美和ホールディングス 美々卯。 コロナ便乗解雇か、「美々卯」一斉閉店の深層

美和ホールディングス

美和ホールディングス 美々卯

従業員は2400人ほどで、実際に訪問営業しているほとんどの人は契約社員です。 コロナ禍で過密を避けるため、需要増が見込まれる分野にもかかわらず、契約社員は緊急事態宣言による営業自粛で賃金減となりました。 契約社員の賃金は基本賃金が20万円に対し、業績手当が20万円と大きな比重をしめています。 営業できなければ、基本賃金だけでは手取り12万~13万円になり、休業手当の最低限度6割支給なら、10万円を下回ります。 4月20日、JMITU(日本金属製造情報通信労働組合)通信本部は、過去1年間の平均にもとづきぐ業績手当を含めた賃金を補償するよう要求。 会社は5月、基本賃金は全額支払い、営業手当は昨年平均の50%を出すと回答しました。 JMITU通信本部は、営業手当の平均額である20万円を全員一律に最低限補償し、業績の高い人は80%に引き上げるよう求めています。 全労連・全国一般労働組合東京地本は5月22日、厚生労働省で会見し、5月20日に不当解雇の撤回を求め、東京都労働委員会に不当労働行為救済を申し立てたと発表した。 会社は4月19日、東京の従業員を集め、組合への事前協議もなく5月20日に関東の全店を閉鎖すると発表。 組合は撤回をもとめたが、5月19日の団体交渉で、「退職合意書」にサインしなかった組合員に対しても解雇通知をした。 支店長をつとめる男性は、「愛されてきた美々卯の味と文化を引き継いで頑張ってきた。 国の支援制度などを使って事業を継続してほしい」と発言。 退職合意のサインをしていないのに解雇された男性は、「(自社ビル)の京橋店を残して営業するなど話し合いもなく終わってしまうのは悔しい」と話した。 美々卯サイトの閉店案内には「東京美々卯グループは無借金経営を続けています」と掲載している。 全労連・全国一般東京地本合同労組の梶哲宏委員長は、「美々卯は、株式を所有している美和ホールディングスに預かり金もあり、十分に事業継続できると強調。 佐々木亮弁護士は、「解雇の必要性や回避努力、組合との協議など、整理解雇の4要件がチェックされる必要がある」と指摘した。 金子社長は組合の求めに応じて、雇用調整助成金の準備にはいった。 自交総連・目黒自動車交通労働組合とKPU目黒自交ユニオンが共同で会社と団体交渉を実施。 金子健作社長は、退職強要を拒否した労働者は継続しており、「解雇と言ったとすれば撤回する」と述べ、「退職合意書」撤回にも応じると明言しました。 自公総連は、雇用調整助成金とタクシー厩舎を支援する「期間限定特例休車」を活用して休業補償をしながら雇用を守るよう要求していました。 富士そばの千葉県の店舗で、調理や接客のパートをしている岸本優さん(52)は、朝7時~午後3時の8時間勤務を週5日、40時間働き、月収が17万~18万円でした。 2月末にシフト減で平日4時間、土日6時間の勤務となり収入は月10万円を下回る見込みで、今後は平日勤務がなくなるという話も出ていました。 4月14日、ユニオンに加入し雇用調整助成金を活用してシフトカット分の賃金全額補償を求めたところ、会社は補償すると回答しました。

次の

コロナ便乗解雇か、「美々卯」一斉閉店の深層

美和ホールディングス 美々卯

