二 銭 銅貨。 二銭銅貨

文学考察: 二銭銅貨ー黒島伝治

二 銭 銅貨

登場人物 私 場末の貧弱な下駄屋の二階の六畳一間に、ごろごろしている金のない無職の若者。 松村武 私の友人で、下駄屋の下宿の同居人で、紳士泥坊の盗んだ金の在り処の謎を解く。 紳士盗賊 新聞記者になりすまし、まんまと電気会社社員の給料を盗み出し何処かに隠す。 あらすじ ネタバレあり あの泥棒が羨ましい、二人の間にこんな言葉が交わされるほど貧乏する。 場末の貧弱な下駄屋の二階の六畳一間で、松浦武と私が変な空想ばかりしてゴロゴロしていた頃である。 その頃、世間を騒がせた 大泥坊 おおどろぼうの巧みなやり口を 羨 うらやむような、さもしい心持ちになっていた。 その 泥坊 どろぼう事件というのは、芝区にある大きな電気工場の職工の給料日当日の出来事で、一万人近い職工の一か月の賃金を銀行から引き出し給料袋に詰め込んでいる時に、玄関に一人の紳士が現れた。 紳士は朝日新聞の記者を名乗り、支配人に面会を申し込んだ。 この支配人は、記者の操縦がうまいことを自慢にしており応対した。 男は、 鼈甲縁 べっこうぶちの眼鏡をかけ口ひげを生やし、黒のモーニングの 扮装 いでたちで現れ、高価な 埃及 エジプト煙草に火をつけた。 そして三十分ばかり支配人と労使協調や温情主義などの問題を論じる、それから支配人が便所に立った間に、男も姿を消した。 その後、会計主任から賃金支払いの金が何者かに取られていると報告を受けた。 調べてみると、いつも賃金計算をする工場の事務室がその時は改装中で、支配人室の隣室で計算作業が行われ、昼食の休憩時間のたまたま空になった時に、忍び入って持ち去られたというものだった。 損害額は、二十円札や十円札で合わせて約五万円 現在の価値で三千万円前後 であった。 紳士盗賊が捕まるが、盗んだ五万円が見つからず懸賞金がかけられる。 この新聞記者と自称する男は、紳士盗賊と呼ばれ世間を騒がせている大泥坊であった。 管轄警察署の司法主任他が臨検して調べるが 手懸 てがかりがなかった。 市内の巡査派出所へも人相書きが廻ったが何の手ごたえもない。 さらに各府県の警察署へも依頼されたが賊は上がらなかった。 もう絶望かと思われる中、一人の刑事が、賊が喫っていたFIGAROという 埃及 エジプトの舶来の煙草をたよりに煙草店をあたっていた。 その時、偶然にもある旅館の前でこの埃及煙草の吸殻があった。 ここから足がついて紳士盗賊もついに 獄裡 ごくりの人となった。 この刑事は、工場の支配人の部屋に残された珍しい埃及煙草から探偵の歩を進めたのであった。 取り調べを受けて白状したところによると、支配人の留守の間に隣の部屋に入り例の金を盗んだということだった。 押収された紳士泥坊の着ていたモーニングには手品師の服のように隠し袋がついていて、そこに五万円 現在の価値で三千万円前後 の金を隠したのだった。 さらに、この紳士泥坊は、盗んだ五万円の隠し場所について、一言も白状しなかった。 警察と、検事廷と、公判廷と三つの関所で攻め問われても知らないの一点張りだった。 紳士泥坊は、隠匿のかどで窃盗犯としてはかなり重い懲役に処せられた。 そして困り果てた被害者の工場では、責任者である支配人がその金を発見したものには、発見額の一割の賞金をかけることを発表した、つまり五千円の懸賞である。 これからお話ししようとする、松村武と私自身とに関するちょっと興味のある物語は、この泥坊事件がこういう風に発展している時に起こったことなのである。 松村は二銭銅貨と煙草屋と按摩の話で閃き、何処かへ出かけて行った。 冒頭の通り、このころの松村武と私は窮乏のどん底にのたうち廻っていたのである。 まだしも幸運だったのは、時候が春であったため寒いときだけ必要な羽織とか、下着とか、夜具や火鉢などを質屋へ運び、お金に代えて一息つけたのであった。 あるとき私は、松村の机の上に煙草のつり銭の二銭銅貨を置いていた。 松村が「どこの煙草屋だ」と聞くので、私は「飯屋の隣の婆さんのところだ」と答える。 松村が「婆さんの 外 ほかに、どんな連中がいるか」と聞くので、私は「婆さんよりもっと不機嫌な爺さんがいて、娘が一人いて、娘は監獄の 差入屋 さしいれやとかへ嫁いでいる」と答える。 松村は、立上って広くもない部屋をノソリノソリと歩き始めた。 それから私は松村を残して飯に行った。 私が飯屋から帰ってくると、松村は、珍しいことに 按摩 あんまを呼んで 揉 もませていた。 昨日、質屋の番頭を説きつけ手にした二十円の共有財産が、按摩賃六十銭だけ減ってしまった。 按摩が帰ると松村は、何か紙切れに書いたものを読んでいる。 やがて懐中からもう一枚の紙きれを取り出して二枚を比較研究している。 鉛筆を持って、新聞紙の余白に、何か書いては消し、書いては消していた。 松村は食事さえ忘れて没頭していた。 「君、東京地図はなかったかしら」突然、松村がこういって私の方を振り向いた。 そして松村は、階下へ降りておかみさんから東京地図を借りてきた。 時計はもう九時を打った。 松村は一段落ついたと見えて私に向かって、「君、ちょっと十円ばかり出してくれないか」と云うのだ。 私は、松村のこの不思議な挙動に対して、読者にまだ明かしていない私だけの深い興味を持っていたので、全財産の半分の十円を与えることに異議を唱えなかった。 