映画 ビートルズ。 映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』あらすじネタバレと感想!ラスト結末も

【ビートルズの関連映画】不思議とドラマとユーモアと・・・

映画 ビートルズ

q []. createElement 'script' ;r. hjsv; a. hotjar. 配給元はウォルト・ディズニー・スタジオ。 今作のために、ニュージーランドのウェリントンに拠点を置くパーク・ロード・ポスト・プロダクションが映像の修復作業を担い、ビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンの息子であり最近のリマスター/リミックス作品を手掛けているジャイルズ・マーティンとサム・オケルがロンドンのアビイ・ロード・スタジオにて映画に使われる音源のミックス作業を行う予定だ。 配給元ウォルト・ディズニー・ カンパニーの取締役会長兼会長であるボブ・アイガーは今作についてこう述べている。 「世界にあれほどの影響を与えたバンドはザ・ビートルズ以外に存在しません。 個人的にもザ・ビートルズのいち大ファンとして、ピーター・ジャクソン監督によるこの素晴らしいドキュメンタリー作品を今年9月、ディズニーが世界のオーディエンスへお届けできることをこの上なく嬉しく思っています」 監督のピーター・ジャクソンもこう加えた。 「このプロジェクトは嬉しい発見に満ちていました。 史上最も偉大なバンドが彼らの最高傑作を創り上げていく制作風景の全貌をこっそりと観察する特権を与えられたことは大変光栄で、ディズニーが配給会社として名乗りを上げてくれたことも非常に嬉しく思っています。 この映画をより多くの人々にご覧いただくために、ディズニー以上の会社は考えられませんから」 さらに現存するザ・ビートルズのメンバー2人もコメントをよせた。 は、 「ザ・ビートルズのレコーディングが実際にどんな様子だったかという真実を映し出したこの映画の製作のために、ピーターが僕たちのアーカイヴを掘り下げてくれたことを本当に嬉しく思っています。 僕たちの友情や愛がこの作品によって蘇り、僕たちが共に過ごしたとてつもなく美しい時間を僕に思い出させてくれます」と今作への思いを語り、もこう続けた。 「この映画の公開が本当に楽しみです。 ピーターは素晴らしい監督で、この作品に収められている映像全てに心が踊りました。 あの頃の僕たちはただただ笑い合ったり、世に知られているヴァージョンとは似ても似つかぬような演奏をしたりして何時間も一緒に過ごしました。 あの喜びに溢れていた時間を、ピーターはこの映画の中で描き出してくれることでしょう。 この作品は、本来のザ・ビートルズの姿がそうであったように、平和と愛に満ちたものになると思います」。 今後、1970年の映画『レット・イット・ビー』にも修復作業が施され、レストア版として公開される予定だ。 ザ・ビートルズがこのレコーディング・セッションを行う以前に敢行していた大規模なツアーからの映像も豊富に残されているものの、この映画では敢えて、その後名曲として世に知られていくことになるザ・ビートルズの作品を、、ポール・マッカートニー、、リンゴ・スターの4人が、冗談を言って笑い合ったり、カメラに向かって演奏しながら楽しそうに創り上げていくスタジオ内での制作風景のみに焦点を絞っている。 Written By Tim Peacock• 『Abbey Road』50周年記念エディション:フィジカル6形態とデジタル配信にて発売 の各フォーマットで発売。  .