だが、なかには資産が十分あるのに、なぜか事業を閉じる会社もある。 5月20日、都内全6店閉店に踏み切った東京美々卯もその一例だ。 路頭に投げ出された従業員は「不当解雇だ」と怒る。 「コロナ便乗解雇」の深層を追った。 (ジャーナリスト 北 健一) 常連客からは 閉店を惜しむ声 うどんすきの名店として知られる東京美々卯(本社=中央区京橋、佐藤俊三社長)は、1973年、泉州・堺の料亭にルーツを持つ美々卯(本社=大阪市中央区、薩摩和男社長)からのれん分けする形で設立。 京橋店を中心に東京圏に6店を構え、多くの客に愛されてきた。 京橋で生まれ育った日枝神社御坊講講元の木下茂さん(72)は「町会の忘年会、新年会、お祭りの決起集会で必ず使ってきました。 おいしいし胃もたれしない」と振り返る。 うどんすきの味の秘密は、北海道産の利尻昆布、土佐清水産の宗太鰹節、枕崎産の本枯節から2時間かけてとった出汁(だし)にある。 京橋店には少人数の部屋もあれば、50~60人でも入れる。 法事にもよく使われていました。 やめるって理由がわからない」と木下さんは話す。 近所のイベント会場で働く男性も、「食べたことあるけど、やっぱりいい。 土日もお客さんが多かったし、銀座で働く女性も仕事前の同伴でよく来ていました。 さすがに4月は客足が遠のいたけど、これだけの店がそんな簡単にやめるとは……」と残念がる。 無借金経営なのに 突然の会社解散 老舗の名店でも経営が行き詰まってつぶれることはある。 ましてコロナ禍の下なら仕方がない。 そう思われがちだが、筆者が入手した2019(令和元)年8月31日時点の貸借対照表によると、東京美々卯は無借金であり純資産は7億8691万円に上る。 19年8月期は、新橋店、渋谷マークシティ店の閉店による売り上げ減、固定資産除去損もあって約1. 6億円の経常赤字に沈んだが、2店の閉店で既存店売り上げが伸び、池袋店も2年目で1000万円の営業利益を出すなど本業は順調だった。 新型コロナ感染症が広がると、テナントに入っていた百貨店内の店が休業を余儀なくされるなど売り上げは大きく落ち込んだが、手元資金はまだ残っていた。 ところが同社は緊急事態宣言が解除される直前の5月20日、突然全6店を閉めた。 約200人の従業員は退職同意書にサインを迫られ、応じなかった人は解雇された。 会社解散について東京美々卯は、「資金があるうちに会社を解散し清算をしたほうが、各方面への影響が少ないと判断し、(今年)4月15日の取締役会にて正式に決定した」「現時点では、非常(ママ)事態宣言の解除の見通しが立たない」などと、同社は解散理由を説明する(5月27日付、従業員組合<全国一般東京地本・一般合同労組加盟>に出した佐藤社長名の文書)。 だが、従業員らの記憶は、会社の説明と少し違う。 「清算」の方向が打ち出されたのは4月16日朝の店次長向け説明会だった。 A取締役が「いつ沈む船かわからないから、社員は5月20日をもって下船していただく」と事業終了を説明。 「これは英断なのか」という店長からの質問にA取締役は、「誰もわからない、英断なのか愚策なのか」「正直なところ(東京美々卯の)役員3人とも納得いっていない」と、取締役会決定の翌日にもかかわらず迷いも口にした、という。 のれん分け後も残る 「本家」の影響力 東京美々卯の役員は佐藤社長を含め3人だ。 取締役全員が「納得いっていない」のなら、なぜ会社をたたむことになったのか。 従業員らによると、説明会の10日前、4月6日午後に開かれた臨時店長会にそのヒントがあるという。 A取締役が、テナントで入っている店の休業で資金繰りが厳しいこと、百貨店などに家賃減免交渉をしていることなどを報告した上、こんな事実を明かした。 「薩摩社長から、『今後の東京美々卯はどうなんだ。 6月末で京橋の賃借契約切れるよね。 この際、会社清算したほうがいいんじゃないか』と言われた」 薩摩社長というのは、大阪にある美々卯の社長、薩摩和男氏のことだ。 