で、さまざまな作品をとおして人物像に迫る機会はがもっとも持つと言えるのである。

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好奇心を忘れていませんか?

金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に

昨日は銀杏の落ち葉散り敷く道を銀輪散歩し、黄色の世界を堪能致しましたが、「銀杏」で思い浮かぶ短歌と俳句は・・と思い返すも意外に浮かんでは来ない。 金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に(与謝野晶子) と 鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺 (夏目漱石) 位なものでしょうか。 (大阪城公園の銀杏) 考えてみれば、銀杏は万葉集には登場しない。 古今集や新古今集には登場するのかどうか、調べてはいないので知らないが、古歌とはあまり馴染まないのが「いてふ」のようでありますな。 何でも、銀杏は中国原産で我が国には平安時代から鎌倉時代にかけて入って来たとされているようです。 源実朝が殺されたのは鶴岡八幡宮の銀杏の大木の陰に隠れ潜んでいた公暁によってでありますから、鎌倉時代には銀杏の大木が存在する状況であったことになる(笑)。 藤原定家は知っていたが大伴家持は知らなかった。 それが銀杏でありますな。 万葉で「もみぢ」と言えば「黄葉」と書くのが一般的で「紅葉」と書くのは1首あるのみとのこと。 奈良時代に銀杏の木が普通に見られる状況であったら、大伴家持もきっと「銀杏」の歌を詠んだに違いないと思うのですが、残念です(笑)。 しぐれたる のちの晴れ間を いざ行かな もみついてふの 葉の照るも見む (偐家持) (本歌) この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226) (同上) (同上) 街路樹に最も多く採用されているのが銀杏の木であるらしい。 大阪の御堂筋がまさにそれですな。 それかあらぬか銀杏は大阪府の木でもあり、大阪大学の木でもある。 そして八尾市(大阪府)の木も銀杏だそうな。 (同上) (同上) (同上).

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