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いざ、誰もビートルズを知らない世界へ!/映画『イエスタデイ』予告編

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CONTENTS• マンチェスター。 ビートルマニアと呼ばれる、熱狂的なビートルズ・ファンがイギリスを席巻していました。 若い女性ファンが「音楽も髪型も素敵」と言う一方で、大人達の反応は「彼らは若者を駄目にする」でした。 当時を振り返ってポール・マッカートニーは語ります。 「ビートルズは一夜にしてスターになったと思われているが、それは違う」。 無名時代はドイツへ渡り、ハンブルグのクラブでパフォーマンス。 1日8時間演奏する日もあったと言います。 同年12月。 アメリカのラジオで、初めて「I Wanna Hold Your Hand」が流れます。 翌年、フランスの音楽チャートで1位を記録した彼らは、NYへ飛び立ちます。 女優ウーピー・ゴールバーグは当時の興奮を語ります。 音を聞いた途端、子ども心に何かがひらめいた。 世界が光り輝いて見えたの。 ビートルズのファンになること。 それだけでもう最高だった」。 ビートルズの成功は、マネージャーのブライアン・エプスタインなしではあり得ませんでした。 彼は当時27才。 実家はレコード店を経営。 知的で洗練されていたエプスタインは、ビートルズの曲を聴いた途端、彼らのスター性を見出します。 当時のビートルズは皮ジャンにジーンズ。 どちらかといえば不良っぽいイメージだった彼らを、仕立て屋に連れていったエプスタイン。 彼は4人にスーツを作ってやります。 ビートルズのイメージを決定づけたのは、エプスタインのセンスでした。 アメリカンチャートのトップ5を独占するという史上初の記録を達成。 続いてオランダ、レバノン、香港、オーストラリアで次々とナンバーワンを記録。 ジョンは言います。 「ビートルズはまるで、次々と新大陸を発見する船のようだ」。 初の映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 原題:Hard Days Night 』が完成。 この頃の彼らは、自分達のやることを心から楽しんでいる時代だったといいます。 しかし大人達の関心は、「ビートルズのブームはいつ終わるのか?」でした。 ツアー 当時のツアーに同行したジャーナリストのラリー・ケインは語ります。 「ステージに押し掛ける何千人もの人々。 何百人もの失神する少女達。 暴動が起きるほどの熱狂。 これは現実なのか?と思ったほどだ」。 「彼らを見るためにドレスも選んだ。 本当に興奮したわ。 あの頃はジョンに恋していたから」。 アメリカ南部では公民権運動が起きていました。 会場のゲイターボウルが人種隔離されていると知ったメンバーは、これに抗議。 「あの人のため、この人のために演奏するんじゃない。 人々のために演奏するんだ」。 4人の若者の発言に世界が驚きます。 一方、彼らはツアーに疑問も感じていました。 つねに自分達の演奏の出来が気になります。 何故なら、観客はまともに演奏を聴いていないとわかったからです。 4人がどんなに頑張って演奏しても、そこにあるのは悲鳴と歓声と混乱だけでした。 彼らが自由に表現できる場所は、レコーディング・スタジオだけでした。 「Eight Days A Week」は音楽チャートで11週1位を独走します。 新作映画『ヘルプ!4人はアイドル 原題:Help! 』を発表。 ポールは「実は興味がなかった」と本音を吐露します。 「映画制作も、二度目になると刺激がなくなる」。 同年、世界中のスタジアムで大規模なツアーを行うビートルズ。 最大の規模を誇るNYのシェイスタジアムでは5万人以上の観客を前に演奏します。 当時の音響システムでは限界があり、メンバー本人ですら演奏が聞こえないという過酷な状況でした。 「僕らが4人でよかった。 エルビスだったら一人きりだ。 僕らは気持ちを分かち合える。 こんなツアーはもうやりたくない」。 メンバーの気持ちはすでに限界でした。 アルバム「Rubber Soul」は8週間第1位。 エルビス・コステロは言います。 以前のビートルズとまるで違う。 でも6週間後には夢中になってたよ。 人々を新たな世界へ導く素晴らしい音楽だ、と」。 終焉 そして有名なエピソード、バッキンガム宮殿でのMBE(大英帝国勲章)受賞式へ。 4人の発言は世間によって捻じ曲げられ、音楽以外でも叩かれます。 4年間、音楽で突っ走ってきた彼らは、初めて3カ月の休暇を取ります。 「何か新しいことがしたかった」とポール。 ジョージはインドに影響を受け、リンゴも妻子のために新居を購入。 4人がいつも一緒に過ごすという時代は終わりを迎えます。 同年、ジョンの「ビートルズはキリストより有名」発言がアメリカで波紋を呼びます。 当時、教会の信者が減少する中、ジョンの発言は反キリスト教と取られ、各地でビートルズのレコードが焼かれ、デモ行進まで起こります。 同年のサンフランシスコのツアー。 彼らの気持ちはついに限界に来ます。 「誰も音楽を聴いていない。 自分達はただの見世物。 