世界 は 贈与 で でき て いる。 『世界は贈与でできている(近内悠太)』の感想<前編>

著者に聞く:『世界は贈与でできている』 著者 近内悠太さん

世界 は 贈与 で でき て いる

なぜこれらを狂おしいほどに追い求めるのか。 どうすれば「幸福」に生きられるのか。 若き哲学者が、「贈与」や「言語」「常識」の成り立ちを通して説き起こす。 【「TRC MARC」の商品解説】 2020年最有望の若き哲学者、「希望」のデビュー作 一見当たり前に存在しているこの「世界」の成り立ちを、「贈与」や「言語」、「常識」の成り立ちを通して説き起こした鮮烈なデビュー作。 人間の「こころ」の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある。 ウィトゲンシュタインと小松左京の本書を通しての出会いは思考世界における一つの「事件」。 必要だがお金で買えないもの及びその移動である「贈与」というものの正体を理解するために、資本主義や言葉を介したゲームルール。 疑うことがそもそもできない世界像という常識の総体。 世界像があることで浮き彫りになるアノマリー。 アノマリーに気づくための装置としてのSF。 散々一見関係の無さそうな知識体系を一通り巡ってきた後に再び戻ってくる贈与とはなにか?という論理展開が、ある種のドラマチックさを持っていて終盤は読みながらconecting dots感をひしひし感じた。 贈与を受け取る人の存在自体が、差出人に生命力を与えるというところに、日常に潜む喜びや、親と子を始め家族や愛する人との間にある無形の価値、社会性によって進歩してきた人類の根源的な動力源を見いだせる。 ところどころ著者の思考スピードに追いつけないところもあって咀嚼するのにもう何度か読み返したり考えを深めないと真の意味でメッセージを受け取れないし、受け取り誰かに伝えることでメッセンジャーたらんとしている自分に気づき、そこでまた理解が深まる。 本の装丁も、主旨を上手く表現していて良い。 そして、贈与とは お金で買うことの出来ないもの およびその移動と 定義されています. 最初の問いに戻ると 親は子供が生まれた時から 世話をしたり、食費や教育などの 経済的な負担もしたりします. また、その負担に対して 普通の親は見返りを求めません. そして、その子供は ある時を境に 親から与えたれていたものに 気付き 返礼しなければならない と普通は思うはずです. それが贈与という お金では買えないものです. ただ、親は常に ここに不安があります. 自分の育て方(贈与)は 正しかったのだろうか? という不安です. そして、その正しさを 証明してくれるのが 孫の存在なのです. 自分の子供が孫に また愛を与える. そうすることで 自分が行ってきたことは 正しかったという認識が出来る. だから、親は孫を求めるようです. そういう論理からすると 親が孫を溺愛するのも 説明がつきます. 例えば 怖いお父さんが 柔和なおじいちゃんになるのも その贈与の義務から 開放された結果なのかも. 一見、贈与なんて 難しい言葉だなぁ と思うかもしれませんが 自分の気付かないところに 贈与が溢れていました. コロナの影響で 当たり前な日常ではないからこそ 当たり前を維持するための 贈与に気付く. 1つの物事に対して 色々な見方をするために かなり役に立つ本です.

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著者に聞く:『世界は贈与でできている』 著者 近内悠太さん

世界 は 贈与 で でき て いる

なぜこれらを狂おしいほどに追い求めるのか。 どうすれば「幸福」に生きられるのか。 若き哲学者が、「贈与」や「言語」「常識」の成り立ちを通して説き起こす。 【「TRC MARC」の商品解説】 2020年最有望の若き哲学者、「希望」のデビュー作 一見当たり前に存在しているこの「世界」の成り立ちを、「贈与」や「言語」、「常識」の成り立ちを通して説き起こした鮮烈なデビュー作。 人間の「こころ」の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある。 ウィトゲンシュタインと小松左京の本書を通しての出会いは思考世界における一つの「事件」。 必要だがお金で買えないもの及びその移動である「贈与」というものの正体を理解するために、資本主義や言葉を介したゲームルール。 疑うことがそもそもできない世界像という常識の総体。 世界像があることで浮き彫りになるアノマリー。 アノマリーに気づくための装置としてのSF。 散々一見関係の無さそうな知識体系を一通り巡ってきた後に再び戻ってくる贈与とはなにか?という論理展開が、ある種のドラマチックさを持っていて終盤は読みながらconecting dots感をひしひし感じた。 贈与を受け取る人の存在自体が、差出人に生命力を与えるというところに、日常に潜む喜びや、親と子を始め家族や愛する人との間にある無形の価値、社会性によって進歩してきた人類の根源的な動力源を見いだせる。 ところどころ著者の思考スピードに追いつけないところもあって咀嚼するのにもう何度か読み返したり考えを深めないと真の意味でメッセージを受け取れないし、受け取り誰かに伝えることでメッセンジャーたらんとしている自分に気づき、そこでまた理解が深まる。 本の装丁も、主旨を上手く表現していて良い。 そして、贈与とは お金で買うことの出来ないもの およびその移動と 定義されています. 最初の問いに戻ると 親は子供が生まれた時から 世話をしたり、食費や教育などの 経済的な負担もしたりします. また、その負担に対して 普通の親は見返りを求めません. そして、その子供は ある時を境に 親から与えたれていたものに 気付き 返礼しなければならない と普通は思うはずです. それが贈与という お金では買えないものです. ただ、親は常に ここに不安があります. 自分の育て方(贈与)は 正しかったのだろうか? という不安です. そして、その正しさを 証明してくれるのが 孫の存在なのです. 自分の子供が孫に また愛を与える. そうすることで 自分が行ってきたことは 正しかったという認識が出来る. だから、親は孫を求めるようです. そういう論理からすると 親が孫を溺愛するのも 説明がつきます. 例えば 怖いお父さんが 柔和なおじいちゃんになるのも その贈与の義務から 開放された結果なのかも. 一見、贈与なんて 難しい言葉だなぁ と思うかもしれませんが 自分の気付かないところに 贈与が溢れていました. コロナの影響で 当たり前な日常ではないからこそ 当たり前を維持するための 贈与に気付く. 1つの物事に対して 色々な見方をするために かなり役に立つ本です.

