艦これ 護衛空母とは。 改装護衛駆逐艦「Fletcher lg.ripley.cl」作戦開始! 編成例 RUR

軽空母の性能一覧と、育成艦のアドバイス | ぜかましねっと艦これ!

艦これ 護衛空母とは

こんばんは、真太郎です。 会からの代わりに国から原稿料が入ったのでこの金でネジを買ってこようと思います。 今回は軽空母の簡単な評価をしていこうと思います。 当然ですが僕の偏見が混じりますのでその点だけ注意してください。 偏見とはいえ、一応普段からイベントを限界まで軽空母を編成して攻略したりはしていますので、普通の人よりは軽空母に対する理解は深いと思います。 また キャラとしての評価を一切排した性能のみの評価です。 かなり厳しいことを書いていきますので、あらかじめご了承ください。 評価基準について 評価基準については、 ・低速艦はそれだけで大幅低評価 ・搭載数は大きいほど、またバランスがいいほど高評価 ・3スロ軽空母はそれだけで低評価 ・燃費は基本的に考慮しない 評価点は僕の感覚です 注意事項 ・一部近代化改修が終わっていない艦娘が登場するが、基本的に対空以外はMAX状態、MAXでない艦はステータス併記 ・可能な限り非ケッコン艦のスクショを使用するが、ケッコン艦しか持っていない艦の場合は非ケッコン耐久を併記 1. よっぽどの特効倍率が出ない限りイベントでは使わない。 火力が低く、スロットが少なく、回避も低いためこの艦が最適解となることはほぼない。 長所:高速、2スロ目が軽空母中最大 短所:3,4スロ目が貧弱 主な使い方:連合旗艦 総評:3. ただし下のスロットが非常に小さく、を積めないのが足を引っ張る。 に2スロットしか割けないため熟練クリティカルが弱くなり、また制空値も低くなる 3. 搭載数9は開幕火力こそないものの、ツ級さえいなければ全滅することはあまりない。 鳳翔に対する優位点は4スロなこと、火力がほんの少し高いこと。 祥鳳 未婚耐久:45 長所:高速 短所:それ以外 主な使い方:高速軽空母が必要なイベント序盤海域で札対策のための起用 総評:2. 使い方もとあまり変わらないが、こちらには高速のアドバンテージがある。 だいたいになる。 改二乙と比較するとまるい性能。 夜戦はこちらが有利。 こちらもたいていになる。 こちらの方が尖った性能をしているので、改二よりもハマるケースは多い。 ただし対潜火力はあまり高くない。 ただし大きいと言っても所詮18。 隼鷹 max対空:74 長所:ほぼ全て 短所:低速 最適解となる海域:低速可で軽空母が使える海域 総評: 4. 夜戦は軽空母最強。 飛鷹よりも更に上三スロットが大きいため熟練クリティカルも狙いやすい。 ただし低速のため、 始めたばかりでどの軽空母から育てるか考えている段階なら隼鷹に育成リソースを割くべきではない。 瑞鳳複数編成ができないため数合わせとして使いがち。 勿論数合わせにしては普通に強い。 スロットが小さすぎるためそこが懸念点。 第一スロットも小さいので熟練度がはがされやすい。 一応スロットの小ささと燃費の良さを生かして熟練度つけをさせることはできる。 また、改時点で改二にできることのほとんどが可能なため 正直カタパルトの価値はない。 神鷹 特徴:大鷹と同じ 長所:大鷹と同じ 短所:大鷹と同じ、大鷹よりも更に1スロ熟練クリティカルの恩恵を受けづらい 最適解となる海域:軽空母が編成できる対潜海域 総評:2. やはりカタパルトの価値はない。 なお大鷹と異なり最大搭載数が18のため、熟練度つけには向いていない。 鈴谷・熊野航改二 鈴谷未婚耐久:61 熊野未婚耐久:62 特徴:攻撃型軽空母 長所:ステータスが非常に高い 短所:スロット数が小さい 最適解となる海域:搭載数12が枯らされない海域 総評:3. 敵の撃墜が少ない海域では無双するが、対空の強い敵にはなすすべがない。 弱い者いじめ。 弱くはないのだが、イベントで使う機会はあまりないので図を使うのは後回しでいい。 Gambier Bay 特徴: 長所:一応 短所:それ以外 主な使い道:1-1での艦載機熟練度つけ要員 総評:1. 軽空母の育成手段については別の記事を書くつもりです。 終わりに ここまでお読みいただきありがとうございました。 ここはこうだろう、という点などありましたらコメント、もしくはまでお願いします。 それでは。 一応副砲を2本以上積むと連撃可能 : 瑞鳳でも同じことはできるが、他にも仕事があるため札対策で温存したい瑞鳳に比べ、基本的に大鷹型はこういう海域に特化しているので使いやすい : 尤も軽空母でやる必要はない : 詳しい説明は省くが、第一スロットは熟練度クリティカルシステムに他のスロットより強い影響を持つ : 詳しい説明は省くが、17機以下のスロットは制空権確保の際制空争いで撃墜されることがない。 ただし対空砲火を受けて落ちることはあるが、1-1の敵は対空砲火の撃墜数が0である : 水上潜水混在編成の時、 水上艦を優先して攻撃する。