僕らはサーカスじゃない。 音楽をやるためにここにいるんだ」。 3月後、レコーディング・スタジオに入った4人は、音楽を創造することで忘れていた力を取り戻します。 「別人になりたかった。 ビートルズではない何かに」と、ポール。 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドの誕生でした。 ニューアルバムは、米・英で1位を獲得。 さらに全世界で3年間チャート・イン。 2012年、ローリング・ストーンズ誌のオールタイム・ベストアルバム1位にも輝きます。 しかしそれ以降、彼らの活動はスタジオ中心に移行していきます。 その後、ビートルズは4年間で5枚のアルバムを発表。 ロンドンのアップル本社の屋上で、一度だけのライブを行います。 『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の感想と評価 「シューベルトは、800曲のうち美しいのは100曲。 ビートルズと比較するなら、それはモーツァルトだ。 創造性の見事さでは負けていない」。 劇中でそう評されるビートルズ。 静止画にゆれ動く煙草の煙やコーヒーの湯気など、映像の遊びもセンス抜群です。 余談ですが、4人のヘヴィースモーカーぶりにはびっくりです。 あの様子で、よくステージであそこまで声が出ていたなと。 また、インタビュー映像の数々も楽しませてくれます。 マスコミの意地の悪い質問に即答するジョンやポール。 それもユーモアと皮肉たっぷりに。 一人が答えにつまると、誰かが必ず面白おかしくフォローする。 本当に頭のよい人達なのだと思います。 ビートルズへの思いを語る、関係者のインタビューも素晴らしい内容です。 ビートルズの登場で、初めて人種を超えた自由を感じたというウーピー・ゴールドバーグ。 時代と共に変わりゆく、ビートルズの行方を考察するエルヴィス・コステロ。 鮮明化された映像は、ノスタルジーをリアリティにまで高めました。 と同時に4人の当時の苦悩まで、観ているこちらにずしんと響きます。 誰も自分達の演奏を聴いていない。 信じられない話ですが、映像を見て驚きました。 人気が出れば出るほど、観客が増えれば増えるほど、自分達の音は軽視される。 これはあくまでロン・ハワードの映画なので、レコード会社との契約問題、エプスタインやオノ・ヨーコなど、ドキュメントであるなら触れるべきエピソードが一切描かれていません。 さらにはアップルの屋上ライブで締めるという中途半端さです。 しかし、敢えて「ライブで輝いていた時代」に焦点を当て、4人の音楽への情熱と苦しみを際立たせることで、逆にビートルズの本質を鮮やかに見せてくれました。 まとめ ビートルズの元メンバーであるポール・マッカートニーとリンゴ・スター、そしてオノ・ヨーコら関係者の協力を得て作られた公式ドキュメンタリー映画。 メガホンをとるのは、『アポロ13』(1995)、『ダ・ヴィンチ・コード』 2006 、『インフェルノ』 2016 などのロン・ハワード監督。 人間を優しい目線で描くことを得意とするロン・ハワード。 そこにお馴染みの映像の美しさ、音の良さ、編集の巧みさも加わって、正直、ドキュメンタリーというよりは「ロン・ハワード映画」という印象のほうが個人的には強かったです。 スタジオ時代に至るまでの、もっともキラキラした時代の4人の姿。 彼らの全てを熟知するマニアより、ビートルズ・ビギナーに新鮮に受け入れられそうです。 この映画で改めてビートルズを聴いたという人なら、たちまちファンになってしまうかも。

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映画『イエスタデイ』公式サイト

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62年にレコードデビューして世界的人気を得るも、70年に事実上の解散(法的には71年)。 結成から半世紀以上の時を経て今なお瑞々しい感動を与え続けるビートルズ。 世界ロック史上ナンバー1として、もはや彼らの存在も楽曲も永遠不滅のものといって過言ではないでしょう。 では今回、映画はいかにしてビートルズの魅力を伝えてきたか? いくつかの作品をご紹介していきましょう! 『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』か? 『ハード・デイズ・ナイト』か? ビートルズが初めて映画に主演した作品が1964年度の『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』です。 もっとも本作は2001年に『ハード・デイズ・ナイト』と原題に即した邦題に替えられてリバイバルされ、現在そのタイトルでBlu-ray&DVD化されているので、オールド・ファンには紛らわしいものがあります。 売れっ子になったビートルズの忙しい日常を自身の主演でコミカルなドキュメンタリー・タッチで描いた、いわばセルフ・パロディともいえるこの作品、内容的にはもちろんリバイバル邦題のほうが似合っているのかもしれませんが、一方で初公開時の邦題からは当時ビートルズの人気が日本でも上り調子であり、一方ではアイドル的な存在として受け止められていたことも理解できるのではないでしょうか? 