京橋店の土地は美々卯社長の薩摩氏が経営する不動産管理会社、美和ホールディングスの所有で、「東京美々卯は、月の売り上げの17%の家賃を毎月払っていました。 その最低額が500万円でした」とある店長は説明する。 賃借料が売り上げに連動するのはめずらしい。 東京美々卯はそのほか、技術指導料も払っている(19年8月期には年880万円)。 美々卯と東京美々卯は毎月会議を開いており、美々卯のホームページの「店舗のご案内」コーナーには、美々卯が直営する大阪16店、中部1店と区別なく、東京美々卯が運営する東京圏の6店も載っていた。 また、東京美々卯の株式の43. 6%は美々卯が所有している(19年8月期の決算資料による)。 こうした事情を総合すると、東京美々卯は「のれん分け」後も、美々卯の子会社ないし一部門に近い位置づけだったように見える。 そうだとすれば、清算を促す薩摩氏の「天の声」に、東京美々卯役員たちがあらがい難かったこともうなずける。 従業員組合は、解雇撤回と営業再開を求め、東京美々卯だけでなく「親会社格」の美々卯にも団体交渉を申し込んだ。 すると美々卯は、5月27日付文書で返事を出し、「この度の解散」は「新型コロナウイルスによる業績の落ち込みを受けて、手元資金がある間に閉店するという決定を東京の経営陣だけで協議して行ったものであり、美々卯は、かかる東京の決定を事後承諾したにすぎません」と説明した。 組合は解雇撤回などを求め東京都労働委員会に救済申し立てを行い、近く提訴も予定している。 取材に対し東京美々卯は、「当社が無借金で手元資金も残っていたのは事実だが、コロナの影響で売り上げが落ち込み、先行きも見通せなかった。 当社と美々卯とは、グループと言われればそうかもしれないが別法人。 会社清算は当社が決めたことで、薩摩さんに言われたからではない」と話した。 社員や顧客の声は 薩摩社長に届くのか ある店長は、社内会議での会話が忘れられない。 「『予算がなぜ未達か』と詰められた店長が『頑張ります!』と答えたら、薩摩社長が言ったんです。 『頑張るって何なの』。 (経営)数字の人なんですよ」 東大卒ということもあり「数字重視」の経営者というイメージが強いが、薩摩氏には別の顔もある。 うどんすきは同社の登録商標だったが、他社に勝手に使われた。 美々卯は裁判を起こすが、最高裁で敗訴する。 「うどんすきはすでに一般名詞化している」というのが敗訴判決の理由だった。 この時、薩摩氏は、従業員を集めてこう言った。 「祖父が考案したメニューが普通名詞になるまで広まったと最高裁が認めてくれた。 料理人としてこれほど名誉なこともない」(『バイオRadio! 』2011年9月11日放送での薩摩氏の話による) 東京美々卯の役員(当時)が「私、会長(当時、薩摩氏は東京美々卯会長を兼任)より美々卯が好きかも」と言うと、薩摩氏はこう返した。 「私にとって美々卯は、好きか嫌いかじゃない。 自分自身が美々卯だから」 私が現場を訪ねた日、京橋店前にトラックが止まっていた。 「機械を持ち出すんですか」と尋ねると、運転手は「いや、そば粉です」と答え、しばらくして大きな袋に入ったそば粉を台車で運び出した。 機械も調理場も、今も変わらずあるという。 都内の店長だった男性(44)は「望むのは店の再開です。 ほかに技術を生かせるいい仕事はなかなかないですし、美々卯の仕事には誇りがあったし」。 別の店でホール主任をしていた女性(21)は「仕事は楽しかったです。 いろんなことを学べて。 借り上げ寮に住んでいるのですが7月20日までに出なければならないと言われています。 仕事も収入も住むところもなくなったら、生活ができないので不安です」と話す。 常連客だった木下さん(前出)は閉店直前にも京橋店に行った。 