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ガンビア・ベイ (護衛空母)

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『』においてが期待されている役割は、開始直後の攻撃によって、撃に敵艦隊の数を減らすことである。 敵がそこまで強な部隊編成でない場合、攻撃だけでさせてしまうこともある。 ……というのはの話であり、時間経過と共に『』のがッシュされ続けた結果、の役割も大きく変わり、は艦載機による攻撃よりもまず「制戦で打ち勝つことによって、相手の弾着観測攻撃を防ぐ」ことがの最大の役割とされ、結果としてキャーと揶揄されることもある。 ……というのもの話となった。 というのも、に艦載機熟練度が導入され、この熟練度による補正値はこれまでの艦載機のを大きく変えるほどのものだったからである。 詳細は各自で調べられたしだが、対人戦となるはともかく、今のところ艦載機熟練度を導入していない相手であれば、これまでより少ない艦戦で制戦をモノにすることが可となり、その分いたをどう使うか、が腕を振るう余地が広がったといえる。 のは当然ながら艦載機の種類と性・搭載数に左右され、初期値で、での搭載数を持つ正規「トレピッド」が、今のところ『』内ではのとされている。 一方欠点は、中破・大破の損を受けると戦でも艦載機を飛ばせなくなること(装甲である「」、「甲」、「甲」、「 M. なおでのは仮に参加可だとしても計算式の都合上極めて限定的な攻撃しか発揮できない。 ただ、上述のMや間要員を搭載したに間または間を搭載すると、でも安定した攻撃を発揮できる。 また、『』では、正規はへの攻撃ができない。 当初は、正規も軽も艦上でへの攻撃が可だったが、を考慮して正規に関しては外された。 軽にその機が残されているのは、大戦中に・軍が小の「護衛」を使って、による戦から輸送船団を守った戦訓を踏まえているものとされる。 の護衛?いえ、知らない子ですね……逆に、において敵に軽がいる場合は、を自軍に加えておけば撃戦において敵の攻撃を吸収させることができる。 『』において、は大きく分けて正規と軽に分類される(「」は前述の通り分類は装甲だが、実際の使用時には正規の扱いをされることが多い)。 史実上の分類とは事なり、『』ではあくまでも搭載機数で分けているらしく、史実では正規だった「」「」が軽に分類されている。 正規に対する軽のといえば、なんといっても燃費の良さであろう。 ・(航)は正規「」「」に近い搭載数を持ちながらローとあって、好んで使われる。 「」(まで)などは搭載数で劣るがその分更にローであり、3-2-1へのレベ出撃のお供・を必要とする長時間遠征での運用に最適。 特に「」はでも燃費が並で、のためにレベ・遠征でいつも「」を使っていたら、いつの間にかが上がりまくっていたということも少なくない。 対潜攻撃可という点はにもにもなる。 敵が隊ならは特にないのだが、敵艦隊に1隻だけが混じっているような場合、に攻撃が吸われてしまうことになる。 を撃沈させるか対潜値の高い艦載機を装備させるかしない限り、撃戦では全に戦外となってしまうのである。 軽にはから登場した2つの生した艦種がある。 1つは「攻撃軽」(、)で、こちらは艦との混成艦隊に対して艦を優先して攻撃する。 そのため、上で挙げたが全に解消されている。 もう1つが「護衛」に生する軽(大・同・同、・ベイ、、)で、こちらは対潜が可だったり輸送に編成可だったりするなど様々ながある。 要するに『』のは一艦一艦にがあるので、これを使いこなすの揮が試されていると言える。 その一方、を運用する専用艦であるは、これまでされていた「」「」はすることで最終的に軽となるところから、のまま運用されることはあまりなかった。 