松村は、私から十円を受け取ると、 古袷 ふるあわせ一枚に、皺くちゃのハンチングという扮装で、何も云わずどこかへ出ていった。 隠された五万円を見つけ出し、南無阿弥陀仏の謎解きを私に披露した。 翌朝十時頃、眼を醒ますと、 縞 しまの着物に角帯を締めて紺の前垂れをつけた商人風の男が風呂敷包を 背負 しょって立っていた。 松村武であった。 松村は、ニタニタ笑いながら低い声で「この風呂敷包の中には、君、五万円という金が入っているのだよ」と云う。 松村は、五万円も無論有難いが、あの天才泥坊に打ち勝った勝利の快感がたまらないようであった。 「俺の頭はいい、少なくとも貴公よりいいことを認めてくれ。 君が俺の机においた二銭銅貨で、君が気づかず俺が気づいたことで、二銭銅貨の二百五十万倍の金を探し出すことができた、まさに頭が優れているということだ」と自慢する。 そして彼は、謎解きを説明しだした。 それは私の好奇心を充たすためと云うよりも、彼の名誉心を満足させるものであった。 俺は、君が風呂に行ったあと、あの二銭銅貨を 弄 もてあそんでいると、あれは銅貨で作った何かの容器のようでネジを廻すと上下に開き、中から紙が出てきた。 その紙には次のように書きつけてあった。 陀、無弥仏、南無弥仏、阿陀仏、弥、無阿弥陀、無陀、弥、無弥陀仏、無陀、陀、南無陀仏、南無仏、陀、無阿弥陀、無陀、南仏、南陀、無弥、無阿弥陀仏、弥、南阿陀、無阿弥、南陀仏、南阿弥陀、阿陀、南弥、南無弥仏、無阿弥陀、南無弥陀、南弥、南無弥仏、無阿弥陀、南無陀、南無阿、阿陀仏、無阿弥、南阿、南阿仏、陀、南阿陀、南無、無弥仏、南弥仏、阿弥、弥、無弥陀仏、無陀、南無阿弥陀、阿陀仏、 この坊主の寝言のようなものをみて、最初はいたずら書きだと思ったが、これは<南無阿弥陀仏>の文字で作った暗号ではないかと思った。 そしてその時に 閃 ひらめいたのが、例の紳士泥坊のことだ。 これは手下か相棒に金の在り 処 かを示すものだと思った。 無論空想さ、だがちょっと甘い空想だからね。 そこで君に二銭銅貨の出所についてあんな質問をしたわけさ。 ところが煙草屋の娘が監獄の差入屋へ嫁いでいるというではないか。 未決監に居る泥坊が、外部と通信するためには 差入屋 さしいれやを媒介とするのが最も容易だ。 もしその目論見が何かの都合で手違いになり、そして差入屋の女房から親の煙草屋へ運ばれなかったと、どうして云えよう。 さて、この無意味な文字の配列を解くキーは何かと考え、俺は暗号と考え、南無阿弥陀仏の文字を組み合わせて置き換えたのだろうと想像した。 そして講談本から武将の真田幸村の旗印の 六連銭 ろくれんせんを思い浮かべ、そこからインスピレーションで盲人の使う点字が浮かび、按摩を呼んで教えてもらった。 自慢気に五万円を誇る松村に、それが私の悪戯なトリックだと説明する。 そういって松村は、按摩の教えてくれた点字を書いた紙片を机から取り出した。 点字の五十音、濁音符、半濁音符、 拗音 ようおん符、促音符、長音符、数字などが並べて書いてあった。 そして暗号を解いた結果として翻訳したものがこれだ。 つまり、『五軒町の正直堂から玩具の札を受取れ、受取人の名は大黒屋商店』というのだ。 紳士泥坊は一番安全な隠し場所は、隠さないで隠すことだと考えた。 衆人の目に 曝 さらしておいて、誰にも気づかれない隠し方が最も安全と考えた。 そこで玩具という巧妙なトリックを考え出した。 「正直堂は、玩具の札なんかを印刷する店で、大黒屋商店の名で玩具のお札を注文していたんだ。 そして紳士泥坊一味は、本物の紙幣を工場から盗み出し、印刷屋へ忍び込んで注文した玩具の札と摩り替えておいたのだ。 そうすれば本物の札は、印刷屋の物置に残っているわけだからね」と云い、 「そして実際に俺は番頭に扮装して訪れて、 摩 すり替えられた本物の五万円をまんまと横取りしたわけさ」と松村は云う。 私は、笑い転げて、そして笑いを噛み殺して言った。 君は、現実がそれほどロマンチックだと信じているのかい。 そして私は松村の暗号の翻訳文に八文字ずつ飛ばして印をつけた。 ゴケンチョーショー ジキドーカラオモチ ャノサツヲウケトレ ウケトリニンノナハ ダイコクヤショーテ ン。 この『御冗談』、誰かの悪戯ではないだろうか。 その札の表面には< 圓 えん>という字の代わりに< 團 だん>という字が大きく印刷されてあった。 二〇 圓 えん、十 圓 えんではなくて、二〇 團 だん、十 團 だんであった。 私は、済まぬという気持ちと 遣 やり過ぎた 悪戯 いたずらについて説明した。 正直堂という印刷屋は、実は私の遠い親戚であった。 ある日、そこで本物と少しも変わらぬ玩具の札をみたのであった。 それが長年の大黒屋という得意先の注文品であることを聞いたのである。 私は、話題となっている紳士泥坊の一件と結び付け、悪戯を思いついたのである。 あの暗号文も勿論、私が作ったものであった。 煙草屋の娘が差入屋に嫁いでいることなど 出鱈目 でたらめであった。 煙草屋に娘がいることさえ怪しかった。 最後に、トリックの出発点になった二銭銅貨について、詳しい説明を避けねばならぬことを遺憾に思う。 へまなことを書いては、あの品を私に呉れた人が迷惑を 蒙 こうむるかもしれないからである。 