閉店を惜しんで、たくさんの客が詰めかけていた。 「みんな思ってるんじゃない、『何で(閉店したの)』と。 もちろん、再開されたらありがたいよ」 こうした従業員や顧客の声を、薩摩氏はどう受け止めているのだろうか。 訂正 記事初出時より、次の通り訂正しました。 1~4階が客席、5階が事務所、6~8階が社員寮。 さらに地下の1・2階で出汁をつくりそばを製粉するなど、東京6店のセンター的機能を果たしてきた。 一帯を歩いてみると、アパホテルや警察博物館(PRセンター)など新しい建物だけでなく美々卯京橋店や行列のできるアジフライ屋、画廊などもあり風情を感じる。 実はこのあたりには再開発の計画がある。 「2年ほど前から地権者が集まって、再開発の話がされてきた。 デベロッパーは豊富な実績を持つT社だ」と地元事情通は話す。 不動産登記簿によると、確かにT社は周辺の土地を少しずつ買い進めている。 中央区内の街づくりにも関わる中央区労働組合協議会の椎葉紀男議長は、東京美々卯の佐藤社長を板前時代から知っていた。 「アベノミクスで中央区が特区にすっぽり入ったこともあり、東京駅周辺は再開発ラッシュです」と説明し、「美々卯の急な閉店も再開発絡みではないでしょうか」との見方を示す。 都心の再開発で立ち退きとなれば、営業権を持つ店には多額の立ち退き料等が払われる。 突然の閉店に、そんな疑念を抱く関係者もいる。 だが、創業から数えると12代目になるという薩摩氏には、代々続く老舗の血が流れてもいる。 」 (2020年7月2日18:00 ダイヤモンド編集部).

次の

会社情報

美和ホールディングス 美々卯

「うどんすき」で知られる「麺類日本料理 美々卯(みみう)」(本店・大阪市)は、新型コロナウイルス感染拡大を口実に、関東6店舗を営業する「東京美々卯」を全店閉店・会社解散させ、約100人の従業員を解雇しました。 全労連・全国一般労働組合東京地本は2020年5月22日、厚労省で会見し、不当解雇の撤回を求め、東京都労働委員会に不当労働行為救済を申し立てた(20日)と発表しました。 会社は4月19日、東京の従業員を集め、組合への事前協議もなく5月20日に関東の全店舗を閉鎖すると発表。 組合は撤回を求めましたが、5月19日の団体交渉で、「退職合意書」にサインをしなかった組合員に対しても解雇を通知しました。 支店長をつとめる男性(44)は、「愛されてきた美々卯の味と文化を引き継いで頑張ってきた。 国の支援制度などを使って、事業を継続してほしい」と発言。 退職合意のサインをしていないのに解雇された男性(51)は、「(自社ビルの)京橋店を残して営業するなど話し合いもなく終わってしまうのは悔しい」と述べました。 美々卯ホームページの閉店案内には、「東京美々卯及び美々卯グループは無借金経営を続けています」と記載。 全労連・全国一般東京地本一般合同労組の梶哲宏委員長は、「美々卯は、株式を所有している美和ホールディングスに預かり金もあり、十分に事業継続できる」と強調。 佐々木亮弁護士は、「解雇の必要性や回避努力、組合との協議など整理解雇の4要件がチェックされる必要がある」と指摘しました。 [写真] 会見する美々卯で働く全労連・全国一般の組合員=22日、厚労省内 しんぶん赤旗、 2020年5月23日(土) コロナ口実 不当解雇 東京美々卯 労組、救済申し立て 「うどんすき」の名店「麺類日本料理 美々卯(みみう)」(本店・大阪市)が、新型コロナウイルス感染拡大を口実に、関東6店を営業する「東京美々卯」の全店閉鎖・会社解散を発表し、従業員100人を解雇しました。 従業員を組織する全労連・全国一般労働組合東京地本は、「ファンを裏切るな。 労働者の生活を守れ」と解雇撤回・事業継続を求めています。 