本作によってブレイクしたのがリチャード・レスター監督。 それまでテレビや短編映画を撮っていた彼は、イギリス映画ならではの風刺を利かせたタッチが認められ、続いて2本目のビートルズ映画『ヘルプ!4人はアイドル』(65)を発表。 ジョン・レノン単独主演映画『ジョン・レノンの 僕の戦争』(67)を監督したのも彼です。 アニメ版ビートルズ映画 『イエロー・サブマリン』 ビートルズの人気絶頂期に、彼らをアニメーション映画化した異色作が『イエロー・サブマリン』(69)です。 その内容は、海の底にあるペパー・ランドが音楽嫌いの青鬼に侵略され、平和と音楽を取り戻そうとする楽団指揮者フレッドが潜水艦イエロー・サブマリンに乗ってリヴァプールまで赴き、ビートルズを連れてペパー・ランドへ戻り、青鬼らと対決するというもの。 実は当時、全米でカートゥーン・タイプのTVアニメ「アニメ・ザ・ビートルズ」(65~69)がオンエアされており、その実績もあっての企画で、ビートルズの面々は当初乗り気ではなかったそうですが、制作途中の試写を見て意識を改めたとのこと。 なお、ビートルズの面々をユニークに表現したキャラクター・デザインは、67年の《ストロベリー・フィールズ・フォーエバー》PV内に登場するアニメのデザインをモチーフにしたもの(ただし声優は彼らではありません)。 当時の社会現象を伝える ビートルズ・ファン映画たち ビートルズ解散後もファンの熱気は収まることはなく、そんな彼ら彼女らの想いを具現化させた映画も多数製作されています。 スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮したロバート・ゼメキス監督の記念すべき劇映画デビュー作『抱きしめたい』(78)は、1964年にビートルズが初のアメリカ公演を行った際、彼らが出演するTV「エド・サリバン・ショー」の観覧招待に当選し、ニュージャージー州からNYへ赴く熱烈ファン少女たちの珍道中を描いたもの。 全編にビートルズ・ナンバーが散りばめられているのもお楽しみですが、そこに後の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)などオールディズ・ソングの劇中使用に長けたゼメキス監督のセンスの萌芽や、またエド・サリバン・ショーのシーンでは代役のカットと当時のフィルムを合成させているあたりも『フォレスト・ガンプ 一期一会』(94)の先駆け的演出を披露していることに唸らされます。 今年公開の『イエスタデイ』よりも先に同じ邦題がつけられたノルウェー映画『イエスタデイ』(14)も、1960年代半ばのオスロを舞台にビートルズ好きが高じてバンド活動を始めた4人の高校生たちの愛と青春の日々が甘酸っぱくも微笑ましく描かれています。 正直、現在公開中の『イエスタデイ』に比べて一般的知名度の点では劣るかもしれませんが(まあ、そもそもお互い全くの別物ではありますけど、配給会社は邦題のつけ方にもう少し気を配ってもよさそうな……)、こちらもなかなか上質の青春恋愛映画としてオススメです。 2013年度のダビド・トルエバ監督によるスペイン映画『「僕の戦争」を探して』もなかなかユニークな設定です。 C 2014 FERNANDO TRUEBA P. , S. A 2013. All rights reserved. モチーフとなるのはジョン・レノンがビートルズ在籍中に主演したリチャード・レスター監督の戦争風刺映画『僕の戦争』(67)。 本作そのものの舞台は1966年のスペインで、今まさにジョン・レノンが『僕の戦争』の撮影でアルメリアを訪れていることを知った熱烈なビートルズ・ファンの英語教師アントニオ(ハビエル・カマラ)がジョン会いたさの一心で撮影現場まで車を走らせていく中、若い女性と家出少年をヒッチハイクで拾ったことから繰り広げられるロード・ムービーで、何と実話を基にした映画化とのことです。 一方で当時のスペインはフランコ独裁政権下であり、本作はそういった状況を通しての平和への訴求をジョン・レノンに象徴させながら描いたとも捉えられるのです。 スペイン本国では第28回ゴヤ賞で作品・監督・脚本・作曲(パット・メセニー)・主演男優・新人女優(ナタリア・デ・モリーナ)の6部門を受賞し、ファン気質を基軸にした人生讃歌としてビートルズ・ファンのみならず映画そのものとしての評価も高い名作です。 コレクター必携のアイテム 『悪霊島』(81) ビートルズの楽曲はさまざまな映画で印象的に用いられていますが、篠田正浩監督による日本映画『悪霊島』(81)における《ゲットバック》《レット・イット・ビー》の使用は世界中のビートルズ・ファン垂涎のコレクターズ・アイテムと化しています。 それにしても横溝正史・原作の名探偵・金田一耕助が活躍する猟奇ミステリとビートルズの融合とは……? と当時、企画を聞いた映画ファンもビートルズ・ファンも首を傾げたものでしたが、実は本作が公開された前年の1980年12月8日にジョン・レノンが暗殺されており、それを受けて本作は1980年当時から1960年代末に起きた猟奇殺人事件を振り返りつつ、いくら文明が発達しようとも変わることのない日本独自の土着性とのギャップや、ヴェトナム戦争に対する反戦運動など平和と自由の意識に燃えていた1960年代を、劇中に登場するヒッピーの若者が愛聴していたビートルズに象徴させながら訴えようとした野心作でもあったのです。 (ちなみに《レット・イット・ビー》は70年3月に発表されたビートルズ最後のシングル曲で、この曲をチョイスしたこともひとつの時代の終焉を示唆しているかのようです) もっともこの作品、劇場公開後の最初のビデオ・テープによるソフト化ではオリジナル版を発売していましたが、権利関係でDVD化以降は《レット・イット・ビー》も《ゲット・バック》もビートルズではなく他者のボーカルに差し替えられたカヴァー版ソフトのみがリリースされており、今ではTV放送もそのヴァージョンが放映されています(劇場上映ならオリジナル版の鑑賞が可能とのこと)。 そのためオリジナル版ビデオソフトは世界中のビートルズ・コレクターのマスト・アイテムと化し、オークションなどに出品されるや値が吊り上がりまくるといった状況(もちろん映画マニアにとってもお宝です)。 公開当時に発売された2曲を入れたシングル・レコードも、映画ポスターをあしらった異色のレア・ジャケットとしてマニアの争奪戦が繰り広げられました。 幻のメンバーを描いた 『バックビート』(93) ビートルズも結成から長い年月が過ぎると、さまざまな秘話やエピソードが露になっていきます。 親友のジョン・レノン(イアン・ハート)に誘われてビートルズにベーシストとして加入したサトクリフは、まもなくして写真家アストリッド・キルヒヘル(シェリル・リー)と運命の出会いを果たすとともに画家への夢を捨てきれず、61年にビートルズを脱退。 以後は画家の道を目指すも62年に脳出血で急死。 映画はスチュとジョン、アストリッドの関係性に焦点を絞りつつ、ビートルズがいかにして現在の形に完成されていったのかをさまざまなエピソードを盛り込みながら描いていきます。 (ちなみに当時はもうひとり、ピート・ベストもドラマーとしてメジャー・デビュー直前の62年までビートルズに在籍しており、彼に代わって加入したのがリンゴ・スターです) 劇中では当時の彼らの楽曲も巧みにカヴァーされており、ファンからも多大なる評価を得ました。 今なお作られ続ける ドキュメンタリー映画 ビートルズ現役時代の活動を記録したリアルタイムのドキュメンタリー映画としては1969年の『レット・イット・ビー』がありますが、これはビデオ&レーザーディスク化されるもその後販売中止となり、DVD以降のソフト化は未だになされていません。 そして解散後は様々な形で当時を振り返るドキュメンタリー映画が作られてきています。 最近の作品をピックアップしますと、『ビートルズと私』(11)は、ビートルズの大ファンであるシンガーソングライター、セス・スワースキーが当時の彼らと交流があった人々や、影響を受けた著名人など世界各地の50名を超える人々にインタビューし、ビートルズの面々の素顔はもとより、彼らを愛する側の熱い想いまでも引き出していくものです。 『愛しのフリーダ』(13)は1960年代初頭にまだリヴァプールのクラブで演奏していたビートルズのファンとなり、いつしか交流できるようになり、ついには彼らの秘書となったフリーダ・ケリーが、長い時を経てようやく当時の思い出を公に向かって語ったもの。 いわゆる暴露的姿勢が微塵もない発言の数々から、実は周囲の人々の貢献あってこそのビートルズの栄光であったことが感動的に伝えられていきます。 『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』(16)はアップル・コア公式の下、巨匠ロン・ハワード監督がポール・マッカートニーやリンゴ・スター、オノヨーコらの全面協力を得て、ビートルズの知られざる世界にスポットを当てた作品です。 もともとライヴ活動を重視していたビ-トルズですが、世界中のファンの過剰な反応の数々や旧世代のバッシングなどに忸怩たる想いを抱くようになり、やがてスタジオ録音からの発信を志向していくさまや、その過程で人種差別に対する物おじしない発言をヘイトのメッカでもあった米南部のステージで放つなど、当時の社会情勢の中での彼らのスタンスを露にしていく構成も秀逸。 リバプール時代から4人で最後に観客の前で披露した1966年のサンフランシスコ公演までのライヴ・シーンや、世界中から集められた当時の貴重な秘蔵映像を4Kなどの最先端デジタル技術で修復し、一部はカラライゼーション化し、音声は5.1サラウンド化。 ポールやリンゴといった当人たちはもとより関係者や著名人の証言も交えながら、ビートルズの時代ともいえる激動の1960年代そのものまで描出していきます。 ここ最近のビートルズを描いたドキュメンタリー映画としては、やはり本作が決定版ともいえるでしょう。 映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画レビュー・コーナー『戯画日誌』を連載中。 近著に『映画よ憤怒の河を渉れ 映画監督佐藤純彌』(DU BOOKS刊)がある。

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