しかし、になり、「」「」、には「」、には「」、に「」と"にならない"がされた。 上の「」で毛色の違う「」はともかく、「」「」「」は立な戦になり得るであり、今後その運用方法が達によって開発されていくと思われる。 さらに、 なお、同じく艦載機を運用する「」は、「」は、「」はを参照。 また、の及びについては、それぞれの解説記事を参照されたし。 8年に「」が就役してからは、が「」「」で、二航戦が「」「」だった時代もある。 では開戦初期、を謳われた【機動部隊】のとして各を。 日事変における実戦と猛訓練を重ねたのの技量はとも言われ、実際にやで大戦果を出した。 しかし、その戦果と評判がを生み、の惨劇に繋がったことは巷間よく知られている。 また短期間ではあるが「」が所属していた時期もある。 なお、開戦時の=不時着機の救助役のとしては、の「」「」「潮」が所属していた。 ただし、珠湾には航続の関係では参加出来ず、代わりにの(「」「」「」「」)がその任務にあたっている。 機動部隊のもう一つのを担った、正規「」「」の所属する。 で両艦が戦没した後は、商船の「」「」および四航戦から移ってきた軽「」で再編された。 とともにのあるで、8年に「」が就役してが「」「」「」「」の4隻体制となったので、これを第一艦隊・第二艦隊・予備のローテーションで運用するために、第二艦隊所属ので編成されたのが最初。 に「」、14年に「」が就役すると、この準艦どうしでの編成となり、16年に第一艦隊(機動部隊)が組織されて配属。 開戦劈頭のを戦う。 なお、開戦時の=不時着機の救助役のとしては、の「」「」「」(未)が所属していたが、こちらも同様に航続の問題で珠湾には同行せず、代わりにとからなる(「」「」「」「」)を二戦から借用して同行させている。 開は多聞官の下で各地を転戦。 のに劣らぬ驚異的な技量を発揮し続けてきたが、で両艦とも戦没。 官も「」と運命を共にする。 残された「」と「」は輸送任務に使われた後、それぞれ佐世保とで、の終幕を見届けることになる(「」はの撃を受け大破、佐世保まで戻ったものの、のが出来なかったため、外洋に出られなくなった。 「」は襲により大破し、防台としてされた状態でを迎える)。 『』ではの「」や五航戦ののように、所属をで言うがいるが、二航戦の場合は「」の持ちとなっていて、大期の二航戦だった「」たちにはい。 その代わり、「」「」と「」は艦でないにもかかわらず、同じ(は別)によるかつ、艦載機を式として操るというで設定されており、これで3人が二航戦の同僚だったことを表していると思われる。 なお、後日された「」は二航戦所属だが、が式ではなくである。 これは二航戦としてはの一度しか戦ってないことと、艦が「」でひとくくりにされることから、を&と合わせたためだろうと思われる。 開戦時と最終時で、所属が大きく変化した。 開戦時は「」と「」が所属し、いったん解隊して再編成された時は、からへ装された「」「」が所属。 その後、へ転属していた「」が復帰し、後は「」も転属してきて、上最期のとしてを戦った。 11年から13年にかけては「」「香久丸」「丸」などの特設によって編成と解隊が繰り返され、日開戦の機運が高まりつつあった15年末、二線級扱いとなっていた「」「」の受け入れ場所のような形で再編。 なく「」は新編成の第四へ異動し、新たに潜艦からへ装された「」が所属して、この2艦でを迎える。 「」「」ともにへ出撃しているが、所属艦隊は別だった。 、機動部隊の再建で「」は所属となり、「」は内地で訓練艦とされる。 の「」と「」のが了すると、こので第三を再編成。 正規「」が就役してに配属されると、「」が再び三航戦所属に異動。 では、「」「」らの・部隊と行動を共にした。 で「」と「」が戦没し、が「」単独となったため、は新鋭の「」「」で再編し、「」は三航戦へ移る。 はこそ新鋭だが搭載するがく、かろうじて戦を残していた三航戦が、上最後の部隊だった。 、三航戦は最期の機動部隊としてへ出撃。 艦隊のテ湾突入を援護する囮艦隊として戦い、「」以下4隻は任務を全うしてした。 設定するならか。 しかし最期の三航戦で戦った「」「」「」「」のの(及び・)は、時の色でられている。 にはなくの色で、悲運の三航戦を表しているということだろう。 の開始の「」は通り三航戦役 特に のであり、同日に「」に及び『』がされた。 