美々卯は200年の老舗で、鍋料理「うどんすき」を1928年に考案。 「大阪の味」として、東京でも1973年の進出以来、愛されてきました。 東京美々卯は4月19日、京橋店(東京都中央区)に従業員を集め、5月20日の関東6店舗閉鎖を発表。 個別面談で「退職合意書」へのサインを迫りました。 店舗のひとつで店長をしていた男性(51)は、「仕込みなどで1日4時間しか寝られないなか頑張ってきた。 オーナーから手を差し伸べてほしい」と訴えます。 社員寮に住んでいる福岡県出身の女性(21)は、6月20日までに退去を命じられています。 「入社4年以上だと退職金が少し出ますが、3年目の私はそれもありません」と言います。 サインは拒否 サインは拒否しました。 「高校にきた求人募集をみて、従業員思いの会社だと感じ、両親の心配を押し切って就職しました。 解雇は納得できません」 全労連・全国一般東京地本との1995年以来の協定書では、解雇など労働条件の重大な変更、会社解散や事業所閉鎖をする場合は、事前に組合に提案し、十分な協議を行い、組合合意のうえで行うことになっています。 3月時点で、会社は組合に「6000万円の黒字だ」と発言し、コロナ禍を乗り切れるとしていました。 しかし、5月19日の団体交渉で会社は組合が求めた退職合意書へのサイン取り消しは拒否し、サインしていない組合員に対しても解雇を通知しました。 20日、組合は不当解雇の撤回を求め、東京都労働委員会に不当労働行為救済を申し立てました。 組合側代理人の佐々木亮弁護士は、「会社解散が絡んでいるが、『整理解雇の4要件』でチェックを受けることになる」として、人員削減が必要な経営状態か、解雇回避の努力をしたか、労働組合との協議を尽くしたかなどを指摘しました。 次の世代にも 美々卯ホームページのお知らせには、「東京美々卯及び美々卯グループは無借金経営を続けています。 大阪の本社ビル新築に向けて手厚い手元資金を用意していた折でもあり、外部から資金調達する必要性は、現時点で全くありません」として、伊丹空港に新店オープンの予定も紹介しています。 全労連・全国一般東京地本一般合同労組の梶哲宏委員長は、「東京美々卯は、大阪の薩摩和男美々卯社長がオーナーであり、2015年に結んだ和解協定書では、会社側としてサインしたこともある」と指摘。 会社が責任を果たせば雇用維持は十分にできると強調します。 44歳の男性は、「高校を卒業して、人生の半分以上を美々卯で働き、味と文化を守ってきた」と強調。 「コロナを乗り越え、次の世代に引き継ぎたい。 国の支援制度などを使って事業を続けてほしい」と語りました。 [写真] 東京美々卯京橋店=東京都中央区 しんぶん赤旗、 2020年5月29日(金) 東京美々卯 労組が解雇撤回求める 「味と文化と労働者守れ」 (田代正則) ヤッホーくんの「美々卯」といえば、大阪に本社のある会社の東京支店に勤めていた親友とよく新橋の機関車前で待ち合わせしてはいっしょに、食べにいったところ。 食べた後にカラオケに行っては、おはこの五木ひろし「長良川艶歌」( 1984年4月発売)を歌っていたころ。 長良川艶歌 五木ひろし 地上の星 中島みゆき 時代 中島みゆき 「美々卯」新橋店は今回のコロナ禍の前、に一足先にもう閉店に追い込まれていたんだとか、そうでしたかぁ。 先日、事務所を新橋から有楽町に移した。 事務所を拡張しようとして8年間過ごしてきた新橋界隈で探したのだが、適当な物件が見つからず、やむなく隣駅の有楽町に移ることになったからだ。 「街」としての評価がされてこなかった 新橋はお気に入りの街だった。 出張の多い私にとって新橋は、交通の要衝。 