読者は、私が偶然それを所持していたと思って下さればよいのである。 この「二銭銅貨」は、日本で最初の探偵 推理 小説として、絶賛された。 松村は、自身をシャーロック・ホームズに真似て推理をする。 それはイギリスの作家コナンドイルのDancing Menの百六十種の暗号の書き方で、Baconの発明したtwo letter暗号法の<a>と<b>の組み合わせで文字を綴る方法や、チャールズ一世の王朝時代に政治上の秘密文書に数字を用いる方法などが紹介されている。 江戸川乱歩は、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーに敬意をこめたペンネームであるが、アメリカ、更には遡ってイギリスに1830年代に警察制度が整い、犯罪記録をもとに書かれた犯罪小説から、後の近代推理小説が生まれたとすると、探偵小説マニアであった乱歩の処女作であると同時に、その題材にアメリカやイギリスへの敬意が表れている。 さらに日本で初めての推理小説に<南無阿弥陀仏>の六文字を、盲人の点字の配列に合わせ、その途中に講談本から真田幸村の旗印を引用するなどの展開は、純粋な日本発の推理小説の誕生として大きな功績である。 物語の構成の巧みさを整理すると、 松村と私、二人の知識的青年はいつもどちらが頭が優れているかを、貧乏で暇な暮らしにまかせてことあるごとに比べているという前フリを読者に提示している。 そこに巧みな紳士泥坊が五万円をまんまと盗み、 埃及 エジプト煙草から足がつき捕まってしまうが、現金の在り処を明かさないという新聞記事での公開情報を共有させる。 そして二銭銅貨が松村の机に置いてあったことから、推理は始まる。 二銭銅貨は造り物で上下を開くと、中から紙片がでてくる。 <物語の最後に乱歩は二銭銅貨のことは触れないこととしているが、それでも大きな文脈として偽物を置く玩具屋や、手品師などの表記からの何かのツテで入手できたと想像できる> そして推理好きの脳を刺激する。 二銭銅貨の中の紙に綴られた「南無阿弥陀仏」。 ここはまさに日本発推理小説誕生の醍醐味である。 さらに松村の推理が加速するように、「私」は紳士泥坊の足がついた煙草から想起させるために、馴染みの煙草屋のつり銭として二銭銅貨を机に置き、これをトリックの入口として、その煙草屋の老夫婦には嫁いだ娘があり、嫁ぎ先が差入れ屋 刑務所に差入に物を運ぶことができる としている。 さらに紳士泥坊の特徴として 鼈甲 べっこう眼鏡や口ひげなどの定番の変装道具に加えて、舶来の希少な 埃及 エジプト煙草という手掛かりと符合させている。 松村は、この五万円の所在を突き止めたことの喜びと、自身の知恵が「私」に対して優越することを誇り高く思うが、そのときに、「私」が、そんなロマンティックがこの世にあるものかと、この松村の謎解きと二人の貧窮暮らしを自虐してみせる。 そして二度目の面白さとして、トリックを仕組んだ「私」の巧妙さが紹介される。 そうして、やはり知恵者は松村よりも「私」であるということを読者に充分にアピールしながら小気味よい探偵 推理 小説としてまとめ上げている。 江戸川乱歩の処女作「二銭銅貨」、日本にも本格的な推理作家が誕生したと 讃辞 さんじされた。 この中に、紙が入っていて南無阿弥陀仏の六文字がランダムな組み合わせで綴られている。 この文字を暗号として解読することが作品の重要な要素となっている。 さらに乱歩は按摩が好きで、暗号の配列を按摩の点字から着想を得ている。 執筆は、失業中の乱歩がお金の妄想を抱きながらのもので実際に、「私」の貧乏描写や「あの泥棒が羨ましい」というセリフは乱歩自身の当時の思いを反映していると言われる。 雑誌『新青年』の編集長は、日本にも外国作品に劣らぬ探偵 推理 小説が生まれたと絶賛した。 発表時期 1923年 大正12年 、雑誌『新青年』4月増大号に掲載される。 当時、28歳。 江戸川乱歩の処女作であり、日本最初の本格探偵小説ともいわれる。 江戸川乱歩のペンネームは、エドガー・アラン・ポーに由来する。 大正から昭和期にかけて推理小説を得意とした小説家・推理作家である。 実際に探偵事務所に勤務した経歴を持つ。 また児童向け作品には、少年探偵団や怪人二十面相ものなど多くの作品がある。

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二 銭 銅貨

登場人物 私 場末の貧弱な下駄屋の二階の六畳一間に、ごろごろしている金のない無職の若者。 松村武 私の友人で、下駄屋の下宿の同居人で、紳士泥坊の盗んだ金の在り処の謎を解く。 紳士盗賊 新聞記者になりすまし、まんまと電気会社社員の給料を盗み出し何処かに隠す。 あらすじ ネタバレあり あの泥棒が羨ましい、二人の間にこんな言葉が交わされるほど貧乏する。 場末の貧弱な下駄屋の二階の六畳一間で、松浦武と私が変な空想ばかりしてゴロゴロしていた頃である。 その頃、世間を騒がせた 大泥坊 おおどろぼうの巧みなやり口を 羨 うらやむような、さもしい心持ちになっていた。 その 泥坊 どろぼう事件というのは、芝区にある大きな電気工場の職工の給料日当日の出来事で、一万人近い職工の一か月の賃金を銀行から引き出し給料袋に詰め込んでいる時に、玄関に一人の紳士が現れた。 