は純な強化に対して、は先にしていた「大」と同種の『護衛』に種別変更され、輸送に組み込めるとして重な存在になっている。 の後、「」は再編成された二航戦へ配属となったので、この時点で四航戦はいったん解隊。 次に編成されたのは、ミッドウェーの損失の埋めとしてへされた「」「」を配属した。 しかしとして運用するにはそれ用のを開発しなければならなかったが、戦局の悪化で遅々として進まず、には不参加。 艦齢年を数える低速・旧式ながら、官・の揮によって、の襲をほとんど損なくかわし切った逸話が有名(『』でのの対・回避・運の高さはここから)。 には、その格納へ資物資を詰め込んで、本土まで強行突破するを敢行。 的に成功をお、に帰投する。 しかし内地の資枯渇をまかなえるようなものではなく、なく燃料不足では浮き台化されることとなり、付けで四航戦は解隊となった。 そしてその後、「」「」は軍港襲によって大破着底し、としての生涯を終える。 「」にはこの関係のがいが、を転々としていた「」との兼ね合いもあるので、設定は難しかったか。 に「」にが、『装』として装いを新たにしており、正規に近い全通甲を装備するになっている。 開戦時の最新鋭大「」「」による。 初期編成時は、のとして「」と「」も所属していた。 ちなみに最初期(「」就役まで)は「」と「丸」、「」で構成されていた。 開戦直前の16年に「」、に「」が就役。 ただちに機動部隊(第一艦隊)へ配属され、のに間に合わせるべく急で訓練を課される。 このころ導部では、までの航続の問題から「」と五航戦のみによる出撃が検討されていて、なおさらの猛訓練となった。 結局は「」「」「」を含む6での全出撃となったが、・二航戦のからはヒヨッ子扱いされ、珠湾では攻撃をせずのみを担当(それでも命中率は凄まじかったが)することになり、からは「五航戦の連中と一緒にするな」のも聞かれた。 なお、開戦時の五航戦の部隊はの「」との「」だったが、このうち「」は珠湾には航続の関係で未参加となり、「」のみが同行していた。 洋のの後、南方面へ転戦してを戦う。 ここで「」が中破したので五航戦は内地へ後退してには不参加。 そのミッドウェーでを失ったのたちが、再編へ横滑りした五航戦のをにして戦うことになるのは、皮としか言い様がない。 「」「」ともへ転属となったので、五航戦はこれをもって解隊。 実のところ五航戦が存在したのは、16年から年までの10ヶ間にすぎず、は所属の方がに長い。 「」も加えた新生では第戦とを戦ったが、戦のたびに戦を消耗。 「い号」と「ろ号」では艦載機とをへ転用され、特には投入した隊の機体7割・を失うという惨憺たる結果に終わり、機動部隊再建失敗の致命傷となった。 そして「」と「」は、の攻撃によって戦没。 一の残存艦となった「」は三航戦へ移籍し、を施されての囮任務へ出撃する。 『』でのは、初期所属の五航戦として登場。 「」はになると、テ時の色に変化する。 に、「」「」に相次いで""および"甲"がされた。 特に"甲"は後発の「」のに準じる装甲化であり、また「」がテの柄から元のに戻っているところからも、「ナ・テを生き延びて最新技術による化装を受けた」というめいたといえる。 の「」では「」にともうべき具足姿が(・甲のみ)。 正に同の役ともうべき装いになった。 第十一は、いわゆるではなく、によって編成されたである。 なお、のは、一桁が、十が、二十が軍の基地隊によるもの、が訓練部隊となっており、十より前に10のがあるわけではない。 ただし、そうなったのはに入ってからであり、実際にこのによるも、開は第七で、開戦にあたっての再編に伴って第十一に称した。 (同様に六航戦も十二航戦に称している) 体となった七航戦は、その時最新鋭だったの「」と「」によって編成された。 直後にに出撃したが、各はへの関心が高く、では「」も「」もを撮られまくった、という逸話が残っている。 なお、「」の同艦である「」は、時代はのに所属はしていない。 の開、七航戦から称した十は四航戦と共に方面の部隊に配置されていたが、42年にを終わり回航中だった「」が敵による撃で沈、における""としては初の喪失となる。 そして残された「」は同年のに参加したが、これが十の最後の活動となった。 同戦で正規4隻を失った軍は、「」と「」のへの装を決定。 そして両艦は三航戦に異動となり、所属艦のいなくなった十は解隊となった。 