JR山手線、京浜東北線、上野東京ラインに横須賀線。 東京メトロ銀座線。 都営地下鉄浅草線、駅名こそ違えど大江戸線に三田線。 そしてお台場方面に向かう新交通ゆりかもめ。 新幹線に乗るなら東京へも品川にもまじで近い。 羽田空港へは都営地下鉄浅草線から京浜急行に繋がって乗り換えなし。 成田空港だって東京駅から成田エクスプレスでゴーだ。 大企業相手の取引をするなら大手町や有楽町まですぐ。 官庁の集結する霞が関には天気の良い日なら歩いていける。 弁護士事務所や会計事務所に御用ならば隣町の虎ノ門へ。 ちょっと気の利いたビジネスランチやディナーを楽しみたいなら汐留の高級ホテル群へ。 二次会は銀座にお任せ。 銀座はちょっとリッチなお買い物にも超便利。 つまりどこに行くにもほぼ徒歩圏というのが「抜群の利便性」を誇る新橋の強みなのだ。 新橋というと酔っぱらいのおじさんたちがテレビカメラの前でふにゃらけた発言をするのが定番で、「飲み屋街」の印象が強いためか、街としてきちんとした評価がされてこなかったように見える。 大中小の企業が見事にミックスされている だがこの街に8年間事務所を構えて思うのは、新橋の「街」としての見事なまでの完成度だ。 この街は中小企業ばかりだけでなく、実は大中小の企業が見事にミックスされている。 山手線沿線で同じようにおじさんたちが集まる街として名高いのは、神田や五反田だが、神田や五反田はほとんどが中小企業で構成される街であるのに対して、新橋は駅周辺はともかくとして西新橋や虎ノ門界隈にかけて意外と大企業の看板が目につく。 そのせいなのか新橋の飲み屋に足を踏み入れると気づくのは飲んだくれているおじさんたちに意外に秩序があることだ。 パリッとしたスーツを着こなしたおじさんが、嬉しそうにコップ酒をあおる。 その隣で中小企業のサラリーマンと思しきおじさんたちが楽しそうに競馬の予想で大議論をしている。 大声をあげて騒ぐ愚か者がいるのは飲み屋街の日常風景だが、殴り合いや警察沙汰になるような事件は、少なくとも8年間界隈を飲み歩いた私はほとんど目にしたことがなかった。 新橋は「おじさんだけ」の街? また「おじさんだけ」の街というレッテルが貼られた新橋だが、そう思っていないのはおそらく私だけではないはずだ。 今頃の季節になると新橋の烏森口を出て烏森神社裏やJRA(日本中央競馬会)付近までを歩くと、飲み屋の店内からはみ出たお客さんが、みな路地にビールケースと折りたたみ椅子を持ち出して夕涼みをしながらビールやチューハイを飲む姿が定番だが、そこに座っているのは意外に若い男女が多い。 おじさんの好きそうな焼き鳥屋や居酒屋、もつ鍋屋ばかりだと思いきや、高級な寿司店や割烹料理屋からちょっとおしゃれなワインバーやバル、イタリアンなど様々なジャンル、高級ものから廉価版まですべてのラインナップがそろう。 新橋の飲み屋には欧米人などいないと多くの日本人が思っているかもしれないが、それも大いなる誤解だ。 新橋駅烏森口からすぐの元桜田小学校跡地をぬけていった柳通り沿いのパブを深夜に訪れると「ここはどこ? 本当に日本?」と思われるほどの欧米人に遭遇する。 店内は大音量でロックやソウルフルな音楽が響き渡る。 カウンター内の店員の多くは外国人。 そんな彼らはテンポの良いリズムにあわせて一斉に踊りだす。 その姿を観てお客さん達も踊る。 ものすごい一体感である。 「マッカーサー道路」が出来て新橋の南側が寂れた そんな新橋ラブの私からみて、最近の新橋にはちょっと嫌な波が押し寄せてきているように見える。 きっかけは2014年3月に開通した環状2号線、通称マッカーサー道路の開通だ。 この道路は新橋のど真ん中を東西に貫く道路で、虎ノ門から新橋、汐留を通って築地市場から豊洲新市場方面へとつながる。 