紳士は朝日新聞の記者を名乗り、支配人に面会を申し込んだ。 この支配人は、記者の操縦がうまいことを自慢にしており応対した。 男は、 鼈甲縁 べっこうぶちの眼鏡をかけ口ひげを生やし、黒のモーニングの 扮装 いでたちで現れ、高価な 埃及 エジプト煙草に火をつけた。 そして三十分ばかり支配人と労使協調や温情主義などの問題を論じる、それから支配人が便所に立った間に、男も姿を消した。 その後、会計主任から賃金支払いの金が何者かに取られていると報告を受けた。 調べてみると、いつも賃金計算をする工場の事務室がその時は改装中で、支配人室の隣室で計算作業が行われ、昼食の休憩時間のたまたま空になった時に、忍び入って持ち去られたというものだった。 損害額は、二十円札や十円札で合わせて約五万円 現在の価値で三千万円前後 であった。 紳士盗賊が捕まるが、盗んだ五万円が見つからず懸賞金がかけられる。 この新聞記者と自称する男は、紳士盗賊と呼ばれ世間を騒がせている大泥坊であった。 管轄警察署の司法主任他が臨検して調べるが 手懸 てがかりがなかった。 市内の巡査派出所へも人相書きが廻ったが何の手ごたえもない。 さらに各府県の警察署へも依頼されたが賊は上がらなかった。 もう絶望かと思われる中、一人の刑事が、賊が喫っていたFIGAROという 埃及 エジプトの舶来の煙草をたよりに煙草店をあたっていた。 その時、偶然にもある旅館の前でこの埃及煙草の吸殻があった。 ここから足がついて紳士盗賊もついに 獄裡 ごくりの人となった。 この刑事は、工場の支配人の部屋に残された珍しい埃及煙草から探偵の歩を進めたのであった。 取り調べを受けて白状したところによると、支配人の留守の間に隣の部屋に入り例の金を盗んだということだった。 押収された紳士泥坊の着ていたモーニングには手品師の服のように隠し袋がついていて、そこに五万円 現在の価値で三千万円前後 の金を隠したのだった。 さらに、この紳士泥坊は、盗んだ五万円の隠し場所について、一言も白状しなかった。 警察と、検事廷と、公判廷と三つの関所で攻め問われても知らないの一点張りだった。 紳士泥坊は、隠匿のかどで窃盗犯としてはかなり重い懲役に処せられた。 そして困り果てた被害者の工場では、責任者である支配人がその金を発見したものには、発見額の一割の賞金をかけることを発表した、つまり五千円の懸賞である。 これからお話ししようとする、松村武と私自身とに関するちょっと興味のある物語は、この泥坊事件がこういう風に発展している時に起こったことなのである。 松村は二銭銅貨と煙草屋と按摩の話で閃き、何処かへ出かけて行った。 冒頭の通り、このころの松村武と私は窮乏のどん底にのたうち廻っていたのである。 まだしも幸運だったのは、時候が春であったため寒いときだけ必要な羽織とか、下着とか、夜具や火鉢などを質屋へ運び、お金に代えて一息つけたのであった。 あるとき私は、松村の机の上に煙草のつり銭の二銭銅貨を置いていた。 松村が「どこの煙草屋だ」と聞くので、私は「飯屋の隣の婆さんのところだ」と答える。 松村が「婆さんの 外 ほかに、どんな連中がいるか」と聞くので、私は「婆さんよりもっと不機嫌な爺さんがいて、娘が一人いて、娘は監獄の 差入屋 さしいれやとかへ嫁いでいる」と答える。 松村は、立上って広くもない部屋をノソリノソリと歩き始めた。 それから私は松村を残して飯に行った。 私が飯屋から帰ってくると、松村は、珍しいことに 按摩 あんまを呼んで 揉 もませていた。 昨日、質屋の番頭を説きつけ手にした二十円の共有財産が、按摩賃六十銭だけ減ってしまった。 按摩が帰ると松村は、何か紙切れに書いたものを読んでいる。 やがて懐中からもう一枚の紙きれを取り出して二枚を比較研究している。 鉛筆を持って、新聞紙の余白に、何か書いては消し、書いては消していた。 松村は食事さえ忘れて没頭していた。 「君、東京地図はなかったかしら」突然、松村がこういって私の方を振り向いた。 そして松村は、階下へ降りておかみさんから東京地図を借りてきた。 時計はもう九時を打った。 松村は一段落ついたと見えて私に向かって、「君、ちょっと十円ばかり出してくれないか」と云うのだ。 私は、松村のこの不思議な挙動に対して、読者にまだ明かしていない私だけの深い興味を持っていたので、全財産の半分の十円を与えることに異議を唱えなかった。 松村は、私から十円を受け取ると、 古袷 ふるあわせ一枚に、皺くちゃのハンチングという扮装で、何も云わずどこかへ出ていった。 隠された五万円を見つけ出し、南無阿弥陀仏の謎解きを私に披露した。 翌朝十時頃、眼を醒ますと、 縞 しまの着物に角帯を締めて紺の前垂れをつけた商人風の男が風呂敷包を 背負 しょって立っていた。 松村武であった。 松村は、ニタニタ笑いながら低い声で「この風呂敷包の中には、君、五万円という金が入っているのだよ」と云う。 松村は、五万円も無論有難いが、あの天才泥坊に打ち勝った勝利の快感がたまらないようであった。 「俺の頭はいい、少なくとも貴公よりいいことを認めてくれ。 君が俺の机においた二銭銅貨で、君が気づかず俺が気づいたことで、二銭銅貨の二百五十万倍の金を探し出すことができた、まさに頭が優れているということだ」と自慢する。 