『』において、「」は「」と共にやとなってからの活躍の方がされる傾向が長く続き、「」だけが所属していた十のことはほとんど触れられることがなかったが、で「」がされ、そのに「」と十について触れているものがある。 第二四は、に配属されたである。 と呼ばれていたこの部隊は、で活動していた乗りを軸としており、には長けていたがの着艦経験には乏しかった。 前の11年に、第十一艦隊所属の第二四に称し、開は攻撃や方面のに参加する。 そんな第二四に所属していたのが、に装後の「」であった。 「」は前述の通り初期の三航戦に所属していたが、その後の再編や「」のへの装によって、所属が変わっていたのである。 とは言っても、としてを発揮することもく、ほぼ輸送船団の護衛任務や、時としては輸送船としての任務に明け暮れ、そして、輸送任務の途中、で襲に遭って大破着底、そのままを迎えることになる。 「」にとって、の名は、あるいはお飾りに過ぎなかったのかも知れない。 で建造されていた3隻の貨客船「丸」「丸」「丸」、の「」は、建造中に軍に徴用され、へと装された。 同様の経緯を辿った「丸」「橿原丸」(「」「」)とは異なり、艦体が小だったこととが客船のままでが出せなかったことから、に装されたとはいえとして機動艦隊を率いることもなく、に輸送任務に就くことになる(「丸」は一時「」と共に五航戦に、次いで「」と共に四航戦に所属していたが、あくまでも名簿上のみで実際のには参加していない)。 後にそれぞれ「大」「」「」「」と名を変えても、やはり輸送任務に就くことが多かった3隻は、最終的に少しとはいえ艦載機を載せられることから、上護衛総隊に編成され、輸送船団の護衛任務を果たすことになり、そして「大」「」「」はの撃によってに沈んでいき、「」は大襲で大破着底することになる。 一方、船籍の客船「」は戦線が開戦し帰できなくなったため、にされていたが、ミッドウェーでを失ったが購入(一説ではで建造中だったを購入しようとしたが、それを断る代わりにを売りつけられたとも)し、「」に装したが、こちらもとして使うには物足りない性で、結局上護衛総隊へ配属されることになるが、やはりこちらもの餌食となってしまった。 ではまず「丸」(「大」)がのにてされ、続いてので「」がされた。 「丸」は最初ので名前のみならず艦種も分類上は「軽」だがその中でも特殊な「対潜護衛」に変化し、史実通りにの輸送護衛部隊で第一艦隊に編成できるようになる、という特殊を持つようになる。 なお、「」は当初からこのとなっている。 「」は、そうした中で一、へ間に合わせられた正規だった。 の欠点とされた、飛行甲の防御の弱さをする装甲を施した「」は、次世代ののとも言うべき艦となった。 という点では、実際の軍が量産を図った正規はだったが、・であるは以前の並みの防御しか持っておらず、さらに機体が大化した「」や「」などの新機を運用出来なかったのではないかと言われており、実戦投入ということを考えれば、やはり「」が量産できれば最も望ましかっただろう。 しかし「」は艦こそ会戦に間に合わせられたものの、その艦載機とは間に合ったと言い難かった。 「ろ号」にとして投入された・二航戦隊の大消耗は致命的で、数字上は機動部隊をも上回る戦を持ちながら、その実態はべるべくもかった。 加えて「」は、「」(3年8ヶ)並みの艦体を持ちながら「」「」(3年)より短い工期で就役(2年8ヶ)に漕ぎ着けており、どこかで急造の理が隠れていたというのは想像に難くない。 そしてに出撃した「」は、たった一本のでその短い生涯を閉じることになる。 この手のでしばしば問題となる「」の搭載機数の少なさだが、一般的にの搭載機数として知られている数値は大期の大機で換算されたものである。 における搭載機数は基本的に大戦初期の小機を元に換算されているためこれより増加し、更に本人が内で言及している通り露駐機をした結果では並の搭載機数を得た。 正規でに強い艦ではあるが、搭載数やなど個々ので見ればを上回るを持つ既存は他にもいるため一長一短である。 自身も装甲だけあって装甲が厚い代わりに回避が格段に低いという弱点を抱えており、敵のがしてくる域後半などでは使いにくくなるという欠点もある。 の大の最終が「」だとすると、中のそれはと言えよう。 設計時点では「中途半端」と言われており、的に一隻のみ建造する予定だったが、ミッドウェーで正規を一気に四隻失うに、急遽大量建造が決まったが、やはり理は出来ないもので、結局したのは「」「」「」の3隻のみとなった。 そしてその3隻すらも、にもにも間に合わなかった。 