このうちの新橋・虎ノ門間が「新虎通り」として開通したのだ。 新橋の街はJR新橋駅から南の浜松町にむかって1丁目、2丁目となり、南端の6丁目まであるのだが、この道路は4丁目のほぼ中央を、街を東西に分断するようにして貫通した。 私の事務所は最初の4年間は5丁目、そして後半の4年間は3丁目に構えたのだが、この道路が新橋の街に及ぼした影響を目の当たりにすることになった。 幅員の広いマッカーサー道路(新虎通り)ができて5年。 街の様子は様変わりした。 道路の南、つまり4丁目の南半分から6丁目にかけての街の活気が一気に萎んでしまったのだ。 道路ができる前、5丁目の私の事務所から駅までは徒歩でおよそ7分。 決して近くはないが、十分歩ける距離。 なんといっても新橋の魅力的な飲み屋街を抜けて駅まで向かうのだからたまらない。 朝は徒歩7分で事務所に来るのになぜか帰り道は徒歩4時間になってしまうのがこの街の魅力とも言えた。 ところが道路開通後は、駅まで同じ徒歩7分であるはずの道が、物理的に「遠く」なってしまったのだ。 広い道路を渡るには信号機のある横断歩道を渡らなくてはならない。 ところが信号機のある個所はほんの数カ所。 つまり道路を渡るのに道路沿いに大きく迂回をすることになる。 こうした心理的要因は歩行者を妙に冷静にさせるようだ。 それまで飲み屋に向かっていたであろうはずの足が冷静に駅へと向かい始めたのだ。 立ち退いた店の後にできるのは細長い賃貸マンションばかり 結果として道路の南側にもあった飲み屋やラーメン屋の多くが潰れることになった。 私が足しげく通った立ち食い蕎麦屋も閉店。 店主によれば客が3割以上減少して商売にならなくなったという。 立ち退いた店の後にできるのは細長い賃貸マンションばかりだ。 間口の狭い賃貸マンションには街としての顔がない。 人を惹きつけるような看板や提灯もない。 道路の南側は急速に寂れた街に変容してしまったのだ。 いっぽう4丁目の北半分から駅にかけては相変わらずのにぎやかさだ。 だがここにも変化の波が押し寄せている。 マッカーサー道路の開通はデベロッパーにとってその沿道は垂涎の的。 大手を中心に沿道の地上げ合戦がスタートした。 価格は跳ね上がり、かねてよりの金融大緩和の追い風も受けて暴騰を続けた。 目の前に札束をチラつかされた新橋オーナーたちの多くが、店をたたんでデベロッパーに土地を明け渡し始めたのだ。 エリア内の古い店舗が続々看板をたたみ始めている 新橋の零細店舗の多くは不動産を所有せず、大家から建物を借りているケースが多い。 建物オーナーも最近の地価高騰と地上げを目論んで高値を提示するデベロッパーの流し目に負けて不動産を売り渡す事例が相次いでいる。 私のお気に入りだったリーズナブルで美味しい家族経営の寿司屋は昨年末に閉店。 店主によれば建物を売ったので「出て行ってくれ」だったそうだ。 その寿司屋のすぐ対面にあった、3000円も飲んだら酔いつぶれてしまうほど安い居酒屋も4月末で閉店した。 エリア内の古い店舗が続々看板をたたみ始めているのだ。 おそらく周辺土地を買い増したデベロッパーが巨大なオフィスビルを建て、その地下に申し訳程度にチェーン店を誘致することだろう。 六本木や大手町、日本橋の巨大ビルの地下のどこかで見たような看板の店だ。 こ洒落ているけどなんとなくお高くとまって「おいしいでしょ」と迫ってくるような、新橋らしからぬ店が現れることだろう。 そうそう食べログにいくつ星があるか、なんて言い合いながらお店にやってくるお客さんの顔も変わっていくのだろう。 ああ、なんだかつまらない街に変貌していきそうな新橋。 やっぱりそろそろ潮時だったのかも。

次の