そして彼は、謎解きを説明しだした。 それは私の好奇心を充たすためと云うよりも、彼の名誉心を満足させるものであった。 俺は、君が風呂に行ったあと、あの二銭銅貨を 弄 もてあそんでいると、あれは銅貨で作った何かの容器のようでネジを廻すと上下に開き、中から紙が出てきた。 その紙には次のように書きつけてあった。 陀、無弥仏、南無弥仏、阿陀仏、弥、無阿弥陀、無陀、弥、無弥陀仏、無陀、陀、南無陀仏、南無仏、陀、無阿弥陀、無陀、南仏、南陀、無弥、無阿弥陀仏、弥、南阿陀、無阿弥、南陀仏、南阿弥陀、阿陀、南弥、南無弥仏、無阿弥陀、南無弥陀、南弥、南無弥仏、無阿弥陀、南無陀、南無阿、阿陀仏、無阿弥、南阿、南阿仏、陀、南阿陀、南無、無弥仏、南弥仏、阿弥、弥、無弥陀仏、無陀、南無阿弥陀、阿陀仏、 この坊主の寝言のようなものをみて、最初はいたずら書きだと思ったが、これは<南無阿弥陀仏>の文字で作った暗号ではないかと思った。 そしてその時に 閃 ひらめいたのが、例の紳士泥坊のことだ。 これは手下か相棒に金の在り 処 かを示すものだと思った。 無論空想さ、だがちょっと甘い空想だからね。 そこで君に二銭銅貨の出所についてあんな質問をしたわけさ。 ところが煙草屋の娘が監獄の差入屋へ嫁いでいるというではないか。 未決監に居る泥坊が、外部と通信するためには 差入屋 さしいれやを媒介とするのが最も容易だ。 もしその目論見が何かの都合で手違いになり、そして差入屋の女房から親の煙草屋へ運ばれなかったと、どうして云えよう。 さて、この無意味な文字の配列を解くキーは何かと考え、俺は暗号と考え、南無阿弥陀仏の文字を組み合わせて置き換えたのだろうと想像した。 そして講談本から武将の真田幸村の旗印の 六連銭 ろくれんせんを思い浮かべ、そこからインスピレーションで盲人の使う点字が浮かび、按摩を呼んで教えてもらった。 自慢気に五万円を誇る松村に、それが私の悪戯なトリックだと説明する。 そういって松村は、按摩の教えてくれた点字を書いた紙片を机から取り出した。 点字の五十音、濁音符、半濁音符、 拗音 ようおん符、促音符、長音符、数字などが並べて書いてあった。 そして暗号を解いた結果として翻訳したものがこれだ。 つまり、『五軒町の正直堂から玩具の札を受取れ、受取人の名は大黒屋商店』というのだ。 紳士泥坊は一番安全な隠し場所は、隠さないで隠すことだと考えた。 衆人の目に 曝 さらしておいて、誰にも気づかれない隠し方が最も安全と考えた。 そこで玩具という巧妙なトリックを考え出した。 「正直堂は、玩具の札なんかを印刷する店で、大黒屋商店の名で玩具のお札を注文していたんだ。 そして紳士泥坊一味は、本物の紙幣を工場から盗み出し、印刷屋へ忍び込んで注文した玩具の札と摩り替えておいたのだ。 そうすれば本物の札は、印刷屋の物置に残っているわけだからね」と云い、 「そして実際に俺は番頭に扮装して訪れて、 摩 すり替えられた本物の五万円をまんまと横取りしたわけさ」と松村は云う。 私は、笑い転げて、そして笑いを噛み殺して言った。 君は、現実がそれほどロマンチックだと信じているのかい。 そして私は松村の暗号の翻訳文に八文字ずつ飛ばして印をつけた。 ゴケンチョーショー ジキドーカラオモチ ャノサツヲウケトレ ウケトリニンノナハ ダイコクヤショーテ ン。 この『御冗談』、誰かの悪戯ではないだろうか。 その札の表面には< 圓 えん>という字の代わりに< 團 だん>という字が大きく印刷されてあった。 二〇 圓 えん、十 圓 えんではなくて、二〇 團 だん、十 團 だんであった。 私は、済まぬという気持ちと 遣 やり過ぎた 悪戯 いたずらについて説明した。 正直堂という印刷屋は、実は私の遠い親戚であった。 ある日、そこで本物と少しも変わらぬ玩具の札をみたのであった。 それが長年の大黒屋という得意先の注文品であることを聞いたのである。 私は、話題となっている紳士泥坊の一件と結び付け、悪戯を思いついたのである。 あの暗号文も勿論、私が作ったものであった。 煙草屋の娘が差入屋に嫁いでいることなど 出鱈目 でたらめであった。 煙草屋に娘がいることさえ怪しかった。 最後に、トリックの出発点になった二銭銅貨について、詳しい説明を避けねばならぬことを遺憾に思う。 へまなことを書いては、あの品を私に呉れた人が迷惑を 蒙 こうむるかもしれないからである。 読者は、私が偶然それを所持していたと思って下さればよいのである。 この「二銭銅貨」は、日本で最初の探偵 推理 小説として、絶賛された。 松村は、自身をシャーロック・ホームズに真似て推理をする。 それはイギリスの作家コナンドイルのDancing Menの百六十種の暗号の書き方で、Baconの発明したtwo letter暗号法の<a>と<b>の組み合わせで文字を綴る方法や、チャールズ一世の王朝時代に政治上の秘密文書に数字を用いる方法などが紹介されている。 江戸川乱歩は、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーに敬意をこめたペンネームであるが、アメリカ、更には遡ってイギリスに1830年代に警察制度が整い、犯罪記録をもとに書かれた犯罪小説から、後の近代推理小説が生まれたとすると、探偵小説マニアであった乱歩の処女作であると同時に、その題材にアメリカやイギリスへの敬意が表れている。 