結局、「」は特攻「」の輸送任務に駆り出され、そしてそれすら遂できずに敵の撃で短い生涯を閉じる。 「」「」は、所属こそであったが、に出ることすらわず、敵に対して艦載機を発艦させることも経験しないまま、最後は軍港に繋がれたまま、「」は襲によって横転、沈没と、としてはに寂しい最後を迎えることになる。 後、まだ動くことは出来た「」は、最大規模の復員船として、5万人近くをへと帰還させるという最初で最後の大を遂させ、このの後始末を付けた。 このように戦うことすら出来なかっただが、『』ではで「」、同年で「」、で「」と、順番に三隻全てがされた。 いずれも「」にするには装設計図が要されるが、時に持ってくる艦載機は高性な「六〇一」のド機である。 ただ、的な存在である「」「」の勢と較すると流石にが否めない。 利点としては、共々正規では最も燃費が良い点で、現状では「硬い軽」のような扱いが多い模様である。 また、「実戦を体験できなかったを、今度こそ戦わせてあげられる」ことにを感じるのも良いかも知れない。 補遺-着艦識別文字 、からを見ると、に棒が浮かんでいるようにしか見えないわけで、現代のように電子機器が発達しているわけでもない当時は、そのが何なのかはで確るしかない状態である。 そのため、の甲には、「着艦識別」と呼ばれる、そのを表すが大きく書かれていた艦もあった。 にもそのは取り込まれている。 登場のの着艦識別は以下の通り。 名 着艦識別 上の表示位置 ア 前垂れ、飛行甲 カ 前垂れ 、飛行甲 サ なし ヒ 前垂れ 、飛行甲 シ 胴着 、飛行甲 ス 胴着 、飛行甲 タ なし ひ なし じ なし づほ の裾。 のみ ちと からくりボックス。 航以降 ちよ からくりボックス。 のに「サ」のがないのは、現代では史実のには甲に着艦識別が書かれなかったという説が有なため。 他の「なし」の艦も同様。 装であるの甲にも「いせ」 「せ」のは小さい のが付いた またこれ以外にも、誤って敵に着艦しかけてしまう事件が起こって以来、識別のために飛行甲に大きなを描いていたのだが、ミッドウェーでは逆にこれが立ちすぎて敵艦爆の的になってしまった、という反省から、その後は描かれなくなった。 にを転じると、を量産していたも同じような悩みを抱えていたようで、同艦のには「L」、には「」と甲に書いていた。 ただ、これは初期の頃だけで、後には綺麗に塗りつぶしてしまい、またそれ以降に建造された級、では最初から書いていない。 関連項目• や域において、敵方のは破状態でも撃戦に参加してくる。 (ので味方のと同じになるように修正された。 )また、域において「」(通称:フラ)及びそれよりも格上ののみがでも撃可だったが、になって待望の可なであるが、には同じく可ながされた(ただし、は装すると不可。 しかし、Mk. まですれば再び可となる)。 は潜艦「」として工した後にに装された。 にされた「」は、史実のが「」の装であったことをにされた。 自体はも未であるが、実紹介のの方次第ではの可性も否定できなくなってきた。

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ガンビア・ベイ (護衛空母)

艦これ 護衛空母とは

アメリカ海軍護衛空母「」 護衛空母(ごえいくうぼ、Escort carrier)は、において米国・英国・日本の3カ国で運用された小型・低速のである。 主にの目的に使われた。 主に商船からの改造、あるいは商船から船体図面を流用しており、正規空母のような防御力は付与されておらず、機関出力も少なく、武装も少ない。 また、格納庫も飛行甲板も狭く短いため、搭載・運用する飛行機に一定の制限があった。 また、十分な格納庫を持った専用設計の護衛空母が登場すると、運用可能な機体数も軽空母に匹敵するようになり、大きく打撃力を向上させるに至った。 また、特に米国において、規格化された輸送船を一気に空母転用することや()、とを組み合わせ大量に新造する(特に)など、短期間に大量に建造された点も特徴である。 太平洋戦線においては、大戦中期のとの就役に加え、この良質な護衛空母の大量建艦により、どん底にあった米国の空母不足は補われた。 太平洋戦線において重要作戦中の連合国の艦隊や上陸部隊は、多くが護衛空母の艦載機によって濃密な対空・対潜水艦防御が提供されるようになり、上陸作戦における空の支援にも、護衛空母艦載機が加わった。 