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世界で最もパンデミックへの備えができていない国 ワースト24

世界 は 贈与 で でき て いる

『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』ニューズピックス 近内悠太/著 目次• はじめに 本書の特筆すべき点は贈与を受け取る側の視点で「無償の愛」「正義」などの本質を説明しているところでしょう。 本書では贈与を「僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動」と定義しています。 筆者はこのように自ら定義しながら、お金で買えないものとは何なのかを問う。 これは猫を犬ではない生き物と定義しているようなもので非常に曖昧です。 また、「鶴の恩返し」「サンタクロース」など誰もが知っている存在から考察を深めて、より普遍的な結論へと導いてくれる本書はまさに哲学書という感じがします。 センター国語を解いているような読みごたえで最高でした。 著者 近内悠太 1985年神奈川県生まれ。 教育者。 哲学探究者。 専門はウィトゲンシュタイン哲学。 リベラルアーツを主軸にした総合型学習塾「知窓学舎」講師。 本書「世界は贈与でできている」がデビュー著作。 概要 資本主義はあらゆるものが「商品」となり、あらゆる行為が「サービス」となり得る。 しかし、資本主義の下では交換し続けることができなければ「自由」は得られない。 僕らに必要であり重要なのに、正体がわかっていない「お金で買えないもの」 =「贈与」 その正体を言語ゲームで有名なウィトゲンシュタインの力を借りて解き明かします。 印象的なフレーズ この場合のポイントは、それが自分の未来の利益を見込んでのボランティアなのか、それとも過去の負い目への反対給付なのか、です。 「ボランティアはどのような場合に偽善と見なされるのか」に対する筆者の見解。 過去に自らが受けた贈与に対する返礼であれば「恩に報いる」「忠義を尽くす」と呼ばれる。 一方で、たとえ同じ行為であったとしても、未来の利益のための先行投資であれば「媚びを売る」「権力におもねる」と呼ばれる。 自己利益を見込んでの行為なのにもかかわらず、純粋な善意による一方的な贈与であると装うことを、偽善と呼ぶのだという。 偽善者は一様に「お前のことを思って言っているんだよ」という呪いの言葉を口にするとも筆者は指摘している。 行為の主体者が後に利益を受け取ることを想定している場合、それは贈与ではなく等価交換に過ぎない。 見返りを求めない贈与は「自己犠牲」であり、自分が疲弊していくだけではないかという疑問が生じる。 しかし、その贈与が過去の負い目に基づくものであれば、正しく贈与になるだけの力を有すると筆者は考える。 「不当に愛されてしまった」という自覚、気づき、あるいはその感覚が、子に「負債」を負わせます 「無償の愛」とは子供に見返りを期待しないという点では正しいが、無から生まれる愛という解釈には誤解があると筆者は指摘する。 子供は親に確固たる利益をもたらす存在ではなく「愛されるべき根拠」を欠いたまま育てられる。 贈与には「受け取ってしまった」という被贈与感が伴い、負い目を感じてしまう。 (もらった年賀状は返さなければ、罪悪感を覚える人も多いだろう) 自らが親にしてもらったように、子供に愛を注ぐ義務を知らず知らずのうちに背負いこんでしまうのだ。 親が孫の顔を見たがるのはこのためで、自分の子供が他者を愛することのできる主体になったことを確認することで、「私の愛は正しかった」ことの証明になる。 この時初めて「無償の愛」のバトンを次に渡すという責務から解放されるのです。 いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶのです 筆者は私たちが強制的に勉強させられる理由を、「世界と出会わなければならなかったから」と説明する。 具体的には、勉強とは歴史を学び、現代とは違うルールで生活する生身の人間の視座から世界を眺めることです。 そして、そこで得た知識を使って現代を見渡した時に、私たちはあまりに多くのものが不当に与えられていることに気がつきます。 しかし、学校の教科書にはその功労者の「苦労」は書かれていません。 私たちはいつの間にか受け取ってしまっていた贈与に自ら気がつき、自らの手で読み解かなければなりません。 それに気がつくことのできた人こそが教養ある人であり、メッセンジャーとなって次の誰かに何かを手渡す使命を帯びるのだという。 おわりに 内容自体は難解なのですが、理解したい!と思わせてくれる非常に興味深い問いかけが満載で最後まで楽しく読ませていただきました。 この本から何を学んだかと聞かれると一言で言い表すのは難しいですが、ふと振り返った時に、こういうことかと腑に落ちる瞬間が来るのではないかと予感しています。 というかそういう生き方をしたい。

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