さらに日本で初めての推理小説に<南無阿弥陀仏>の六文字を、盲人の点字の配列に合わせ、その途中に講談本から真田幸村の旗印を引用するなどの展開は、純粋な日本発の推理小説の誕生として大きな功績である。 物語の構成の巧みさを整理すると、 松村と私、二人の知識的青年はいつもどちらが頭が優れているかを、貧乏で暇な暮らしにまかせてことあるごとに比べているという前フリを読者に提示している。 そこに巧みな紳士泥坊が五万円をまんまと盗み、 埃及 エジプト煙草から足がつき捕まってしまうが、現金の在り処を明かさないという新聞記事での公開情報を共有させる。 そして二銭銅貨が松村の机に置いてあったことから、推理は始まる。 二銭銅貨は造り物で上下を開くと、中から紙片がでてくる。 <物語の最後に乱歩は二銭銅貨のことは触れないこととしているが、それでも大きな文脈として偽物を置く玩具屋や、手品師などの表記からの何かのツテで入手できたと想像できる> そして推理好きの脳を刺激する。 二銭銅貨の中の紙に綴られた「南無阿弥陀仏」。 ここはまさに日本発推理小説誕生の醍醐味である。 さらに松村の推理が加速するように、「私」は紳士泥坊の足がついた煙草から想起させるために、馴染みの煙草屋のつり銭として二銭銅貨を机に置き、これをトリックの入口として、その煙草屋の老夫婦には嫁いだ娘があり、嫁ぎ先が差入れ屋 刑務所に差入に物を運ぶことができる としている。 さらに紳士泥坊の特徴として 鼈甲 べっこう眼鏡や口ひげなどの定番の変装道具に加えて、舶来の希少な 埃及 エジプト煙草という手掛かりと符合させている。 松村は、この五万円の所在を突き止めたことの喜びと、自身の知恵が「私」に対して優越することを誇り高く思うが、そのときに、「私」が、そんなロマンティックがこの世にあるものかと、この松村の謎解きと二人の貧窮暮らしを自虐してみせる。 そして二度目の面白さとして、トリックを仕組んだ「私」の巧妙さが紹介される。 そうして、やはり知恵者は松村よりも「私」であるということを読者に充分にアピールしながら小気味よい探偵 推理 小説としてまとめ上げている。 江戸川乱歩の処女作「二銭銅貨」、日本にも本格的な推理作家が誕生したと 讃辞 さんじされた。 この中に、紙が入っていて南無阿弥陀仏の六文字がランダムな組み合わせで綴られている。 この文字を暗号として解読することが作品の重要な要素となっている。 さらに乱歩は按摩が好きで、暗号の配列を按摩の点字から着想を得ている。 執筆は、失業中の乱歩がお金の妄想を抱きながらのもので実際に、「私」の貧乏描写や「あの泥棒が羨ましい」というセリフは乱歩自身の当時の思いを反映していると言われる。 雑誌『新青年』の編集長は、日本にも外国作品に劣らぬ探偵 推理 小説が生まれたと絶賛した。 発表時期 1923年 大正12年 、雑誌『新青年』4月増大号に掲載される。 当時、28歳。 江戸川乱歩の処女作であり、日本最初の本格探偵小説ともいわれる。 江戸川乱歩のペンネームは、エドガー・アラン・ポーに由来する。 大正から昭和期にかけて推理小説を得意とした小説家・推理作家である。 実際に探偵事務所に勤務した経歴を持つ。 また児童向け作品には、少年探偵団や怪人二十面相ものなど多くの作品がある。

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二銭銅貨の買取価値

二 銭 銅貨

あらすじ [ ] 芝区にある電機会社の工場の給料日に、新聞記者に変装した紳士泥坊が現れて、まんまと給料袋ごと、職工たちの給料5万円を盗んでしまった。 刑事の丹念な捜査で泥坊は捕まったが、肝心の給料袋の行方については一切白状しないまま懲役となった。 困り果てた工場支配人は、5万円の給料支払い金に5千円の懸賞金をかけた。 「私」とその友人、松村武は場末の下駄屋の2階の六畳に同居する貧窮青年だったが、世間を騒がすこの事件に強い興味を持っていた。 ある日、松村は机の上に「私」が置いた二銭銅貨に目を留めた。 そしてこの二銭銅貨の秘密に気がついた松村は、これをきっかけに一人で捜査を始め、ついに盗まれた5万円の行方をつきとめたとして、「私」に得意げにその謎を解き明かしてみせる。 「私」が煙草屋でお釣りにもらったその二銭銅貨は、表と裏が二つに分かれる容器になっていて、中には「南無阿弥陀仏」の文言が列挙された不思議な暗号文が入っていた。 松村はこの暗号文の謎を解き、紳士泥坊が巧妙に隠匿した5万円を見つけ出したというのだが… おもな登場人物 [ ] 私 場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただ一間しかない六畳にゴロゴロしている無職の青年。 松村武 「私」の友人で、下駄屋の下宿の同居人。 二銭銅貨に隠された暗号文を解読する。 紳士泥坊 新聞記者に化け、まんまと工場の給料を盗み出す。 盗んだ五万円の在処を吐かずに刑務所入りとなる。 作品解説 [ ] (大正11年)9月に執筆され、(大正12年)に雑誌『』(博文館)四月増大号に掲載された。 初出時の題は『二錢銅貨』。 