このため、米国の太平洋戦線における勝利に重大な貢献を果たした艦種と言われる。 また、大西洋戦線においても、に基づく物資輸送船団や通商船団に、・に代わって護衛空母が随伴し、空母艦載機による対空防御・対潜水艦防御、さらにはドイツ潜水艦に対する抑止力を提供した。 特に船団の護衛体制が強化された1943年中期以降からは、連合国商船の喪失は激減し、イギリス本国の生命線守備に重大な貢献を果たした。 第二次世界大戦を生き抜いた護衛空母のうち、一部はモスボール保管ののち朝鮮戦争に動員された。 商船改造の護衛空母のうち、ロングアイランドとチャージャーは元の海運会社に買い戻され、貨物船に復元され活躍した。 カサブランカ級やの一部はヘリコプター護衛空母や強襲揚陸艦、雑役艦などに改造され、70年代まで現役であった。 このように、第二次世界大戦において重大な役割を担った護衛空母だが、第二次世界大戦後の新しい戦争の形態のなかで、護衛空母の存在価値は失われ、今日、護衛空母という艦種を運用している海軍は無い。 カサブランカ級護衛空母「」。 飛行甲板前部左舷側に油圧式カタパルトの溝が確認できる。 そこで、は商船にを装備して使い捨ての旧式による護送を行った()。 そして、さらに効率的に護送する目的で、1940年頃からイギリス海軍と(当時のは)は、この空の隙間を埋めるため、大型の商船を改造し短いからカタパルトを装備することで航空機を発艦させることのできる小型改装空母を多数建造し、これを対潜哨戒の船団護送に用いる案が検討され始めた。 商船船体を基にした、小型で安価な空母を多数整備することにより、多くの船団に対し、潜水艦に対して必要な防衛力を備えさせることが目的であった。 この案が護衛空母として結実することとなる。 最初の護衛空母はイギリス海軍の「」である。 拿捕したドイツ貨客船「ハノーファー」を1941年1月から改装し、6月に就役した。 アメリカ海軍初の護衛空母は「」であり、竣工は1941年6月である。 開戦の後は、これら護衛空母は太平洋戦線でも活躍することになり、空母の分類として「護衛空母(escort aircraft carrier)」という艦種が誕生した。 戦歴 [ ] アメリカ海軍では最初、補助的な艦船として扱われていたが、大戦初期に大西洋に展開していたドイツ海軍のUボートを壊滅させるために多数建造された。 護衛空母の任務は、現地での掃討や、パトロール、偵察、輸送船などの護送、そして航空機の輸送などである。 イギリスの要請により、され、イギリス海軍にされた。 戦争中に100隻以上の護衛空母が就役したが、現在ではこの種類の艦船は使用されていない。 太平洋戦争では、上陸作戦における対地支援任務にもつき、の上陸作戦に続く、の中のにも加わっている。 護衛空母6隻を中心とするクリフトン・スプレイグ少将の艦隊は、に突入しアメリカ地上部隊の壊滅を意図する長官の主力艦隊と遭遇し、果敢な戦闘を行った。 構造 [ ] アメリカ海軍における護衛空母の艦種コードは CVEである。 これは空母を表す CVに護送 Escort の頭文字を付加したものであるが、乗員達からは、自嘲的に燃え易い Combustible 、壊れ易い Vulnerable 、消耗品 Expendable の頭文字と揶揄されていた。 通称として「 空母」、「 赤ちゃん空母」と呼ばれた。 これは簡単な改造で多数の商船改造空母を送り出すことを目的としたアメリカ海軍の方針によるもので、後述するの護衛空母建造方針とは対極に位置するものである。 典型的な護衛空母の大きさは、全長150mぐらいであり、同時代のの270mに比べて、約半分である。 速力も20ノット未満で、カサブランカ級は機関にではなくを用いた。 アメリカ・イギリス海軍で運用された護衛空母は油圧カタパルトを装備しており、短い飛行甲板と低速でありながらも船団護送には十分な航空戦力の運用能力があった。 搭載機数は初期には20機前後、大戦末期のものでは30機から40機に達した。 アメリカ海軍ではの配備後にもの採用や軽量化など、護衛空母での取り扱いを考慮した改造を要求している。 アメリカ海軍の護衛空母 [ ]• イギリス海軍の護衛空母 [ ]• 日本海軍の護衛空母 [ ] では、当時のにアメリカほどの造艦能力がなかったため、同一艦型で多数が造艦される護衛空母は存在しない。 民間商船をが護衛空母に近い艦種と言える。 これは当初は正規の航空母艦の補助としてが主戦力として使用することを意図したもので、英米の護衛空母に比べると本格的なものであった。 しかし特に優速で船体も大型・甲板長があった2隻を除くと、速力が遅く小型なことは否めず艦隊行動は行えず、カタパルトも装備していなかったために、艦載機の運用に関して種類・量ともに多くの制限があった。 日本海軍は特設空母以外にもを改造し発艦能力のみを持たせた類似のを完成させ、後継として同様の形態を持つも計画しているが、これらの艦艇も飽くまでも船団護送ではなく艦隊随行の給油艦兼正規の航空母艦の補助戦力として位置づけられていたものであった。 また、からはに全通飛行甲板を架装し簡易な空母とする建造の提案を受けているが、終戦までに僅かに2隻が竣工したのみであった。 なお、日本海軍は特TL型も前述の艦艇同様に正規の航空母艦の補助として運用する意図を持っており、陸軍よりも優速の船舶の提供を受けている。 その後、特設空母は英米同様の船団護送の強化の目的でに移管された。 海上護衛船団司令部に移管された特設空母は、米英の護衛空母と同じように船団護衛に参加し、旧式のなどで対潜哨戒を行った。 船団護送に特設空母を用いる際の運用については、次のような指摘が残されている。 にて潜水艦の雷撃で喪失した「」は、その戦闘詳報において「海防艦を増備し敵潜水艦を制圧する『掃蕩隊』の新設」「航空機による前路哨戒は是非とも必要であるため、各航路の航空基地を増備強化して勢力の増大を計り、護衛空母は廃止するを認む」「護衛艦の増加が無理だとしても、空母が船団と同速力にて運動するのは最も不可である」「高速力を持って船団の後方をバリカン運動を行いながら続航する必要がある」といった提言を残している。 また、アメリカ海軍太平洋艦隊潜水艦部隊の司令官であったも「・・から船団護衛機を出したほうが経済的で安全であるのにもかかわらず、この措置にでたことは不思議である」「護衛空母は、物資及び航空機の輸送に専念させたほうが有利であると思われる」という意見を残している。 日本海軍は米英に倣って特設空母を船団護衛に用いたが、特設空母の随伴や船団を直接護衛する・等の護衛艦艇の不足、やの不備、搭載機の対潜能力や練度の不十分さなどの問題が多かった。 海上護衛船団司令部に配備された特設空母4隻はそれぞれ数度にわたって重要な輸送船団の護衛に従事し、護衛艦艇と協力して幾度か敵潜水艦撃沈を報告したが、アメリカ海軍側の資料では該当するものはいずれも存在していない。 逆に潜水艦の雷撃を受け3隻が沈没し、終戦まで残存していたのは海鷹1隻のみであった。 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。 を護衛中、潜水艦「」の攻撃を受け戦没。 海上護衛船団司令部への移管前、潜水艦「」の攻撃を受け戦没。 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。 を護衛中、潜水艦「」の攻撃を受け戦没。 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。 その後訓練目標艦として行動し、艦載機の攻撃を受け大破擱座。 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。 を護衛中、潜水艦「」の攻撃を受け戦没。 海軍以外の所属として、以下のものも整備された。 ()に空母としての機能を追加したもの。 ヒ81船団に輸送船として参加中、潜水艦「」の攻撃を受け戦没。 () 商船を改装し空母としたものであるが、徴用船ではなくMACシップ同様に民間人運用である。 海軍は「」、陸軍は「」の配当を受けたが、いずれも本来任務に就く事の無いまま空襲で喪われた。 脚注 [ ]• 49-51『七. 一 戦訓』• 『海上護衛戦の本格化 護衛空母による護衛』 378-383頁 参考文献 [ ]• C08030583700『昭和19年4月1日~昭和19年9月17日 軍艦雲鷹戦時日誌 3 』。 戦史室編『戦史叢書46 海上護衛戦』、1971年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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