江戸川乱歩の処女作であり、日本最初の本格探偵小説ともいわれる作品である。 内容は乱歩が傾倒したの『』を彷佛とさせる暗号物である。 作中の松村のセリフで「ポオのGold Bug」や、の『』への言及があり、「の発明したtwo Letter暗号法」(二記号暗号)などに関する蘊蓄が幾らか語られていて、のちに「」などで内外の推理トリックを紹介する、探偵小説マニアとしての乱歩の片鱗が伺える作品となっている。 乱歩は大学時代から暗号に興味を持ち、暗号史を調べていたこともあった。 ポーに私淑していた乱歩は、「エドガー・アラン・ポー」をもじった「江戸川乱歩」を本作で自らの筆名とした。 明治から昭和初期にかけて流通した二銭銅貨 本作の暗号は(Substitution Cipher)の一種((Code)と換字法を組み合せたもの)に、さらに分置式暗号も埋め込まれている。 乱歩は小説に知人の姓名を使うことが多く、本作の「松村武」は、鳥羽造船所勤務時代からの友人「松村家武」の名を拝借している。 この松村は同時期に執筆された『』にも登場する。 松村が奮発して按摩を呼ぶ場面があるが、乱歩自身も按摩が好きで、当時、小遣いを工面して3日に1回は按摩を呼んでいた。 作中のの暗号も、この按摩から点字を教えてもらったことから着想を得た。 文中の点字は、戦後になって誤りの指摘を受けた(の表記法を誤解したもので、たとえば「チョ」は「拗音符+ト」とあるべきところを、「チ+拗音符+ヨ」と誤っていた)。 そのため、乱歩は(昭和36年)に桃源社から全集が出た際にこれを訂正している。 ただし、この乱歩による訂正は周知されず、その後に発行された版第1次全集(第1巻所収、1969年)・同第2次全集(第1巻所収、1978年)や版(『一寸法師』所収、1973年)などは初出の『新青年』を底本としたため、かえって誤りが残ってしまう結果になった。 また、春陽文庫版(『心理試験』所収、1959年)や版(『江戸川乱歩傑作選』所収、1960年)などの文庫本でも増刷時に修正がなされなかったため、(昭和57年)に読者があらためて誤りを指摘するまでの20年あまりの間、初出時の誤りが踏襲され続けてきた。 それ以後に新たに版組がされた文庫版などは桃源社版によるなどとし訂正版の暗号によるのを常としているが、版のみ初出の『新青年』版によっているため間違った暗号が掲載されている。 の小説『4』はこの暗号の誤りをテーマにしている。 当時、の小説を愛読していた乱歩は、文章については「『何々した ところの』といった浩二式文章の影響を多分に受けている」と語っている。 乱歩は本作について、「最初点字と南無阿弥陀仏の組み合わせて暗号を考え、それに二銭銅貨という隠し場所や、偽札の件なんかを付加えたので、暗号が全体の中心になっていて、その外に大して創意はない訳です」と解説している。 原稿料は一枚につき、一円(当時)だった。 「『新青年』という雑誌が今よりはけちだったし、今程は売れてもいなかったし、無名作家の原稿なんだから一円は当り前でしょう。 今考えると馬鹿に廉い気がするが、当時は、元価一枚三厘か五厘の原稿紙が一円に売れる、ボロイ商売だと有り難く思ったことである」と述懐している。 原稿料は全部で50円だったが、当時の水準でもこれはかなり安く、生活を支えるほどの金額ではなかった。 文中で「ゴジヤウダン(御冗談)」と解読される暗号があるが、旧仮名遣いを改めた戦後の出版でも、この仮名遣いだけは意味が通らなくなるので改めていない。 乱歩はこれを「八字ずつ飛ばして読むと『ご常談』となる所はどうもぎごちない。 あれはなかった方がよいと思う」と戦後になって述べている。 発表までの経緯 [ ] 乱歩は大正9年に東京の本郷で弟や友人と古本屋「三人書房」を開き、「智的小説刊行会」を興していた。 乱歩はこの古本屋の2階で、友人と一日中探偵小説談議に明け暮れていた。 この友人 に話し聞かせていた探偵小説のアイディアが、本作の筋立てとなったのである。 乱歩は大正11年7月に化粧品製造業の支配人を辞めて失業し、東京の家を引き払って、妻と赤子とともに大阪の父親の家に転がり込んでいた。 貧窮の中の乱歩の楽しみは、『新青年』を読んで探偵小説の世界に浸ることだった。 『新青年』はポーやの海外翻訳や、、、などの探偵随筆を掲載していて、失業中だった乱歩は乏しい小遣いからこれを買って読み、胸を躍らせていた。 のちに次のように回想している。 「『新青年』は三回目の増刊を出し、私は乏しい小遣いを割いてこれを買ったのだが、先の二冊の増刊とそれとを前に比べて眺めながら、私はいよいよ探偵小説を書くべき時が来たと思った。 失業中のことだから時間は充分にある。 もし、その原稿が売れれば、煙草代にも不自由している際、こんな有難いことはない。 多年、培ってきた探偵小説への情熱を吐き出すのは今だ、と思った」 失業中の乱歩は「2、3か月の間、本当に何もしないでブラブラしていた」といい、あまりの所在のなさに「十万円欲しいなあ、たった五万円でもいい、そうすれば一万円で家を建てて云々という様な、虫のいい妄想を描く片手間に、小さなお膳だか机だかの前に座って、小さくなって書き上げたのが『二錢銅貨』と『一枚の切符』です」とこのときの様子を語っている。 乱歩は東京の団子坂時代に大筋だけ考えていた『二錢銅貨』と『一枚の切符』の二編の推理小説を、2、3日で下書きし、大正11年9月末から10月にかけて手を加えて、改めて原稿用紙に書き写した。 数え年29歳の時だった。 作中の「私」の貧窮描写、「あの泥棒が羨ましい」といったセリフには、乱歩自身の当時の実態が反映していると言われる。 乱歩はこの二つの原稿を「当時、その方の親玉の様に思った」というに送ったが、半月ほどたっても返事がないため、憤懣やるかたない乱歩は、質問を箇条書きにした返信用の葉書を同封した「失礼千万な」封書を再送した。 しばらくすると馬場から丁重な返事が来た。 「の何回忌とかで長らく旅行中だった」との内容だった。 乱歩は「邪推をし過ぎて大しくじりだ。 なんともお詫びの仕様がない」とこのときの心境を大正15年に「探偵趣味」で述べている。 乱歩は後日大阪から上京した際に馬場を訪ね無礼を詫びたが、馬場は意に介していない様子で、乱歩も安心したという。 なにはともあれ原稿を返送してもらったが、再度馬場に見てくれとも言えず、「探偵小説の本舞台」と認める『新青年』のに返送料付きでこの原稿を送った。 「すぐに送り返してくるだろう、ざまあみろと思っていた」という。 返事はなかなか来ず、「目下原稿山積、急には読めない、『新青年』は翻訳物を主としているから日本人の書いた駄作なんて載せられない」というような葉書が来た。 癪に障った乱歩は「読む暇がないなら直ちに送り返してくれ、『新青年』が翻訳物専門くらいのことは百も承知だ、もし幸いにして外国作品の間に混ぜることができたらと思って送ったのだ、駄投書家と一緒にされておたまりこぼしがあるものか」と森下宛に返事を書いた。 乱歩のこの一文にあてられた森下は原稿を一読、その内容の斬新さに驚いた森下は返書で本作を次のように絶賛し、「新青年」掲載の旨を返答した。 『二錢銅貨』を拝見し、すっかり感心させられました。 『一枚の切符』も同様一気に拝見し、大変いい作品だと思いました。 正直なところ、『新青年』へ載せた外国物の二、三の作などより遙かにいいものだと存じます。 これだけの作ならば、無論、私の方へ掲載しても差支えありません」 これには乱歩も「入学試験に一番で合格したほどの喜びを感じ」、「流石に森下雨村眼があると、森下さん、ぐっと好きになった」と大喜びしたという。 さらに森下は探偵作家にも本作を見せたところ、小酒井もこれを激賞。 こうして本作は大正12年4月、『新青年』4月増刊号に掲載され、探偵作家江戸川乱歩デビューとなったのである。 評価 [ ] 『新青年』に本作が掲載されると、は本作に、次のような賛辞を添えた。 「日本にも外国作品に劣らぬ探偵小説が出なくてはならぬ。 私たちは常にこう云っていたのである。 が、俄然、そうした立派な作品が現れた。 真に外国の作品にも劣らない、いや、或る意味においては外国の作品よりも優れた長所を持った純然たる創作が生れたのである。 江戸川乱歩氏の作品がそれである」 またはこの小説について、次のように述べている。 「発表された彼の処女作ともいうべき『二錢銅貨』は、『あの泥棒が羨ましい。 二人のあいだにこんな言葉がかわされるほど、そのころは窮迫していた』という書き出しに始まる。 私は初めて『二錢銅貨』を読んだとき、この書き出しの素晴らしさに惹かれたものだった。 この一行の文章の中に、これから起る事件を読者に予想させ、しかも、端的に現在の状況を説明している。 小説の冒頭の巧みさは、このようなものでなければならない。 よく引例されるの短篇の冒頭にも匹敵するであろう」 収録作品 [ ] 新潮文庫 『江戸川乱歩傑作選』 ちくま文庫 『江戸川乱歩全短篇 1』 創元推理文庫 『日本探偵小説全集 2 江戸川乱歩集』 春陽文庫 『心理試験 他六編』 光文社文庫 『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者』 岩波文庫 『江戸川乱歩短篇集』 ほか多数。 改作版 [ ] 『二銭銅貨』 ポプラ社が発行した少年向けシリーズの『少年探偵・江戸川乱歩シリーズ37 暗黒星』に収録。 子供向けに翻案され、原作中の一人物がここでは「無名時代の」になっている。 が乱歩の原典を代作したもの。 同名の他作品 [ ]• 『二銭銅貨』 - による同名小説。 初出時の題名は『銅貨二銭』だった。 本作との関連はない。 脚注 [ ]• 夕刊: p. 1982年2月20日• 『あの作この作(楽屋噺)』(昭和4年7月)。 『芋虫』(岩谷書店、昭和25年)「あとがき」。 本文は「御冗談」だが、この「あとがき」など、乱歩はこれを「ご常談」と書いている。 「阿武野丸」(あぶのまる)の筆名で、昭和初期から時代劇探偵小説を書いている。 参考文献 [ ]• 『日本推理小説大系第2巻 江戸川乱歩集』(東都書房)による解説• 『江戸川乱歩傑作選』()による解説• 『江戸川乱歩全集第1巻 屋根裏の散歩者』(光文社文庫)乱歩「自作解説」• 『江戸川乱歩推理文庫 1 二銭銅貨』(講談社)による解説 関連項目 [ ]• - 本作と並び、江戸川乱歩の処女作品。 外部リンク [ ]•

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